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お答えいただけましたら幸いです。

①「意識して」と「意識的に」 の違いはありますか? ②「無意識に」と「無意識的に」 の違いはありますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
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回答No.18

質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 ⇒先述の私の例文などでは、 主語は「あまねく人々すべて」しか記しておらず、そういう意味では、そのような文章(文脈)上(文章、分脈全体で見た場合も含め)では、その主語が変わることはまずない、というこなのでしょうか? ⇒前回の回答で間違いました。 主語には関知しません。述語にしか関わりません。それが省略されているわけでしょう?

shinleo1918
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。 言い方を変えて質問させていただきます(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいるうえでお答え願います)。 今まで私が示した全ての例文なども含め(全て文章全体で見た場合も含め)、 「あまねく人々はすべて、誰の力もなしに生きてはいけない、と○○さんはお考えになりますか。」 というような質問などを私がこの○○さんにする場合、 「あまねく人々はすべて」と、私が主語を固定、限定しているという点から、 書き手である私がこの主語を変えない限り、こ(れら)の分脈においてはこの主語は不動なのではないか、と思うのですが、どうでしょうか?

その他の回答 (17)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.17

質問者からの補足にお答えします。 >No.15で、私からの三問目の質問へのお答えとして、 「三問目: 「いつどんな場合も」は述語内の用言にかかるだけ、とのことでしたが、 それはつまり、 一問目内の例文などでは、 「あまねく人々はすべて」は主語である以上、何があっても永遠にそれが変わることはないということでしょうか? ⇒そうですが、「永遠に」とまでは言明されていません。」 とお答えくださいましたが、 「永遠」は明記されていないが、それがあるのとほぼ同じような意味であることに変わりはないということでしょうか? ➡そういう意味で用いられる場合があることを妨げないだけです。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 では(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいるうえでお答え願います)、先述の私の例文などでは、 主語は「あまねく人々すべて」しか記しておらず、そういう意味では、そのような文章(文脈)上(文章、分脈全体で見た場合も含め)では、その主語が変わることはまずない、というこなのでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 では、先述の私の例文などでは、 主語は「あまねく人々すべて」しか記しておらず、そういう意味では、そのような文章(文脈)上(文章、分脈全体で見た場合も含め)では、その主語が変わることはまずない、というこなのでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.16

質問者からの補足にお答えします。 >「いつどんな場合も」(など)は、主語には関与しないとのこですが、 「あまねく人々はすべていつどんな場合も」 (など)の「あまねく人々はすべて」(など)には、「あまねく人々はすべて」の「各々」がいつどんな場合(状況などで)も、例えば、タバコを吸っているや、本を読んでいる、などといったことは含まれているのでしょうか? もし含まれていないとすれば、そういったことなどを意味している表現はどういったものがあるでしょうか? ⇒はい、含まれています。

shinleo1918
質問者

お礼

先程の先程のお礼の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 言い方を変えて質問させていただきます(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいるうえでお答え願います)。 今まで私が示した全ての例文なども含め(全て文章全体で見た場合も含め)、 「あまねく人々はすべて、誰の力もなしに生きてはいけない、と○○さんはお考えになりますか。」 というような質問などを私がこの○○さんにする場合、 「あまねく人々はすべて」と、私が主語を固定、限定しているという点から、 書き手である私がこの主語を変えない限り、こ(れら)の分脈においてはこの主語は不変なのではないか、と思うのですが、どうでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているでうえでお答え願います)、 No.15で、私からの三問目の質問へのお答えとして、 「三問目: 「いつどんな場合も」は述語内の用言にかかるだけ、とのことでしたが、 それはつまり、 一問目内の例文などでは、 「あまねく人々はすべて」は主語である以上、何があっても永遠にそれが変わることはないということでしょうか? ⇒そうですが、「永遠に」とまでは言明されていません。」 とお答えくださいましたが、 「永遠」は明記されていないが、それがあるのとほぼ同じような意味であることに変わりはないということでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.15

まず、質問者からのお礼にお答えします。 >以前、「ホゲてきた」というようご発言をされていたと思いますが、それがどの程度かは分かりかねますが(健康であられれば何よりですが)、それが今までのすべてのご回答に影響を与えている(与えた)ことはないでしょうか?また、今後のご回答に影響を与えることは当分ないでしょうか? ⇒ボケを強く自覚するのは、根気がなくなったこと、忘れることが多くなったことです。今までの回答に影響があったかも知れません。なるべく回答に影響ないように努める所存ですが、うっかりポカをやらかす可能性です!(その節はどうぞ悪しからず。) 質問者からの補足で、私の愚問にお答えくださり、ありがとうございました。 >①(このような回答)→私個人の中ではかなり役に立っております。でなければ、これまでのように回答者様に集中的に質問をさせていただくことはなかったと思います。 ⇒了解です。お役に立てるのは、嬉しいです。 >②(同じ質問)→ものによってはあります。しかし、そのどれもが若干ではあれ違うものであると思っています。勿論、一言、二言似たような言葉が違うだけで、答えは変わらないかもと思うことはありますが、私個人の性格からして、ミスなど(実は、その若干の違いだと思っていたものが結構な違いだった、といった)が一度でもあると許せない性格であり、その為事前準備が大事であろという観点から、文章一つを取っても入念に準備をしたいのです。そして、このような質問サイトでこのようなカテゴリーでは、回答者様が今まででかなりその知識などに信用が置けると思っている為、何度も頼らせていただいております。 ⇒何度も頼っていただくのは光栄ですが、あまり長く続くと、気疲れしてしまうんです。勝手ながら、同一カテでの連続は最大5回程度までにしていただけるとありがたいです。 >③(他の回答や他の方々の回答に)→寄せられる回答一つひとつを見ても、なぜそうなるのかを理論や根拠に沿って説明してくれる方とそうではない方がいます。私の中では今までのところ、回答者様が最も上記のような理想的な回答くれる方だと思っており、端から回答者様からお答えがいただけるのであれば、現在は正直他の方からの意見は参考程度で構わないと思っています。 ⇒信頼を寄せてくださり、ありがとうございます。 >④(よろしければ教えてください。このご質問は、あなたの (1)勉強 (2)仕事 (3)趣味と関係ありますか)→どれかと言えば、最初は趣味でありプライベートでしたが、現在は勉強にもなっていると思います。 ⇒こちらも、回答を考えながら「勉強になるなあ」と思うことがあります。そんな時は、ボケも後退して冴えた気分になります。 当初の質問者からの補足にお答えします。 >一問目: 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人(それが一人であれば、それがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その一人ひとりがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 三ヶ所ある「(どんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)」はすべて、 「(いつどんな場合も「あまねく人々はすべて」から見て、いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」)」 という意味になっているでしょうか?⇒はい、そういう繋がりになると思います。 >二問目: 「と、いつどんな場合も○○さんはお考えなりますか。」 と 「と、○○さんはいつどんな場合もお考えなりますか。」 と 「と、○○さんはお考えになりますか(いつどんな場合も)。」 はすべて同じ意味になっているでしょうか? ⇒前二者については「同じ意味になって」いますが、最後のカッコ内は発話者の意図が分かりませんので、同じ意味になっているかどうかは分かりません。 >三問目: 「いつどんな場合も」は述語内の用言にかかるだけ、とのことでしたが、 それはつまり、 一問目内の例文などでは、 「あまねく人々はすべて」は主語である以上、何があっても永遠にそれが変わることはないということでしょうか? ⇒そうですが、「永遠に」とまでは言明されていません。

shinleo1918
質問者

補足

ご理解いただきありがとうございます。 また、すべてご丁寧にお答えいただきありがとうございます。 また一つほど、質問させていただきます(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいるうえでお答え願います)。 「いつどんな場合も」(など)は、主語には関与しないとのこですが、 「あまねく人々はすべていつどんな場合も」 (など)の「あまねく人々はすべて」(など)には、「あまねく人々はすべて」の「各々」がいつどんな場合(状況などで)も、例えば、タバコを吸っているや、本を読んでいる、などといったことは含まれているのでしょうか? もし含まれていないとすれば、そういったことなどを意味している表現はどういったものがあるでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.14

質問者からの補足を拝見しました。 ご回答の前に確認させてください。 ①このような応答、何かのお役に立っていますか? ②同じような質問を反復している、という意識はありませんか。 ③他の回答や他の方々の回答に対しては、お尋ねしたいことはありませんか。 ④よろしければ教えてください。このご質問は、あなたの (1)勉強 (2)仕事 (3)趣味と関係ありますか。

shinleo1918
質問者

お礼

私からも本題とは逸れるかもしれませんが、また更に質問させていただきます。 以前、「ホゲてきた」というようご発言をされていたと思いますが、それがどの程度かは分かりかねますが(健康であられれば何よりですが)、それが今までのすべてのご回答に影響を与えている(与えた)ことはないでしょうか?また、今後のご回答に影響を与えることは当分ないでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

それぞれお答えさせていただきます。 >①このような応答、何かのお役に立っていますか? →はい、私個人の中ではかなり役に立っております。でなければ、これまでのように回答者様に集中的に質問をさせていただくことはなかったと思います。 >②同じような質問を反復している、という意識はありませんか。 →ものによってはあります。 しかし、そのどれもが若干ではあれ違うものであると思っています。勿論、一言、二言似たような言葉が違うだけで、答えは変わらないかもと思うことはありますが、私個人の性格からして、ミスなど(実は、その若干の違いだと思っていたものが結構な違いだった、といった)が一度でもあると許せない性格であり、その為事前準備が大事であろという観点から、文章一つを取っても入念に準備をしたいのです。そして、このような質問サイトでこのようなカテゴリーでは、回答者様が今まででかなりその知識などに信用が置けると思っている為、何度も頼らせていただいております。 >③他の回答や他の方々の回答に対しては、お尋ねしたいことはありませんか。 寄せられる回答一つひとつを見ても、なぜそうなるのかを理論や根拠に沿って説明してくれる方とそうではない方がいます。私の中では今までのところ、回答者様が最も上記のような理想的な回答くれる方だと思っており、端から回答者様からお答えがいただけるのであれば、現在は正直他の方からの意見は参考程度で構わないと思っています。 >④よろしければ教えてください。このご質問は、あなたの (1)勉強 (2)仕事 (3)趣味と関係ありますか。 →どれかと言えば、最初は趣味でありプライベートでしたが、現在は勉強にもなっていると思います。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.13

質問者からの補足を拝見しました。 >「他人(それが誰であれ)」と「他人(それがどんな人で(あれ))」は同じ意味になっているでしょうか?あるいは、一方がもう一方の意味も含んでいるでしょうか? ⇒はい、どちらも同じような意味と見なしていいと思います。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 また、いくつか質問させていただきます(すべいて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 一問目: 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人(それが一人であれば、それがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その一人ひとりがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 三ヶ所ある「(どんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)」はすべて、 「(いつどんな場合も「あまねく人々はすべて」から見て、いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」)」 という意味になっているでしょうか? 二問目: 「と、いつどんな場合も○○さんはお考えなりますか。」 と 「と、○○さんはいつどんな場合もお考えなりますか。」 と 「と、○○さんはお考えになりますか(いつどんな場合も)。」 はすべて同じ意味になっているでしょうか? 三問目: 「いつどんな場合も」は述語内の用言にかかるだけ、とのことでしたが、 それはつまり、 一問目内の例文などでは、 「あまねく人々はすべて」は主語である以上、何があっても永遠にそれが変わることはないということでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.12

遅くなりましたが、質問者からのお礼(改めての補足)にお答えします。 >一問目: 前回の一問目の質問に対して下さった >一問目:「いつどんな場合も「あまねく人々」から見て、 いつどんな場合も「どんな人で」 いつどんな場合も「どんな様子で」」 ということになっているでしょうか? ⇒はい、そうなっています。 というお答えは 元の質問が 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ」 のような質問でも(であっても)、 何一つ変わらないでしょうか? ➡ はい、何一変わりません。 >二問目: 前回の二問目の質問に >二つ目:すべての、「(それが誰であれ)」とそれが誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からに 「いつどんな場合も」はかかっているでしょうか? ⇒「いつどんな場合も」は、述部内の与件ですから、主部にはかかりません とお答えを頂きましたが、 元の表現(「他人(それが誰であれ)」)などが「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もそれが誰であれ」という意味であることは間違いないでしょうか? ➡ いいえ、「いつどんな場合も」は、述部内の用言にかかるだけです。 >三問目: 前回、前々回と「いつどんな場合も」は「(どんな人で)」や「(どんな様子で)」などにかかっているか?、という質問をいくつかさせていただいたと思いますが、 それらすべてに、「いつどんな場合も」がかかっているというより、「いつどんな場合も」は既に含まれている、とも言えるでしょうか? つまり、「あまねく人々はすべていつどんな場合も」の「いつどんな場合も」の有無に関わらず、「いつどんな場合も」はそれぞれに含まれているのでしょうか?、ということです。 ➡ いいえ、含まれていません。 >四問目: 実際にこれらのような表現をすることが冗長かそうではないかは置いておいていただき、「他人(それが誰であれ(どんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)) や「他人(それが一人であれば、それがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その一人ひとりがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)」 (など)のように書いたり、言う場合、前者のように丸括弧の中に更に丸括弧(二重丸括弧)をいれる場合であれば、「いつどんな場合も」は「一個目の括弧内のすべて」にだけでなく、「二個目の括弧内のすべて」にもかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? つまり、「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も誰であれ(いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ)」というような意味になっているでしょうか? また後者であれば、「いつどんな場合も」は下記のように各ワードにかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も「一人であれば」、いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「その一人を」、いつどんな場合も「多勢であれば」、いつどんな場合も「その一人ひとりが」いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「そのすべてを」」 ➡ 「丸括弧の中に更に丸括弧(二重丸括弧)をいれる」こと、およびそれにどういう意味を付与するかは、発話者の決めることですから、一般論では何とも言えません。 >五問目: 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)」(など)のように書いたり、言う場合、 「あまねく人々はすべて」は一つの単語として見て、これに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のか、 「あまねく人々(は)」と「すべて」のそれぞれに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のでしょうか? ➡ どちらにもかかっていません。ベクトルが逆です。「あまねく人々はすべて」が主部なので、「いつどんな場合も」はこれを規定するのでなく、述部内の用言ににかかるだけです。二問目と同じです。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)、 「他人(それが誰であれ)」と「他人(それがどんな人で(あれ))」は同じ意味になっているでしょうか?あるいは、一方がもう一方の意味も含んでいるでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.11

質問者からの補足にお答えします。 >すべての「(それが誰であれ)」には、「いつどんな場合も」がかかっているでしょうか? ⇒はい、かかっています。 質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 >一問目:「いつどんな場合も「あまねく人々」から見て、 いつどんな場合も「どんな人で」 いつどんな場合も「どんな様子で」」 ということになっているでしょうか? ⇒はい、そうなっています。 >二つ目:すべての、「(それが誰であれ)」とそれが誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からに 「いつどんな場合も」はかかっているでしょうか? ⇒「いつどんな場合も」は、述部内の与件ですから、主部にはかかりません。 >三つ目:いつどんな場合(とき)も、「既にかかっているでしょうか?」と「かかっているでしょうか?」は何一つ変わらないでしょうか? いつどんな場合(とき)も、「既に含まれているでしょうか?」と「含まれているでしょうか?」は何一つ変わらないでしょうか? ⇒はい、どちらも変わりません。 質問者からのお礼(別スレの四問目)にお答えします。 >いつどんな場合(とき)も(いつどんな場合も)、 「いつどんな場合も」と「いつどんな場合(とき)も」は何一つ変わらないでしょうか? ⇒はい、何一つ変わりません。

shinleo1918
質問者

お礼

改めて補足を送らせていただきます。 お答えいただきありがとうございます。 また五つほど質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 一問目: 前回の一問目の質問に対して下さった >一問目:「いつどんな場合も「あまねく人々」から見て、 いつどんな場合も「どんな人で」 いつどんな場合も「どんな様子で」」 ということになっているでしょうか? ⇒はい、そうなっています。 というお答えは 元の質問が 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ」 のような質問でも(であっても)、 何一つ変わらないでしょうか? 二問目: 前回の二問目の質問に >二つ目:すべての、「(それが誰であれ)」とそれが誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からに 「いつどんな場合も」はかかっているでしょうか? ⇒「いつどんな場合も」は、述部内の与件ですから、主部にはかかりません とお答えを頂きましたが、 元の表現(「他人(それが誰であれ)」)などが「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もそれが誰であれ」という意味であることは間違いないでしょうか? 三問目: 前回、前々回と「いつどんな場合も」は「(どんな人で)」や「(どんな様子で)」などにかかっているか?、という質問をいくつかさせていただいたと思いますが、 それらすべてに、「いつどんな場合も」がかかっているというより、「いつどんな場合も」は既に含まれている、とも言えるでしょうか? つまり、「あまねく人々はすべていつどんな場合も」の「いつどんな場合も」の有無に関わらず、「いつどんな場合も」はそれぞれに含まれているのでしょうか?、ということです。 四問目: 実際にこれらのような表現をすることが冗長かそうではないかは置いておいていただき、 「他人(それが誰であれ(どんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)) や 「他人(それが一人であれば、それがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その一人ひとりがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)」 (など)のように書いたり、言う場合、 前者のように丸括弧の中に更に丸括弧(二重丸括弧)をいれる場合であれば、 「いつどんな場合も」は「一個目の括弧内のすべて」にだけでなく、 「二個目の括弧内のすべて」にもかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? つまり、 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も誰であれ(いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ)」 というような意味になっているでしょうか? また後者であれば、 「いつどんな場合も」は下記のように各ワードにかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も「一人であれば」、いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「その一人を」、いつどんな場合も「多勢であれば」、いつどんな場合も「その一人ひとりが」いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「そのすべてを」」 五問目: 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)」 (など)のように書いたり、言う場合、 「あまねく人々はすべて」は一つの単語として見て、これに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のか、 「あまねく人々(は)」と「すべて」のそれぞれに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 また五つほど質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 一問目: 前回の一問目の質問に対して下さった >一問目:「いつどんな場合も「あまねく人々」から見て、 いつどんな場合も「どんな人で」 いつどんな場合も「どんな様子で」」 ということになっているでしょうか? ⇒はい、そうなっています。 というお答えは 元の質問が 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ」 のような質問でも(であっても)、 何一つ変わらないでしょうか? 二問目: 前回の二問目の質問に >二つ目:すべての、「(それが誰であれ)」とそれが誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からに 「いつどんな場合も」はかかっているでしょうか? ⇒「いつどんな場合も」は、述部内の与件ですから、主部にはかかりません とお答えを頂きましたが、 元の表現(「他人(それが誰であれ)」)などが「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合もそれが誰であれ」という意味であることは間違いないでしょうか? 三問目: 前回、前々回と「いつどんな場合も」は「(どんな人で)」や「(どんな様子で)」などにかかっているか?、という質問をいくつかさせていただいたと思いますが、 それらすべてに、「いつどんな場合も」がかかっているというより、「いつどんな場合も」は既に含まれている、とも言えるでしょうか? つまり、「あまねく人々はすべていつどんな場合も」の「いつどんな場合も」の有無に関わらず、「いつどんな場合も」はそれぞれに含まれているのでしょうか?、ということです。 四問目: 実際にこれらのような表現をすることが冗長かそうではないかは置いておいていただき、 「他人(それが誰であれ(どんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ)) や 「他人(それが一人であれば、それがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その一人ひとりがどんな人でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)」 (など)のように書いたり、言う場合、 前者のように丸括弧の中に更に丸括弧(二重丸括弧)をいれる場合であれば、 「いつどんな場合も」は「一個目の括弧内のすべて」にだけでなく、 「二個目の括弧内のすべて」にもかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? つまり、 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も誰であれ(いつどんな場合もどんな人でいつどんな場合もどんな様子でいつどんな場合もどんな言動をする人であれ)」 というような意味になっているでしょうか? また後者であれば、 「いつどんな場合も」は下記のように各ワードにかかっている(あるいは、既に含まれている)でしょうか? 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)から見て、いつどんな場合も「一人であれば」、いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「その一人を」、いつどんな場合も「多勢であれば」、いつどんな場合も「その一人ひとりが」いつどんな場合も「どんな人で」いつどんな場合も「どんな様子で」いつどんな場合も「どんな言動をする人であれ」、いつどんな場合も「そのすべてを」」 五問目: 「あまねく人々はすべて(いつどんな場合も)」(など)のように書いたり、言う場合、 「あまねく人々はすべて」は一つの単語として見て、これに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のか、 「あまねく人々(は)」と「すべて」のそれぞれに「いつどんな場合も」がかかっている(あるいは、既に含まれている)のでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.10

質問者からの補足を拝見しました。 >「他人(それが誰であれ)」(など)のように書いたり、言う場合、 「(それが誰であれ)」は「本人(あまねく人々すべて)」から見たらということになっているでしょうか? ⇒はい、構文上の文意から、そういう意味になりますね。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 またいくつか質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 一問目: 〉⇒誰から見てなのか明記しなくてもいいです。すべてそれぞれ誰から見てかは、「あまねく人々はすべて」からであり、「他人」からは関係ありません。また、「いつどんな場合(とき)も」はすべてそれぞれに既にかかっています。 と一つ前の質問に対するお答えを下さいましたが、 このような場合、 「いつどんな場合も」は、誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からにもかかっているでしょうか? つまり、 「いつどんな場合も「あまねく人々」から見て、 いつどんな場合も「どんな人で」 いつどんな場合も「どんな様子で」」 ということになっているでしょうか? 二つ目: 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人(それが誰であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが誰であれ)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり言う場合、 すべての、 「(それが誰であれ)」とそれが誰から見てに当たる「あまねく人々はすべて」からに 「いつどんな場合も」はかかっているでしょうか? 三つ目: いつどんな場合(とき)も、 「既にかかっているでしょうか?」と 「かかっているでしょうか?」は 何一つ変わらないでしょうか? いつどんな場合(とき)も、 「既に含まれているでしょうか?」と 「含まれているでしょうか?」は 何一つ変わらないでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)、 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人(それが誰であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが誰であれ)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり言う場合、 すべての 「(それが誰であれ)」には、 「いつどんな場合も」がかかっているでしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.9

質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 >「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 すべての「(どんな人でどんな様子で)」は、 「(どんな人でどんな様子で)」がそれぞれ誰から見てなのか、そして、それらがそれぞれいつどんな場合(とき)もなのか、をすべてそれぞれ明記した方がよいでしょうか? すべてそれぞれ明記しなくてもよいとすれば、 すべてそれぞれ誰から見てかは、「あまねく人々はすべて」からと「他人」からであり、「いつどんな場合(とき)も」はすべてそれぞれに既にかかっているでしょうか? ⇒誰から見てなのか明記しなくてもいいです。すべてそれぞれ誰から見てかは、「あまねく人々はすべて」からであり、「他人」からは関係ありません。また、「いつどんな場合(とき)も」はすべてそれぞれに既にかかっています。 それにしても、相変わらずごちゃごちゃした文を書きますねえ。率直に言って、一般的にはほとんど通用しないような文だと思いますよ。何度か申しましたが、もっと簡潔な文を書きましょう! >また、 すべての「(どんな言動(など)をする人であれ)」には、 その言動(など)をする当人が「いつどんな場合(とき)も意識的にも、いつどんな場合(とき)も無意識的にも」ということは既に含まれているでしょうか? ⇒はい、含まれています。

shinleo1918
質問者

お礼

さきの補足(の訂正)に加えもう1つ質問させていただきます。 「いつどんな場合も」と「いつどんな場合(とき)も」は何一つ変わらないでしょうか? ※さきの補足(の訂正)の二つ目と三つ目の質問ですが、 それぞれ「二問目:」、「三問目:」と訂正させていただきます。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)、 「他人(それが誰であれ)」(など)のように書いたり、言う場合、 「(それが誰であれ)」は「本人(あまねく人々すべて)」から見たらということになっているでしょうか? ※申し訳ありませんが、細かいニュアンスなど自分が書きたいことを書かないと気になってしまう質で、その結果見辛い見辛い文章になってしまっているかもしれません。

  • Nakay702
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回答No.8

質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 >「(意識的にも無意識的にも)」はどちらも 「ほとんど」と「見ていない」それぞれに別れてかかっているというより、 「ほとんど見ていない」という一つの否定形としてのまとまりにかかっているのでしょうか? また同様に、 「(意識的にも無意識的にも)」はどちらも 「ほとんど」と「見えてもいない」それぞれに別れてかかっているというより、 「ほとんど見えてもいない」という一つの否定形としてのまとまりにかかっているのでしょうか? ⇒はい、どちらの場合も「一つの(述部)否定形」のまとまりにかかっています。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 さらにいくつか質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 すべての「(どんな人でどんな様子で)」は、 「(どんな人でどんな様子で)」がそれぞれ誰から見てなのか、そして、それらがそれぞれいつどんな場合(とき)もなのか、をすべてそれぞれ明記した方がよいでしょうか? すべてそれぞれ明記しなくてもよいとすれば、 すべてそれぞれ誰から見てかは、「あまねく人々はすべて」からと「他人」からであり、「いつどんな場合(とき)も」はすべてそれぞれに既にかかっているでしょうか? また、 すべての「(どんな言動(など)をする人であれ)」には、 その言動(など)をする当人が「いつどんな場合(とき)も意識的にも、いつどんな場合(とき)も無意識的にも」ということは既に含まれているでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 さらにいくつか質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などやお答えなどを踏まえていただいているうえでお答え願います)。 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(どんな人でどんな様子でどんな言動(など)をする人であれ)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 すべての「(どんな人でどんな様子で)」は、 「(どんな人でどんな様子で)」がそれぞれ誰から見てなのか、そして、それらがそれぞれいつどんな場合(とき)もなのか、をすべてそれぞれ明記した方がよいでしょうか? すべてそれぞれ明記しなくてもよいとすれば、 すべてそれぞれ誰から見てかは、すべて「あまねく人々はすべて」と「他人」であり、「いつどんな場合(とき)も」はすべてそれぞれに既にかかっているでしょうか? また、 すべての「(どんな言動(など)をする人であれ)」には、 その言動(など)をする当人が「いつどんな場合(とき)も意識的にも、いつどんな場合(とき)も無意識的にも」ということは含まれているでしょうか?

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