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光る君へ
NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代に全国で日本語としての共通語はあったのでしょうか。 当時「源氏物語」を東国、西国(蝦夷地、琉球を除く)全国で読む事が出来たのかどうか。 方言としてではなく統一された日本語はいつからあるのでしょうか。気になっています。
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標準語を策定したのは、明治時代です。 学校教育では教師達が地方訛りの標準語を使い、教えていました。 標準語が大人達に普及して全国区になったのは、大正時代に、 ラジオ放送が始まってからです、現在でもNNKのアナウンサー の言葉が標準語とされているのです。 方言も日本語ですから、意思は通じました、昔の人は感性が豊か だったので、方言同士で話しても商いが出来たのです。 源氏物語が読まれていたのは、公家の一部の女性達です。 印刷の技術が無い時代ですから、写本して読み回して居ました。 紙は超高級品なので入手出来るのは、上位の官僚達でした。 現在、読まれている源氏物語は100年後に藤原定家が写本 した物が、冷泉家が保管さてれいたからです。 近衛家、冷泉家に保管されていた平安時代の書物は応仁の乱で 多くの物が紛失してしまった様です。 江戸時代に、北村季吟が画期的な方法で、注釈書を出しました。 上段に注釈、下段に原文を記載した物です。 源氏物語湖月抄、徒然草文段抄、枕草子春曙抄、伊勢物語拾穂抄、 八代集抄、菟芸泥赴、万葉拾穂抄 この、注釈書の製作には、柳澤吉保が側室町子と共に、深く係わって います。 木版により、多数、発売されて、庶民層まで読まれました。 与謝野晶子は源氏物語湖月抄を現代語訳をしました。 現在、発売されている、小学館、新潮文庫の源氏物語は、北村季吟 の方式に手を加えてで記載されてます。 原文で読まれると、言語訳には無い微妙な日本語の表現の美しさ に触れる事が出来ます。 --------------------------------------------------------------------------- NHK大河ドラマ「光る君へ」は、脚本の大石静さんの創作ですので、 登場人物以外は歴史とは、懸け離れています、ドラマとして楽しみ ましょう。 紫式部日記を注釈付きの原文で読まれる事をお勧めします。
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- eroero4649
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日本語が「話し言葉で書く」ようになったのは、実は完全にそうなったのは戦後になってからです。 それまでは話し言葉である「口語」とは別に、書き言葉である「文語」がありました。 で、その文語のルーツは平安時代の貴族の口語が元になっているということです。おそらく、平安時代の貴族が源氏物語も含めて日記などに記録を残したのが、いつからか「日本語の文章」として定着したのでしょう。 聖書なんかは文語体のほうが趣きがありますね。 イエス口を開き、教えていひたまふ 幸いなるかな、心貧しき者。天国はその人のものなり 幸いなるかな、悲しむ者。その人はなぐさめられん 幸いなるかな、柔和なる者。その人は地を受け継がん なんてね。 明治時代に「話し言葉で文章を書こう」という「言文一致運動」というのが起こります。最初に口語体で書かれた小説が二葉亭四迷の「浮雲」だそうです。森鷗外や夏目漱石も言文一致運動の参加者です。 「統一された日本語」が作られるようになったのは、明治時代すなわち大日本帝国からです。 近代的な軍隊では、全軍で言葉が通じないといけないからです。救援に来た部隊の連中がなにいってっか分かんなかったら戦争にならないですよね。江戸時代までの軍隊はそれぞれの地方で独立軍でしたから地元同士で言葉が伝われば十分であり、むしろ敵に言葉がバレない利便性がありました。 「自分は~であります」という言い方は軍隊から広まりましたが、これは長州弁が基になっています。 なお、カナが発明されるまでは日本語で文章を表現できませんでしたから、その頃は漢文が使われていました。古事記と日本書紀は漢文で書かれています。神様などの名前は漢字を当てています。なので「天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊」などと難しい漢字がずらりと並ぶ事態となっています。
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- Radish_Boyaboya
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共通語は無い。 全国では読んでなかったと思う。 書かれた当時は、商業的に出版されたものでは無かった。 紫式部が趣味で書いたものを、宮廷内で回し読みされてたと聞いたことが有ります。
お礼
共通語はありません 「源氏物語」も京ことばで書かれていたようです (今の京言葉ではありません読解するのは難しいようです) 執筆場所は滋賀県の石山字寺と言われています なので、時代時代で江戸で関東向けに多くの方が江戸言葉で 訳されてきたようで全国で読むのは無理だったのではないでしょうか 標準語は明治初期から使われ始められ、現代の共通語は戦後(昭和)です 現代版の源氏物語も多くの人が訳されていますが昭和初期、与謝野晶子と谷崎潤一郎がほぼ同時期に訳して以来、すべて現代標準語で書かれてきました。
お礼