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壬申の乱兵士の数
壬申の乱について興味があり、書籍、ネット、博物館にいってみたりして調べているのですが、この戦に参加した兵士のことについて書かれているものが一切見当たりませんでした。彼らはどのようにして集められどのような気持ちで戦ったのか。 瀬田川の戦いなんかは戦略方法までわかっているのになんで人数が語られないのか。実際に瀬田川まで行って見ましたが、この場所で戦って何十人程度の戦?喧嘩?って思ってしまって、当時の兵士の人たちが両軍何人いて何人死んだのか。どれほどの戦いだったのか知りたいのです。兵士のことについてはこんな文献があるよ等教えていただいたらありがたいです。
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それはかなり絶望だと思う。 日本人には記録を残す習慣がない。 江戸期以降は必要に迫られたためかなり揃ってくるが、平安とか奈良とかで数字が分かっているのは税とか役員の数とかくらいである。 厳密な記録を記した古代ローマですら、古い時代になるとかなりあやふやな部分が出てくる。 カンネの会戦ではローマ軍8万が全滅したというが本当だろうか。 古代ローマの国家財政は未だよくわかっていない。 建国の父ロムルスから数代続く王は、架空の人物だったというのがもっぱらの見方である。 史実は資料でしか語れないが、資料はその周辺しか照らしてくれず資料と資料の間には広大な闇が広がっている。 史実を探るというのはとても困難な作業なのである。
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- eroero4649
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当時は「正確な数を数えて記録を残す」という習慣がない時代でした。 てかね、なんだったら現代だって兵士の数や戦死者の数なんていい加減なもんなんですよ。ウクライナ戦争だってアメリカやイギリスのシンクタンクがロシア軍の死傷者は19万から22万人といっていますが、別に死体を全部カウントしたわけではありません。中には骨も残らず吹っ飛んでいる人もいますからね。だいたい19万から22万という間にも3万人も違いがあるわけで、東日本大震災の死者数が2万人くらいだったと考えると誤差もすげえじゃねえかという話ですね。 当時の戦争では、真面目に戦う人なんてごくごく一部です。戦争の行方で負けた側になれば処刑されるか逃げてどこかで野垂れ死にするか、どのみち死んでしまうという人たちだけが一生懸命戦争します。 けれど員数合わせのために呼ばれた末端の兵士なんて死んでもなにもいいことはないので、負けそうだなと思ったら真っ先に逃げるのです。 アメリカ独立戦争になるまで、一般の兵士っていうのは真面目に農民ができない「社会不適合者」がやるものだったのです。プロイセン軍の士官は右手に鞭を、左手に銃を持っていたといいます。鞭で兵士にいうことをきかせ、それでも従わないやつは銃で殺したのです。兵士はそういう人間がやるものでした。 だから質問者さんがいうように当時のいくさは、いくさというよりヤクザのカチコミといったほうが相応しいようなものでした。現代でもヤクザや右翼が自分たちを大きく見せるために集会で暴走族や半グレの少年たちを集めることがありますでしょ。それと同じなんですよ。 で、そういうときに現代でも主催者というか、そこのグループが「今日の集まりで3000人が集まった」と発表することがありますが、現代でも水増しして発表するのは珍しくないじゃないですか。「主催者発表では1万人集まったというけれど、実際は2000人くらいだろう」ってね。 おそらく近世以前の戦争においては人が死ぬってことはなかなかなかっただろうと思います。というのも、当時はそもそも人口が現代の1/10くらいしかいなかったわけで、毎回いくさで人が死んでたらたちまち兵士が枯渇してしまいます。 戦国時代にも「どこどこで衝突が起きて、けが人が出た」という武将の手紙が残っています。「けが人が出た」というのを手紙に残すということは、けが人が出ることはそれなりに重い出来事だったということです。 あ、そうそう、20世紀以前の医療レベルでは、負傷者の死亡率も極端に高いです。現代は腕や足が吹っ飛んだだけでは助かる確率は高いですが、19世紀以前の戦争で手足が吹っ飛んだらそこからばい菌が入って破傷風で死ぬ確率は高かったのです。 だから「槍や刀で斬られた」とか「矢が当たった」ってだけで死ぬ可能性は高かったのです。 だから余計に一生懸命戦わないのです。ちょっとケガしただけで死ぬ可能性は高いし、死んで何かが得するわけでもありません。ケガをしないために一番いいのは、敵の槍や矢が届かない場所にいることです。当たらない距離にいれば当たることはありません。当然こっちの槍や矢も当たらないけど、「当てられるリスク」が高すぎるので当てにいかなきゃいけない理由がありません。 だから昔のいくさってのは、「命がけの運動会」とか「けんか祭り」みたいなものだったと思いますよ。現代でも死人が出るようなお祭りって世界各地にあるじゃないですか。あんな感じだったんじゃないかな。もちろん武器が銃などが登場するようになってより凄惨になったというのはあると思います。
お礼
ありがとうございます。
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