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江戸時代からの儒教について

江戸から明治時代までに儒教(儒学)を学んでいた人が頭がすごく良かったのはどうしてですか? 比較的お金持ち層や実業家が(渋沢栄一など)学んでいる分野に見られます。 貧乏人は学んでいるイメージがありません。 あれって富裕層や武士階級が学んで価値のある学問なのでしょうか?

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  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (550/1068)
回答No.2

「あれって富裕層や武士階級が学んで価値のある学問」 ですね。儒学というよりも、その中の学派の一つである「宋学(朱子学)」が支配者層にとって重要な学問だったのです。宋学、なので日本に伝来したのももっと古く鎌倉時代ですが、藤原惺窩とその弟子の林羅山によって日本で体系化されました。朱子学は当時の江戸幕府にとっては都合の良い考え方もあったので(当然、そこを強調したわけですが)林羅山を招いて幕府公認の学問としました。 だから、江戸時代の武士にとって朱子学をはじめ儒学は「必修科目」です。必修科目だからとりあえず一生懸命勉強します、ある時点までは。日本の今の子どもたちが国語や数学や英語を一生懸命勉強するように。でも当然向いてない人もいる。その人達は強制的に学ばされる時期を過ぎれば見向きもしなくなる。身分制度ががっちり固まっている時代、そこそこやっときゃ、元の身分ではいられるんですから。でもそれでは嫌だ、学問をもって身を立てたい、あるいは本当に才能があって大好きだ、そういう人は学び続ける。その人達があなたの言う「儒教(儒学)を学んでいた人」です。儒学者になったり、低い身分から立身したり、そういう人は後世に「儒学を学んでいたひと」として名を残す。でも、実際にはそこそこの身分に生まれついた武士なら少しは学んでいました。 「貧乏人は学んでいるイメージがありません」 貧乏でも、「武士」として扱って貰える人達は学びました。それが「必修科目」でしたから。今なら義務教育みたいなものと言えます。その中からその学を評価されて生まれついた身分よりも立身した人はいます。しかし、それ以外の人達は(例外はありましたが)学びませんでした。強制されないし、そもそも教えてくれる人もいないし、学んだって生きていく役にも立ちませんから。そんなものより、農民なら農作業を、証人ならそろばんを、職人なら技術を学ぶ方がずっといい。 頭がすごく良い、というのなら、必修科目であった儒学より、そうではなく、ごく一部の人(蘭医の家に生まれついたとか)以外は学ぶ必要もなかった蘭学を学んだ人にもすごく優秀な人が沢山います。

その他の回答 (3)

回答No.4

a) 儒教には、人間の平等を否定する部分があるので、上位階級に属していた人たちは、儒教を好んだのかもしれません。

  • eroero4649
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回答No.3

#2さんも指摘していますが、江戸時代においては儒学というのは必須科目だったのです。今なら英語みたいなもん。日本で頭がいい人って話せるかどうかは別にして英語は必ずできるじゃないですか。なぜ英語ができるのかというと、中学で必修科目で、大学受験でも必修だからいい学歴が欲しいとなると必ず英語は勉強しなきゃいけないわけです。 それと同じで、江戸時代の学問といえばまず儒学なのです。そして漢文。江戸時代にインテリ文化人になりたかったら、この二つは必ずどこかで勉強しておかなければならなかったのです。 そして江戸幕府の「公式の学問」がその儒学の中の朱子学でした。 なぜ朱子学だったのかというと、朱子学では「なにより『忠』と『孝』が大事」とされたからです。 まあ要するに「年上に逆らうの厳禁」「殿様には何が何でも従う」という教えだから幕府にとってとっても都合が良かったのです。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8477/18147)
回答No.1

儒教(儒学)を学んでいた人が頭がすごく良かったのではなく、頭の良い人が儒学を学んだのです。 貧乏人に学んでいるイメージがないのは、学ぶ機会と時間がなかったからです。

noname#259920
質問者

補足

清河八郎は庶民の出ですが、儒学を父親から学んでて江戸に出てから様々な塾で学問修行していたそうですが、確かに相当頭が良かったそうですね。 長州の桂小五郎も頭が相当良かったそうですね。 そう言われてみると、頭脳明晰な人が儒学を学んでいたのが多いですね。 私も好きで数年前から読んでますが、まだまだ浅学で、現在でも読み終えませんよ。

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