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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:同じ韓国支配でも西郷隆盛が目論んだものは政府の方針とは異なるのでしょうか?)
西郷隆盛の韓国支配:政府方針との違いは?
このQ&Aのポイント
- 質問者は、西郷隆盛の征韓論と後の韓国併合への道程の方針について疑問を持っています。
- 購入した雑誌の一部によると、西郷隆盛は韓国の王宮を訪問する際に軍隊を連れず、礼儀作法を重視した方針を出したとされています。
- このような情報から、西郷隆盛の主張した征韓論と政府の方針とは異なる可能性があることが示唆されています。
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質問者が選んだベストアンサー
西郷隆盛は、いわゆる「征韓論」を主張したと学校の歴史の授業ではならいますが、彼の実際の発言を調べるとそうではないことがわかります。 政府の公式な会議の場での発言は、李院長の言う様に軍隊を連れず丸腰で当時の李氏朝鮮に訪れるといったのです。 つまり西郷の本意は、板垣退助らのような軍事力行使ではなく、あくまで外交で決着をつけるというものでした。 後の大久保利通らとの政争の関係で、西郷と板垣たちをまとめて「征韓論」と今までの歴史授業では区分していましたが、西郷の本心が外交にあったとする考えから、西郷だけ「遣韓論」だったという意見が近年になって研究者の間から出てきています。 参考:『(西郷隆盛の生涯)西郷の遣韓論』 http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm
お礼
回答ありがとうございます。 西郷隆盛が参考URLのような言動をとったことは知りませんでした。 李院長のような韓国人でなく、日本人の私が聞いても西郷隆盛には頭が下がる思いです。 あと、質問文の中に間違いがありましたのでこの場で訂正します。 (誤)韓国精神文化研究員 (正)韓国精神文化研究院