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アルカトラズ刑務所に、戦中か戦後に政治犯(?)として日本人が拘束されて
アルカトラズ刑務所に、戦中か戦後に政治犯(?)として日本人が拘束されていた雑誌記事を40年位前に見ました。カワキタトモヤさんと言う方です。ご存知ありませんか。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8C%97%E5%AF%BE%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 http://en.wikipedia.org/wiki/Kawakita_v._U.S. 川北 友弥さんです。 ウイキペディアの日本語と英語の解説によりますと、 日系二世(当時の法律では二重国籍者)の川北さんは、戦前 来日、後の首相・三木武夫の書生として、明大を卒業、 ところが太平洋戦争で、敵性外人扱いされたので、 叔父の養子として日本の戸籍を取得、外人登録を取り消しました。 そして日本冶金工業に入社、大江山ニッケル鉱山内に設けられた大阪俘虜収容所大江山分所 で通訳として、強制労働させられた連合軍捕虜と接しました。 このとき、川北に虐待されたとする捕虜から戦後、告発されることになります。 終戦後、川北さんは、米軍に、戸籍取得は警察や叔父の圧力で、日本国籍は自分の真意でないといい、 日本国籍を離脱、アメリカのパスポートを更新、郷里に帰国しましたが、シアーズで 大江山で接した元捕虜と出くわし、FBIに、つきだされます。 アメリカ人でありながら、日本に味方し、米軍捕虜を虐待し反逆罪を犯したと訴えられ、 川北さんは、今度は、1943年に日本戸籍を得て米国籍を失ったので、 アメリカへの反逆罪には、あたらないと主張しましたが、受け入れられず、 1952年、反逆罪で死刑の判決が確定、アイゼンハワー大統領により、終身刑に減刑、 アルカトラス刑務所に送られました。 1963年、三木武夫始め内外の働きかけにより、ケネディ大統領が 終身米国入国禁止に減刑、「帰国」し、日本で余生を、送りました。 ※下嶋哲朗の『アメリカ国家反逆罪』では、アメリカ国籍でありながら 戦時中、日本の軍需産業で軍属として行動したことはともかく、 捕虜虐待は確証がなく、むしろ、捕虜の待遇改善に尽力していたとし、 冤罪であると書かれている。
お礼
早速の詳しいご返事有り難うございました。報道、映画などで「アルカトラズ刑務所」の話題がある度に、カワキタトモヤでの名前で思い出しておりました。インターネット検索でも見つからず、その背景はすっかり忘れておりました。kushiroshi様のご返事で、やっと思い出しました。日米の戦争の狭間で、時代に翻弄されたのですね。 余談ではありますが、雑誌記事を見ましたのは、中学生の時でした。当時海外文通(ペン・パル)が流行っておりまして、私もつたない英語でアメリカに文通友達がおりました。そんな中、記事を見て川北氏に便りを、と思いましたが、宛先をどうしたらよいのか判りませんでした。それも、もう50年くらい昔のことです。お陰様で、長年に亘り私の心にひっかっておりましたものが、解決出来たように思います。 ご返事本当に有り難うございました。重ねて御礼申し上げます。