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備中国成羽藩の藩主に関する質問
Wikipediaで備中国成羽藩藩主を調べたところ、初代・治正から3代・治敏の名が書かれてあり、初代と2代までが藩主と書かれている事には納得がいくのですが、3代目の治敏の頃は版籍奉還してから家督を譲られているので藩主ではないと思うんですけど、どう思いますか? 藩主は藩主、知藩事は知藩事ですよね? Wikiが誤りなのか何なのか教えて下さい。
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- D-Gabacho
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たしかに、藩主の定義は「藩の領主」とされているので、領地を朝廷に返還した版籍奉還以後は、藩主ではないといえます。 ご指摘の成羽藩知事・山崎治敏にしても、Wikipediaと違って藩主とはしていない人名事典もあります。 ただ、学問上の定義と世間的な呼称は必ずしも一致せず、明治20年の『華族名鑑』や明治36年の『人事興信録』で、山崎治敏は「旧備中成羽藩主」となっています。 また、同じように版籍奉還後に知藩事となった壬生藩の鳥居忠文について『壬生町史 通史編2』は「最後の壬生藩主」としています。 知藩事も含め藩主とされている場合も少なくありませんから、一概に間違いとはいえないと思います。 コトバンク 藩主 https://kotobank.jp/word/%E8%97%A9%E4%B8%BB-606521 人事興信録データベース「山崎治敏」 https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who1-2040 華族名鑑 71/118コマ https://school.nijl.ac.jp/kindai/YUTK/YUTK-00149#71 壬生町史 通史編2 p157 https://adeac.jp/mibu-town/viewer/mp010010-100010/mibutsushi2/?p=157
- yamada82
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版籍奉還後もしばらくは藩が残っているので、役割は変わったとしても知藩事=藩主と考えても良いのではないでしょうか。 あまり厳密に決めると、江戸時代、「藩主」は公式には存在していないという考えも出てきます。