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参勤交代で他の藩内を通行するとき
参勤交代をするには、他の藩の領地を通過しなければならなかったでしょうが、街道なら自由に通過できたのでしょうか。それとも、通過する各藩に通知を出すとか、許可をもらうというようなことをしたのでしょうか。
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他藩の領内を通過する時は使者を送って挨拶をし、迎える側も街道を整備してもてなしました。 史実かどうか判りませんが、明石藩の15代松平斉宣ですが、尾張藩領を通過中に猟師の源内というものの3歳になる子供が行列を横切ったのに立腹し、切り捨てるという事件を起こします。 尾張藩は激怒し、御三家筆頭の面子にかけて今後の通行をお断りすると通告したため、行列を立てずに町人や農民に化けて通過したとか。 因みに、行列を横切ると切り捨てご免は許されてますが、産婆は横切ってもよいことになってます。 この話も3歳の子供相手に大人気ない振る舞いが批判されたものと思われます。 お芝居ではその後源内は木曽路で斉宣を狙撃し、息子の仇を討ったことになってますが、本当かどうかは・・・・?
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- 6dou_rinne
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参勤交代は幕府に対する義務でしたから特に通行に許可をもらう必要はありませんでした。 しかし、いつ通過するというような連絡は、先発の家臣が先行していましたので、その藩の担当者や宿場にはしていました。 ですから、いろいろと因縁がある藩の場合は、そこを通るほうが近くても、わざわざ遠回りして違う道を通ることもありました。 そのため、通過されるほうの大名はいろいろ気を使って贈り物をしたり、船を提供したり便宜(これを馳走という)を図りました。 しかし、贈り物をもらったりすることはかえって気を使ったりするので、だんだんとやめてくれるように交渉したりしてなくなっていきましたが、渡し船を提供したり道を整備したりする馳走はずっとありました。
お礼
ただ黙って通過はないであろうなとは想像していました。やはりいろいろと双方に気遣いがあったことが分かりました。これも気疲れがすることだったでしょうね。単に参勤交代と一口で言っても、あまり知られていない面が数多くあったに違いないと思っていました。ありがとうございました。
- waltzende
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武装して通過するわけですから、もちろん必要でした。 宿の手配等も大変ですからね。 また、封建時代=暗黒時代という史観が永らく続いたため、「大名行列の前を横切った子供が無礼討ちに…」といったようなイメージがあったりしますが、これは嘘です。大名が公然と他国の領民を害することは基本的にNG。 ついそれをやってしまったがために、周囲の藩から総スカンを食らって、通行許可が取れなくなりえらく遠回り(=旅費が莫大に…)して参勤交代をする羽目になった大名もいたと聞きます。
お礼
そうですね。他藩の領民ですから、むやみに手討ちということは問題でしょうね。それから、ただ通過するのみでなく、大人数を泊める宿の手配は本当にたいへんであったと想像できます。ありがとうございました。
お礼
時代劇映画のようには、すぐに切り捨て御免とはいかなかったのですね。藩と藩とのぶつかりあいにまで発展してしまうことになりかねないわけですね。たしかに、挙げられた例では、大人げない振る舞いですね。まさに、それこそ時代劇にぴったりの事件ですね。ありがとうございました。