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人生論?
年上や上司、さらには他人というのは敬い、尊敬するものという通念、観念で生きてきたが、実態はどうやらそういうものでもなく、メリットデメリットな人間関係で観たときに、もう十分支払ったという感覚があり、これからはもっとお手盛りで生きるべきかと思案せざるを得ない 抽象的な表現ですので、何言ってるか何か感じるものがある方、いましたら何か聞かせてください。
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こんにちは! 体の大きさもありますけど、老若でいうと若いときはエネルギーが余り肉体の修復が早いので他人のために多くの気力、体力を割ける。加齢でエネルギーが上がらなくなったら他人のため体を使い過ぎると修復に時間がかかるので若い人と同じペースでやってたら体を壊して怪我したり病気になって早死ににつながる。一般に組織では年を取ると楽な仕事になる。若いうちは他人のために働くのもいい。ある程度年を取ったら体に無理が効かないのでまず自身を一番大切にし、次いで身の回りの人たちを大切にするといい。データのない真実があるのでもう十分支払ったという感覚があるのだから、事情を知らない他人がなにを言ってもをそれを超えて妥当性のある判断はないでしょ?
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 人間には、正しい信仰心を持ち、神に愛されている人と、薄い信仰心しか持たず、神が特別な愛を傾けない人とがいます。けれども、この違いを見分けるには、ある程度深い付き合いをしないと分からないし、また、現状、神に特別に愛されている人は大変少ないと思われるので、万一出会ったとしても、神の後ろ盾がある人だとは気づかないでしょう。 b) 周囲の他人の中にまぎれている、神に愛されている人に対して、気づかずに親切を怠れば、神に見咎められる恐れが出てきます。神に評価されないのは、人生最大の汚点にもなり得るので、用心が必要です。なので、神の愛を得ているか否かの判定は困難なので、用心のために、誰にでも親切にしておこうというのが、神を恐れた賢明な判断なのです。
お礼
信仰はいい(素晴らしいという意)ですね、ありがとうございました
- Nakay702
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「お手盛りで生きる」といいますか、「自分の気持・気分に忠実に生きる」ことをお勧めします。そうすれば、常に泰然自若としていられます。わずかの損得のために絶えずヘラヘラしているなど馬鹿げています*。そんなことに心を擦り減らすより、「気まぐれと自称ワル」で行く方が心豊かに生きられます。 実は、かく言う私も、以前は劣等感のカタマリでした。ある時開き直りを決めました。偽善ぶる奴が嫌いでしたので、逆に偽悪ぶることにしました。ただし、内面秘かに、誰にも優しくあることを決意しました。「外面世菩薩内面如夜叉」の逆を行こうと思ったのです。「いい人だと思っていたのに実はワルだった」と思われるより、「ワルだと思っていたけど案外いい奴なんだ」と言われる方がいい気分です。 おかげで、それ以来、世の中が明るく楽しいところだと実感しながら生きられるようになりました。大して自慢できるようなものではありませんが、この処世法(かっこよく言えば「心的態度」)は、特にコスパの観点からお勧めです!ともあれ、どうぞ、楽しく。 *本歌取り:「ながらへば またこの頃の しのばるや よしと見し世ぞ 今は悲しき」 元歌:「ながらへば またこの頃や しのばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき」(藤原清輔朝臣)
お礼
実は僕は内面がそれほど善でもなく・・ 年中悪いこと考えてるわけでもなく しかし、相手の尊厳は損なわないように心がけてはいます
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
問題(口答えとか)を起こすとめんどくさい相手には、へつらったほうが楽なのです ので、そこにそもそもメリットデメリット自体、存在しないことのほうが多いのです
お礼
へつらうと心が腐りそうな気もします
お礼
ご回答ありがとうございました