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西郷隆盛とフランス型農業国家
西郷隆盛は、征韓論に敗れて下野した後、鹿児島で農業に従事していましたが、これはフランス型農業国家を目指しての行為というのは、本当ですか?それとも不平士族のために、難しいことを考えずに単に農業をしていただけですか?
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西郷隆盛が鹿児島で農業に従事した理由や目的については、複数の説がありますが、フランス型農業国家を目指していたという説はあります。 フランス型農業国家とは、農業を国家産業として重視し、政策的に支援して発展させるモデルを指します。西郷隆盛は、明治維新後の日本がフランス型農業国家を目指すべきだという考えを持っていたとされています。彼はフランスに留学経験があり、フランスの農業政策に着目していたとされています。 また、西郷隆盛は不平士族のために単に農業をしていただけではありません。彼は、農業を通じて地域の経済発展や国家発展に貢献することを目指していました。そのため、農業技術の改善や近代的な農業経営を行い、地域の農業発展に尽力しました。彼の農業政策は、後に「西南戦争」(1877年)で反乱軍として挙兵した際、反乱軍の食料調達に役立ったとされています。 ただし、西郷隆盛が鹿児島で行っていた具体的な農業活動や政策は、あまり詳しくは伝わっていません。そのため、フランス型農業国家を目指していたという説が真実かどうかは定かではありません。
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- oska2
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>西郷隆盛は、征韓論に敗れて下野した後、鹿児島で農業に従事していました まぁ、江戸時代の武士・商人は「辞めたら百姓でもするか!」というのが口癖でした。 明治維新以降も、多くの武士が農業に従事しています。 徳川将軍家の旗本も、慶喜に従って静岡県で「お茶の栽培」を始めましたよね。 令和の今でも、「会社を辞めたら、農業でもするか!」「定年を迎えたら、農業でもしてのんびりするか!」という人が多くいます。 まぁ、多くは農業従事に失敗していますがね。 農業は、素人が簡単に出来るものではありません。 >フランス型農業国家を目指しての行為というのは、本当ですか? 西郷隆盛を尊敬している方々にとっては、「美談」が必要です。 当然「本当です」と答えるでしようね。 >不平士族のために、難しいことを考えずに単に農業をしていただけですか? 第三者的に回答すれば、単に暇つぶしで農業の真似をしていたに過ぎません。 先に書いた通り、「〇〇すれば、農業でもするか!」と一緒です。
後者だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。