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征韓論(明治維新)について
- 幕末・維新の頃の本を読んでいますと、「征韓論」というのが出てきます。私なりに、おおざっぱに理解したところでは、その背景として(1)不平士族対策(2)ロシアの南下に対応する対策というのがあったようです。
- 「征韓論」が留守番組と視察団組の対立の火種になったということのようです。
- 質問1=征韓論を理解する上で、上記のおおざっぱな把握に、追加すべき重要な事項はありますか? 質問2=「征韓論」が出てきた背景としては、(1)と(2)のどちらが大きいと思いますか?感覚的なものでかまいません。(1):(2)=7:3などと回答していただければありがたいです。又、他にも要因があるのであれば、教えて下さい。 質問3=「ロシアの南下に対応する対策」というのは、何となく理解できますが、背景に、いくらかでも「不平士族対策」があったとすると、いくら国内事情とは言いながら、客観的に見れば、「日本も帝国主義化(あるいは帝国主義化せざるを得なかったとしても)していた、のではないか?」と見られても、おかしくないですよね。「日本の帝国主義化」というのを否定する説明はありますか? 質問4=参考書により、「留守番組と視察団組の対立」と記述しているものもあり、「西郷隆盛と大久保利通の対立」と記述しているものもあります。極端に言えば、「征韓論」などはどうでも良いのであって、「主導権争い」の道具にされたに過ぎないと。このように考えると、「佐賀の乱」も何となく理解できるような気もするのですが、この「対立」というのは、どのように理解すれば良いのでしょうか?単純に、「留守番組が、視察団組の留守中に勝手に振る舞った」結果の対立なのでしょうか? それとも、もっと根深い対立があったのでしょうか?
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質問1 これで合っていると思いますが。 質問2 これは難しいですね。 秀吉の朝鮮出兵と同じです。 大局的にはロシアで、直近としては武士対策 ということでしょう。 質問3 半島は、日本の安全保障の要なのです。 幕末以来、日本は列強の侵略に怯える毎日でした。 列強が侵略してくるとなると、それは半島経由で あろう、ということです。 元寇も半島経由でした。 その後の日清日露戦争も、まさに半島を巡る戦争 だった訳です。 後年、米国は、キューバにミサイル基地ができると いうことで、第三次大戦覚悟で海上封鎖に出ました。 隣国に強力な軍事基地が出来る、というのは 大変なことなのです。 平和惚けした現代日本人は、そういう軍事的見地 から世界を見る目を失ったのです。 だから、現代でも、何かと韓国を援助する理由も理解できない のです。 韓国が北や中国にとられたら、日本の安全保障は 危殆に瀕します。 質問4 勿論、根っこは権力闘争でしょうが、その大義名分と して、征韓論があった訳です。 これは壬申の乱なども同じです。 路線を巡る争いと権力闘争がセットになっているのです。 征韓などやっている場合ではない、それよりも国内整備 が先だ、列強の軍事力はすごいぞ、という派と だからこそ征韓だ、という派が対立したのでしょう。 なお、征韓論の西郷隆盛の書見には 「反日激しい韓国に行けば、おいは暗殺されるだろう。 それを口実に征韓ができるだろう。 だからおいを韓国に派遣しろ」 という記載が残されています。 ここから次のことが判ります。 1,韓国はあのときから既に反日であった。 だから韓国の反日は、日韓併合が原因では無い。 2,西郷は死に場所を求めていた。 後の西南戦争の解釈の参考になる。
お礼
ご回答ありがとうございました。 質問2は愚問だったかも知れません。征韓論者の西郷と江藤でも、必要と考える背景は異なっていたかも知れませんね。 質問3に対するご回答は、西尾幹二や渡部昇一が展開しているような気がしますので理解できます。「だから、現代でも、何かと韓国を援助する理由も理解できないのです。」というのは、卓見だと思います。そこまでは、考えが及びませんでした。……しかし、あの国は???……割り切れなさは残りますね。(笑) 「1,韓国はあのときから既に反日であった。だから韓国の反日は、日韓併合が原因では無い。」……わかります。もっと根っこが深いですよね。「韓国の反日」の源泉は何だろう。今、少し関心を持ち始めているところです。 「2,西郷は死に場所を求めていた。後の西南戦争の解釈の参考になる。」……他の人とタッグを組まない。自尊心が強い人でもあるし、孤独な人でもあったかも知れないと、考えています。