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中継貿易
中2です。16世紀頃に行われたポルトガルの中継貿易について教えていただきたいです。 教科書には「ポルトガルはムスリム商人の下で栄えていたインド洋や東南アジア海域に進出して中継貿易を行うようになり、さらに中国や日本とも貿易を始めました」と書かれています。 これは、ポルトガルがインド洋や東南アジア海域の国と中継して、中国や日本に輸出入していたということですか…? そもそも中継貿易がどのようなものなのかがイマイチ分かりません… ポルトガルはどこの国と中継して貿易していたのか 詳しく教えてくださると助かります。
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まず中継貿易というのはある国が二国間の貿易を仲介する仕組みです。わかりやすく言えば転売ヤーを介したやり取りです。直接輸入し直接輸出する。その仲介となる国の立ち位置で貿易形態が決まります。例えば中継貿易で有名な琉球王国は教科書通りの説明だと通過貿易の様に感じられますが、当時彼の国の宗主国は中華帝国でした。つまり中華帝国の貿易中継国として機能していたわけです。これが完全に独立していたら通過貿易です。イメージ的には中継貿易は支社を使ったやり取り、通過貿易は倉庫を契約した上でのやり取り、と考えれば良いです。 よく混合されるため補足しました。 中継貿易のメリットは、関税や国家の制約を跨げる点です。関税は中継国を設けた方が安くなる場合。国家の制約は直接の渡航が各国間で禁止されている場合です。明と清がこれにあたります。 次にムスリムですが、彼らは香辛料貿易(レヴァント貿易)に先駆けて極東航路を開発しました。1時はヨーロッパを跨ぐ貿易を支配した彼らですが、オスマン帝国の地中海にかけた高い関税で衰退します。その後大航海時代において香辛料貿易が欧州民族で広まります。独りアフリカを周回してアジアへ進出し先駆けて海の通商帝国を築き上げたのがポルトガルです。 > これは、ポルトガルがインド洋や東南アジア海域の国と中継して、中国や日本に輸出入していたということですか…? その通りです。ムスリム商人が拠点とする島々を彼らは制圧し、貿易の中継拠点として運用しました。更に多くの場所を占領して、得たのはゴア、カリカットやスリランカ、ホルムズ島やモルッカ諸島や東ティモールやマカオ、マラッカや長崎など多岐にわたる。その中の特定の島々で行われた中継貿易がいわゆる南蛮貿易というやつです。この南蛮貿易というのはスペインとポルトガルが競って行った貿易のことですが、スペインは省きます。この貿易は各貿易拠点(インド、マラッカ、マカオ、日本)を軸として日本、中華帝国圏、インドで商品を流通させる仕組みです。三角貿易という貿易がありますが、それに似ています。中華帝国圏で作られた生糸や絹織物や陶磁器や薬を日本へ、日本からは銀や日本刀や硫黄や漆器などを中華帝国圏へ、中国からインドへは日本への輸出内容とほぼ変わらない。インドから中華帝国圏へは銀やワインやオリーブオイルを、このインドの銀は三重の通過貿易で運ばれたもの。更に東南アジア全体で沈香、蘇木や鍚、鉛や胡椒や竜脳や香辛料を、それを全てポルトガル商人やキリスト教関係者が仲介して中継貿易をします。他にも奴隷取引が有名です。 これらの国は遠すぎたり、正常に国交を開けていない国が対象となりました。 拙い文章と長文で申し訳ない。それにまだこれらが間違っている可能性もあるため、ご自身でお調べになるのが1番だと存じます。
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- nagata2017
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ポルトガルが本国から日本に来るには アフリカの南端 喜望峰を越えて来るので非常に長い時間かかります。 嵐や疫病のリスクもあり 商売としてはなかなか困難な事業です。 しかしその途中にある国と国の間で商売をすればより安全に短時間で利益を生み出すことができます。 それが中継貿易のメリットです。
お礼
ご回答ありがとうございます…! とても分かりやすいです
- gunsin
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東アジアでは琉球王国が中継貿易の拠点でした、この事をWiKiで 調べれば、中継貿易は理解ができるかと。
お礼
ご回答ありがとうございます! Wikiで調べてみます!
お礼
丁寧なご説明をありがとうございます とても勉強になります…!