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水戸徳川家の第5代藩主について
- 水戸徳川家の第5代藩主には、徳川宗翰が継いだ。
- 徳川将軍家では、一般的には側室との間に生まれた一番年上の男子が継いでいたが、水戸徳川家では例外があった。
- 水戸徳川家では、徳川宗尭と美代姫の間に生まれた次男、徳川宗翰が継いだ可能性がある。
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水戸徳川家の5代目は、徳川 宗翰ですね。 で、徳川 宗翰の父が徳川宗堯で、母が徳川宗堯正室であるかどうかは手元の資料にはありませんが、側室と正妻のそれぞれに男子がいる場合、側室の子が先に生まれても、正室の産んだ子のほうが長子という扱いだったと理解しています。 側室同士の産んだ子の場合は、先に生まれた方が長子ですが。
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- fujic-1990
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1番回答者補足です。 織田信長は信秀の子ですが、次男だったか、三郎と言っていたので三男かです。長男ではなかったのですが、家を継ぎました。 信長が正妻の子だったから、らしいです。 そうなるのは、正妻は好き嫌いではなく、家と家をつなぐために結婚するものだったからでしょう。裏切れない。 例えば甲家と乙家が争いを止めるために、甲家の娘Aが乙家の長男に嫁ぐという条件で和解したとします。体の良い人質です。 なぜ甲が娘を人質に出すのか、と言えば、Aが男の子を産めば、その子が乙家の跡継ぎになるという暗黙のルールがあったからです。甲にとっては、自分の血が乙家に入るからです。半分、乗っ取りです。 前回の回答では、側室の子同士では早く生まれたほうが兄になると書きましたが、側室(母親)の身分に明らかな差がアル場合は、身分が上の子が兄になる場合もあるようです。 信長の次男と三男では、生年月日にたいした違いはないものの、母親の身分が違って信雄が兄になった、という話を読んだ気がします。
- ithi
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Tomiko-Sakiさん、こんにちは。 そりゃ、側室の生んだ男子より、正室の生んだ男子の方が世継ぎになるのが仕来りですからそうなるでしょう。また、正室の生んだ男子の幼名が代々嫡子が名乗る鶴千代ですから、最初から世継ぎになることは確定です。 詳細は下記のURLを参照ください。 徳川 宗翰(とくがわ むねもと) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E7%BF%B0