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ニーチェの言葉「問うてはならない」の意味とは?
- ニーチェの言葉「問うてはならない」は、疑問を抱くことや答えを求めることを禁じる意味があります。
- この言葉は、唯一の道に従って進むことの重要性を強調しており、他人に答えを求めることや結果を気にすることに意味を見出さない姿勢を表しています。
- ニーチェは、人生の目的や意味を追求することが大切であり、自らの道を信じて進むことが重要だと考えていました。そのため、「その道はどこに行き着くのか」と問うことは意味がなく、ただひたすら進み続けることが求められているのです。
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>ニーチェはなぜ「問うてはならない」と言ってるの? ⇒「問われても分からない」というのが、主たる理由というか、本音らしいです。その真意あるいはいきさつが、ニーチェの言行録に暗示されているように思います。 「この世から偶然を除けば、何の面白みがあるというのか。ひょんなことが起きればこそ、我々は拍手喝采して、陽気に暮らせるのである。」(→ワシに偶然が分かるはずはなかろう。) 「そもそも、事物の真の存在には秩序・体系性が当然のことであり、これに反して、無秩序・混沌・予測不能は誤った世界のうちに、認識不十分な世界のうちにのみ現れると見ること、要するにそれを一種の誤謬と考えること、それこそ根本的な偏見である。」(→無秩序・混沌・予測不能こそ、この世の真の姿であり、面白いところだ。だからこそ、それを人に尋ねるのでなく、ひたすらきみがみずから歩んで、みずからの目と耳で実感することこそ、きみの通るべき道なのだ。そうすることで、あわよくば、その先の地点をみずから見極めたまえ。)
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- ノーバン(@nobound)
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ある、神についての本を読んだら、神は、賢い親と同じように、人の生き方について、そのプロセスについてはあまり気にせず、結果について深く懸念する。と書いてありました。 それは、親が子に対しても同じです。子がどういう生き方をしてもいいけど、良い結果をもたらしてほしい。 しかし、ニーチェは、「神は死んだ」と言っているので、その人の道の先がどうなるかについては、おっしゃるように、よくわからないと思っている。 つまり結果を深く懸念してもしょうがないから、それは問わずに、とにかく前に進めということでしょうか。ある種、先が見えない厳しい世界観です。 逆に神の世界とは、別にお花畑ではなく、プロセスは本人に任せるけど、結果を重要視する。キューバ危機なども、かなりの修羅場でしだが、人の判断もあって結果は良い方向に向かいました。 はたして、ウクライナ危機は、良い方向に向かうのか、など、もし神がいるならどうして?と思うようなことは、その結果が大事である、だと思っています。
- nihonsumire
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いろんな解釈が出来るのだと思います。自分なりに、答えを見つけることこそニーチェが望んだことのように思えます。 こうあるべきだと目標を定めてきた19世紀の西欧は、息詰りを迎えることになりました。そして世界の中に投げ出されている私たちは、問うことによって単一の意味を持たせようとしています。しかし、違う選択肢もあるんだよと言いたかったのではと思います。まぁ、哲学的には、私の回答は正しくないかもしれません。
- 5555www
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ニーチェはなぜ「問うてはならない」と言ってるの?……ニーチェは「頭が良すぎた」のと「暇だった」だけだと思いますね。普通の人はそんなこと考えません。ニーチェの個人的な悩み、個人的な思い込みだと思います。人間、80億人いても、100億人いても、皆、ひとりひとり異なる人生を歩んでいます。考え方から、性格から、生きている環境から、すべて異なるのです。ニーチェの言葉を待たなくても、当たり前のことです。その生き方を問うてみても、解決しないということだと思います。 ただ、ニーチェの弁護をしてやると、「我が道を行きなさい」といっているだけだと思います。それだけ、ニーチェ自身は、「他人の自分を見る目」が気にかかっていたのだと思いますね。 唯一の道だから、他人に聞いても、どうせ分からないから、質問ことが無駄、ということでしょうか?……質問してみても、「解決はしない」ということだと思います。他人の目を気にするかしないかはそれぞれですが、「我が道を行く」ことの大切さを説いているのだと思います。そんなことニーチェに言われなくても、当たり前じゃんか、と思いますけど。 あるいは、「どこに行き着くのか」は問題ではなく、……そんなことはないと思います。人間って、目標があるからこそ、頑張れるということがあります。ニーチェには、その目標がなかったのかもしれませんね。 「ひたすら道を進む」ことが大事なので、「質問するな!」と禁圧しているのでしょうか?……「禁圧」というよりも、そんなこと考えても何の意味もないというニーチェ自身の「無力感」もあると思いますね。 でも、疑問に思ったことを「質問するな!」という姿勢は、哲学者としては、どうなのでしょうか?……???文意が分かりませんが、誤解を覚悟のうえで私見を述べると、ニーチェは単に、他人がどう思おうと「我が道を行きなさい」といっているだけだと思いますね。ニーチェ自身の悩みだったのかも???