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戦中の制度は誰が考えましたか?
日本の戦中の制度は誰が考えましたか? 独裁の
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- staratras
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>日本の戦中の制度は誰が考えましたか? 先の第2次世界大戦中の日本の国家体制全体の意味であれば、特定の個人や部署が設計したのではなく、戦争を遂行する過程でできあがっていったものです。 第2次世界大戦はこれまでにない総力戦になりましたが、各国とも経済統制を強化しヒト・モノ・カネを戦争に集中させました。日本でも「新官僚」や「革新官僚」と呼ばれた人々が活躍しました。この分野ではこれらの官僚が立案したと言えますが、国の体制を彼らが自由にデザインできたわけではありません。 その大枠を規定したのはそもそもで言えば大日本帝国憲法であり(特に天皇主権と統帥権の独立の規定)、のちの時代の法律で言えば治安維持法とこうした新世代の官僚が立案した国家総動員法です。 この時代、「大政翼賛会」が作られたころ、「幕府批判」「幕府攻撃」というプロパガンダがありました。これは「大政翼賛会」に権限を集中させて、首相を指導者とした強力な国家指導体制を構築しようとする思想や動きに対して、「そのような組織は天皇の大権をないがしろにするもので、明治維新で倒された幕府のようなものであり、日本の国情(当時の表現で言えば『國軆』)に合わない」と批判するものです。 結果として「大政翼賛会」は、例えば当時のドイツのナチスのような「一国一党組織」にはなり得ず、戦争遂行のためであっても、首相がオールマイティーにふるまうことはできませんでした。( この点は当時のドイツやイタリアとは大きく異なります) 日本では特定の一人の人間(臣下)や組織に権力・権限が集中することは、その人間・組織が優秀・有能であろうとなかろうと古代から現在まで好まれないのです。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (415/1290)
制度自体は明治憲法などを創り大日本帝国を建立した、明治維新政府 が創りました。 国防の名の基に富国強兵で軍事力を強化しました。 軍部の巨大化そして暴走を食い止めていたのが国会でした。 原敬首相が殺されて国会はお飾りの存在となりました。 軍事一色に押しす進めた中心は軍部(大本営)で、官僚が法などの 整備をして協力しました、そこに軍需産業で事業拡大を狙う 財閥が加わり、軍部(大本営)は戦争へと突き進みました。 「一等国」に成るの名目で軍事力を強化する軍部(大本営)を 国民の多くが支持した事が一番の推進力でした、欧州列強国に 互して「一等国」に成るとの言葉に国民が酔ってしまったのです。 戦争や政治に異を唱える人は、隣組や婦人連合会などの組織を中心にが非国民として憲兵や特別高等警察にチクリ、拘置所で拷問され転向を迫られた国民が数多いました。 昭和3年(1928)生まれの母は女学校時代に与謝野晶子を 読んで居るだけで、特高に引っ張られ、お前は「アカ」だろうと 詰問を受けました、日本全体が監視され、重く暗い世相で息が 詰まる想いだったと言ってました。
- f272
- ベストアンサー率46% (8469/18131)
大まかな方針は政治家が考えますが、詳細は基本的には官僚が考えました。