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戦前,戦中の通信について

戦前,戦中にも他国に日本大使館があったと思いますが、どのように連絡をとっていたのですか? 無線で各地経由して繋いでいたのですか? アメリカとか海底ケーブルで繋がるのは戦後だったと思いますので、どのように外交員へ指示していたのか 疑問です。 また真珠湾攻撃前の"トラトラトラ"という暗号ですが、東京-ハワイ間 約6,000kmも離れているのに 電波は届くのですか?(実際攻撃があったので届いたようですが) 当時の技術で、どのくらいの距離届くのでしょうか?

みんなの回答

  • ooi_ocha
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回答No.4

 電波の歴史からすると、戦前戦中は短波通信が全盛の時代です。また、 変調方法もAMやA1などの古の方法です。  トラトラトラの暗号電文は、艦載機(雷撃機?)がハワイ上空から連合 艦隊艦船に送信したものと思います。短波で上空数百メートルから送信し たA1の短波通信電報は相当遠方まで届きますから、当時の3極管を使った 受信機でも容易に受信可能であったと想像されます。  米軍が戦中にVHF帯のFM無線機を使っていて、そのアンテナに八木宇田 アンテナを使っていたと言う逸話はもしかすると都市伝説の可能性もあり ますが、日本で使えないとうち捨てられていたFM変調方式の無線機を米国 では先んじて利用していました。コンバット!に出てくるサンダース軍曹 が「チェックメイトキング、こちらはホワイトロック」と言う無線機がた ぶんFM無線機であったと想像しています。 ※現在、商用利用の短波通信は廃れました。海外航路の大型船舶は船舶 専用衛星通信を行っていますし、嘗て紅白歌合戦の投票で南極探検隊から 電報と受けていた銚子無線局は1996年に閉局しました。GMDSS参照

回答No.3

”短波”という種類の電波を使うと、当時の技術でも地球の裏側くらいまで電波が届く事があります(確実にではありませんが)。 短波は携帯電話の使っている極超短波の電波と比べて使える周波数幅がずっと少ないので、「じゃぁ、今でも全ての通信を短波で行えばいいぢゃないか」という訳にはいきません。 中継局が多数ないと全く役に立たない携帯電話やケーブルがないとできない光通信と違い、中継局を設置できない、または中継局やケーブルが破壊されても通信ができるという事で、今でも重要な通信や自衛隊、短波ラジオ、船舶無線などで使用しています。 当然敵国にもこの電波は届いてしまいますから、戦前・戦中などの時代は、この”短波”に暗号を使って通信していたようです。といっても日本の暗号は敵国にほとんど解読されて、戦況を悪化させた一因のようです。 *当時は生まれていないので、伝聞を元にした想像ですが概ね正しいようです。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

・通常・・・有線電報 外交行嚢(外国の税関でも開封できない慣例)で郵送や、直接外交官が文書運ぶことも。 電報も、機密性高いものは暗号化されていた。  明治4年(1871)年、デンマークの大北電信会社が、長崎~上海、長崎~ウラジオストック間の海底ケーブルを敷設。  太平洋横断海底ケーブルは明治39年8月1日に直通回線が開通しました。ルートは  東京→小笠原→グアム→ミッドウェー→ホノルル→サンフランシスコ。 (なんで太平洋戦争で、開戦と同時にグアム占領したり、ミッドウェーまで攻撃しないといかないと、わかるね(^^♪ ・真珠湾攻撃前の"トラトラトラ"という暗号ですが、東京-ハワイ間 約6,000kmも離れているのに 電波は届くのですか?(実際攻撃があったので届いたようですが) 当時の技術で、どのくらいの距離届くのでしょうか? 真珠湾攻撃隊総指揮官淵田美津雄中佐の九七式艦攻から、 発せられた「トラ、トラ、トラ(ワレ奇襲に成功セリ)」 暗号電文は、ハワイ沖の機動部隊旗艦赤城はもとより、 午前3時19分に、呉沖の迫地の連合艦隊旗艦長門も 直接、受信した。 (日本軍の航空無線機は、劣悪といわれているが このときは、快調だったようです(^^♪  

回答No.1

短波を使ったモールス信号は何千キロ離れていても目的地に届きます。 国際電話など滅多に使えない時代です。 モールス信号の暗号でやり取りしていました。 ただしアメリカは日本の外務省と海軍省の暗号は96パーセント解読していたので暗号の意味を成していませんでした。