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何故薩長同盟を結べたのでしょう
対立していた薩摩と長州は坂本竜馬の仲介で同盟を結んで倒幕に動き出しました… しかし…藩主同士(薩摩の島津公と長州の毛利公)で話し合って締結 と言うなら分かりますが 同盟交渉に当たったのは1薩摩藩士の西郷と1長州藩士の桂(木戸)です まして 土佐を脱藩してお尋ね者だった坂本竜馬が仲介に入って ですから余計に不思議です 西郷と桂は藩から藩主の名代みたいな形で交渉に出たのでしょうか? もしそうじゃないとしたら この2人が勝手に交渉して同盟結んだ事にもなります お互いの藩主は納得と言うか受け入れたのでしょうか? そして坂本竜馬の仲介は信用できたのでしょうか?
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確かに西郷桂クラスでは藩外交を任せ藩の命運を託すにはあまりに卑賎です。 ですがこの時代の藩外交は京都を中心に周り、どこの藩も今日に居る藩士の暴走に任せしぶしぶ追認するしかない状況です。 いちいち遠い国元にお伺いを立てていては時流に乗り遅れます。 まあ乗り遅れた藩が大半で、薩摩は動きが早かった・現場の暴走を許したからうまくいったとも言えるのでしょうが。 竜馬の場合身分は脱藩浪士、政治的立場としては七卿(すでに死んだ公卿もいますが)を大宰府で守ってるのが土佐脱藩浪士ということくらいでしょう。なので竜馬は仲介人として名を連ねていますが、彼に仲介人としての価値は正直そこまで重くありません。 約を違えたときどちらが違反したかというのを世間に証明するという意味では竜馬(土佐浪士)でも世間に名前が通っていますので通用するでしょうが、逆にいうとそれまでです。 盟約を守らせるだけの重みのある立場でもありませんし、そもそも竜馬がいつまで生きてるかさえわかりませんしね。どちらかというと竜馬が薩摩名義で武器を仕入れ長州に密売する、武器ブローカーの当事者として名前を連ねている意味合いが強いです。
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- hekiyu
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西郷と桂は藩から藩主の名代みたいな形で交渉に出たのでしょうか? ↑ 実質上、西郷などの実力者が藩を動かしていたからです。 長州の藩主などは実力のある部下の言いなりでしたし、 薩摩に到っては、西郷が藩主を騙したような感じになって います。 長州の藩主は、言いなりだったので「そうせい公」と 揶揄されていました。 明治維新後、薩摩の藩主は、西郷に騙された、と 憤慨しています。 西郷は、薩摩藩主が将軍になれるようなことをほのめかして いたと言われています。 そして坂本竜馬の仲介は信用できたのでしょうか? ↑ 坂本龍馬は人工的に創られた英雄だとする 見解が有力です。 当時無名だったのに、維新後マスコミが取り上げる などして、有名になった人物で、実際は 西郷の使い走りに過ぎなかった、と言われています。
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- whaihansei
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当初、薩摩藩は徳川を支持し、会津藩らとともに 長州征伐に参戦した。 しかし前年、薩英戦争を契機に英国と接近した薩摩 藩は接極的には行動しなかった。 むしろ幕府側から討幕派に変わることにより政権を 握れる可能性が高いことを認識した。 これが第二次長州征伐には参戦しなかった理由である。 そして長州側の圧勝で確信した。 薩長の密約により渡した英国製の武器は圧倒的なもの だったのである。これで「勝てる」と。 この間結ばれた薩長同盟は当初、長州の反発により上手く いかなかった。 が、英国製の武器と薩摩藩の合流が「了解」を形成した。 長州も下関戦争で英国ら四ヶ国連合艦隊に完敗していたし、 また国内では孤軍であった。 このネゴ、手続きに龍馬(亀山社中)ら身軽な志士が活躍した のである。
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- mpascal
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長州藩の幕末史を読めばわかりますよ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E8%97%A9#.E5.B9.95.E6.9C.AB
お礼
何でもウィキペディアを持ってくるのは好きません
お互いに利害は一致してたから。 感情さえ抜きにすればとても合理的な案だったから。 竜馬の口がうまかったから。 だと私は解釈しています。
お礼
ありがとうございます
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ありがとうございました