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ニーチェの《生きる》からソクラテスのそれへ!?
- ニーチェの思想に対抗するならソクラテスの思想になると思います。
- 善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。ソクラテスの思想は難しいですね。
- ニーチェにおいて《生きる》とは? ソクラテスの《善く生きる》とは?
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NO1のお礼にあるアルキビアデスの名を見て、眠り猫、混乱中。 このアルキビアデスは、プラトンの饗宴に出てくるアルキビアデスですよね~。 絶世の美少年(美青年)で、才気煥発な男の子。しかも、ソクラテスのかつての恋人であり、彼の弟子の一人。饗宴の後半部、その場面に突如乱入して、演説を始める。ソクラテスがいかに義いアテナイ人であったかを熱く語る。「僕はそのことを期待していたんだけれど、(こんなに美しい)僕に指一本触れないんだもの、困ったもんだ」という恨み節も混じっていたりするのですが(古代ギリシアの少年愛!!) このアルキビアデスとソクラテスの死が、僕の頭の中では、どうしても結びつかない。困った。 ソクラテスが訴えられた訴因の一つに、青少年を堕落せしめたというものがありますけれども、これが関係するのですかね。しかし、プラトンのアルキビアデスの描き方を見ると、プラトンはアルキビアデスを肯定的に描いているので、彼を高く評価していたと思うのですよ。困ったな~。 ☆☆☆☆☆☆ ソクラテスの弁明を見ますと、有罪が確定した後、ソクラテスには四つの選択肢があったことが分かります。 1 罰金を払う 2 投獄 3 国外追放 4 死刑 1~3の選択肢は、「死が悪いかどうか分からない」、「(わたしが)命をどうして惜しむだろうか」などの理由から、彼自身によって退けられます。 つまり、彼は自ら《死》を望んだということになりますね。 「わたしを死刑にするように」、アテナイ市民に求めたわけです。 プラトンのデルポイ・死の神学と言いますか、「死は生にまさる」といった思想が見え隠れするような。。。。。。 パイトンでは、プラトンはソクラテスの口を借りて、 「人間にとっては、生より死がのぞましい」 と明言していますので。 クリトンでは、脱獄・逃亡を薦める友人が 「あなたには(幼い)子供がいるでしょう。あなたが育てないでどうするんですか。その責任を果たさないのか」 などと、ソクラテスに迫るんですけれども、この問いには答えていないんですよ。 ソクラテスが、自ら信じる正義のために死ぬのは勝手なのですけれども、ソクラテスの幼い子供は、乳飲み子だったらしいんですよ。 (奥さんのクサンティッペが、乳飲み子を抱えて、ソクラテスの面会にきたと、プラトンはどこかで記しているそうです) やっぱ、命、生命を軽視しているんのではないか。 そんな気がしてならないんですよ、僕は。 ☆☆☆☆☆☆ さらに、ソクラテスの死の問題を拡大します。 (眠り猫の頭は、混乱の渦の真っ只中。思考がどこまでも拡散し、収束の糸口が見つからない!!) ソクラテスの死とよく似た問題を扱った、有名なギリシア悲劇があります。 ソポクレスの《アンティゴネ》です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B4%E3%83%8D%E3%83%BC 国王クレオンは、謀反人であるポリュケイネスの埋葬を禁じます。プリュケイネスの妹であるアンティゴネは、その禁令を犯し神々のオキテに従って、兄を埋葬し、その結果、死刑になります。 ソクラテスの死と構図の違いはありますが、取り扱われているのは、人為的な法と神々の定めた法(普遍法)の上下関係と、その結果もたらされる《死》です。テーマは非常によく似ている。で、アンティゴネのほうから、ソクラテスの死の問題を見ると、ソクラテスは人為的な法に従わず、神々の法を優先し、そのことを怒った人々によって殺されたとなります。 ソクラテスは、信仰の人で、偉かった、となりますかね。 あるいは、人為的・恣意的な法に従わず、普遍法に従って、それに殉じた。 なのですが、そこはギリシア悲劇、単なる殉教話で終わらない。 アンティゴネの父親は、実の父親を殺し、実の母を妻にしたオイディプス王(エディプスコンプレックスの語源の人)。彼女の血は、神々によって呪われているんでげす。彼女の死は、運命的なものであって不可避なものなんです。死によって、はじめて彼女は救済されるんでげす。 やっぱ、この悲劇にもプラトン・デルポイの死の神学的なものが出てくるんですよ。 アンティゴネは、劇中で、現実の世界ではなく、死後の世界への憧れを述べたりしているんでげすよ。現実をしっかりと受けとめ、それをすべて受け入れつつ、その一方で現実世界を否定し、あの世の憧れている。現実世界を否定している。強く拒絶している。 ソクラテスにも、こうした古代ギリシア的な考え方があるんじゃないですかね~。 現代的な考え方では説明できない、行動様式、死の美学(or生の美学)があったんじゃないですかね~。
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- NemurinekoNya
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NO1に続きます。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論。《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。理屈抜きと言うべきか。公理と言うべきか。これが 人間の自由だと言うべきか。 ~~~~~~ アブラハムにおいては。アブラハムと神との間においては。 しかし、モーセの《なんじ ころすことなかれ》については、疑問です。 旧約聖書において、エルサレムに至るまでに、大虐殺を行っていますよね。旧約の記述では、むしろその数を誇っている。表面的には、そう感じられます。 なので、モーセの《なんじ ころすことなかれ」は、異教徒には適用されないのではないか、という疑義が浮かびます。 このオキテが万人に適用されるようになったのは、イエスの出現以降ではないのでしょうか。 モーセやモーセの後継者は、神からのこのメッセージを誤解したということになるのではないでしょうか。 ~~~~~~ 2-5. ソクラテスの場合は けっきょく自分の弟子にあたる人間ふたりがアテネの町に害を及ぼしてしまった。人びとはその教師ぶりをうたがってとがめた。ソクラテスは――先ほどのマウドゥガリヤーヤナの場合ではないでしょうが―― このような自分の仲間としての弟子たちにしろ一般の市民たちにしろその咎めを受け容れ死刑のさばきにも甘んじた。のではないか? ~~~~~~ についても、わたしは懐疑的です。 ソクラテス誕生は、例のデルポイ神殿の「ソクラテス以上の知者はいない」という神託。そして、ソクラテスは、この神託の真偽のために、世で賢者とされる人を訪ねて、議論を重ねた。 ここにあるのは、ソクラテスとアポロンという神の関係性のみで、他者との関係性はありません。他者は、単にその道具に使われたと言ってもいいでしょう。 そして、ソクラテスは、「自分がおバカであることを知っているぶんだけ、自分は他の人よりもすこしお利口だ」と気づきます。さらに、「真の知者は神のみである」という結論に至ります。そして、そのことを他の人に伝えることが、神から自分に課せられた使命であると悟り(?)、その活動に専念します。この時、ソクラテスの心の中に、自分とアポロンなる神以外の関係性が存在したのか、わたしには結構、疑わしく思われます。少なくとも、ソクラテスの弁明やクリトンを読むかぎり、この文脈を越えていないと思います。 「真の教師は、弟子の徳・アレテーを引き出すもの」と言った考え方は、ソクラテスの弁明やクリトン以降に現れるものであって、実在のソクラテスというよりは、プラトン・ソクラテスの色彩が強いのではないかと。 眠り猫は、こう考えています。 ~~~~~~ おそらく《善く生きる》にしろ《生きる》にしろ アテネの町の人びとにおいてさらにさらに熟慮を持ち得た〔のにそれを打ち切った〕のではないだろうか? ~~~~~~ 結果的には。しかし、ソクラテスの弁明には、死刑の判決後、「この判決はあなたがからのわたしへの喜ばしい贈り物であって、わたしが正義であることが証明された」みたいなことを、ソクラテスはのたまわっていますよね。 ソクラテスは自己完結で終わっていたのではないでしょうかね~。 ソクラテスは、他者のことを眼中になかったんじゃないですかね~。 他者は見えていなかったんじゃないですかね~。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 3. ● 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化 するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》 ~~~~~~ ニーチェのこの言葉は、ニーチェ自身の思想と矛盾しているような気がします。 なぜならば、「現実をすべて肯定的に受け入れる」、これがニーチェの立場だと思うからです。 加齢による身体の弱体化、老化は、超人であろうが何であろうが、生き物であるかぎり不可避な事象です。残酷で仮借のない態度をとったところで、この現実は変えられない。甘んじて受け入れなければならない。心持ちはともかくとして、この残酷な事象の超越はありえない!! ニーチェは、肉体の老化や弱体化を強く実感しないうちにおっ死(ち)んだ───あるいは、気づいていながらあえてこの事実から目をそらしていた───から、それで構わないのかもしれませんが、これでは現実的な解決にならない、と思います。 体は心と同様に大切な存在ですよ。 「肉体を必要以上に過大視してはいけないように、軽視してもいけない!!」と思います。 ~~~~~~ ☆ これは 《あらゆる弱化するもの 老化するもの》というのは 《歳を取ることにおいていわゆる自然に反する考えや振る舞いをおこなうことによってシガラミを増し加えるかのごとく現われて来る老弱化のそのこと》であると採ればよいかも知れない。 ~~~~~~ ならばアリかなとは思うのですけれども、ニーチェの思想は違うのではないですかね~。 精神の若々しさを保つことは重要だとは思うのですけれども、これを《未熟のままでいい》と勘違いする人も世の中には結構多いですから。 むしろ、《精神的に大人になる》《シガラミを作り、その中に生きる》ことが今日的な課題なのではないですかね~。
お礼
つづいてです。 3. 死についてのアブラハムおよびモーセ ★ ~~~~ なので、モーセの《なんじ ころすことなかれ」は、異教徒には適用されないのではないか、という疑義が浮かびます。 このオキテが万人に適用されるようになったのは、イエスの出現以降ではないのでしょうか。 ~~~~~~ ☆ 民族という単位体が・つまりその内外という区別が 大きく立ちはだかっているようです。 その当時 民族どうしのあいだでは弱肉強食の世界だったと言うべきなのでしょうか。そうでもないのに よそ者に対しては対立・敵対していたのでしょうか? 4. ふたたびソクラテス ★ ここにあるのは、ソクラテスとアポロンという神の関係性のみで、他者との関係性はありません。他者は、単にその道具に使われたと言ってもいいでしょう。 ★ この時、ソクラテスの心の中に、自分とアポロンなる神以外の関係性が存在したのか、わたしには結構、疑わしく思われます。 ★ 「真の教師は、弟子の徳・アレテーを引き出すもの」と言った考え方は、ソクラテスの弁明やクリトン以降に現れるものであって、実在のソクラテスというよりは、プラトン・ソクラテスの色彩が強いのではないかと。 ☆ 全面的にそこまでわたしは言い切らないというのは このソクラテス観は プラトンの作品に登場するソクラテスが どうも論理だけを追っていると見られる部分がところどころ出て来る。しかもそのときには 相手に容赦なく最後まで言い尽くす。といった語り口がわざわいしているように思うところがあるからです。 それでもそこで自分の意見が論破される人たちも あんがいソクラテスに対して負けたとしても対等な立ち場でものを言っているようにも思えるところが すくいかも知れません。 それもプラトンの脚色であるとすれば ソクラテスの位置づけは確かに狭いと言いますか半ば閉鎖的な場に自分を置いているのかも知れません。 あるいは別様に解釈すれば 対話がおこなわれるということが主役であって 人物像は二の次であったというようなことは どうなんでしょう あったか。なかったか。・・・生半可のままですが。 5. ニーチェと死 ★ ~~~~~~ ● 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化 するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》 ニーチェのこの言葉は、ニーチェ自身の思想と矛盾しているような気がします。 なぜならば、「現実をすべて肯定的に受け入れる」、これがニーチェの立場だと思うからです。 ~~~~~~~~~~ ☆ あるいは 自分にとってと他人にとってとを分けていたのでしょうか。 自分にとっては 《「現実をすべて肯定的に受け入れる」》。他人における老弱化は 突き放す。《同情をしない》。いや 分かりませんが。 ★ 「肉体を必要以上に過大視してはいけないように、軽視してもいけない!!」と思います。 ★ 精神の若々しさを保つことは重要だとは思うのですけれども、これを《未熟のままでいい》と勘違いする人も世の中には結構多いですから。 ★ むしろ、《精神的に大人になる》《シガラミを作り、その中に生きる》ことが今日的な課題なのではないですかね~。 ☆ ええ。ただひとつ 最後のところで《シガラミを作る》のですか? 到らない部分があるのでどうしても互いにシガラミが出来てしまう。とは思うのですが 意識してつくるということもありでしょうか? 《シガラミの中に生きる》は そのとおりだと思いますが。
- NemurinekoNya
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こんばんはです。 ☆☆☆☆☆☆ ソクラテスの死について考えてみたのですが、 ソクラテスの場合においては、 「(アテナイ人ととして)義く生きる」ことが目的であり、《死》はその結果に過ぎない のではないでしょうか。 彼が選択したのは、あくまで「アテナイ人として、自らが所属する共同体の義務、責務」を果すことで、死はその選択の結果に過ぎなかった。自ら毒をあおいで死ぬこと、つまり、刑死を望んだのではない、と考えます。 したがって、ソクラテスにおいては、「義く生きること」と「死」の矛盾、対立の構造は生じないのではないでしょうか。 とは言え、ここにソクラテスの限界があるのも確かだと考えます。 彼において世界、社会とは、あくまでアテナイという、彼が所属していたごくごく狭い共同体。彼の《義》は、この古代アテナイという狭い社会、しかも、その一部の人間の中でしか成立しない。なのに、読者はソクラテスを過大評価、過大な期待を寄せてソクラテスの弁明やクリトンを読む。それゆえ、非常にパラドクシカルに見えてしまうじゃないでしょうか。 ソクラテスには、国家・共同体に対立する、近現代的な個人の概念はない。個人と共同体に関するかぎり、ソクラテスは原始的なコミュニタリアンであった。そして、その域を脱していない。 古代アテナイというシガラミの中でどっぶりと浸かって生き、そのシガラミのゆえに死ぬハメになった、 ではないでしょうか。 なのですが、同時に、プラトン・ソクラテス(実在のソクラテスではなく、プラトンの著作の中に登場するソクラテス)は、アポロンの使者という一面を有しているのも事実でしょう。したがって、秩序の神、そして死者、人を滅ぼす神であるアポロンという神の存在を抜きにしては語れないのではないでしょうか。 アポロンは、人殺しの神なんでね~。 《死》が神の恩寵であるという考え方がプラトンの中にはある、と思うのですよ。 肉体は魂の牢獄でしょう。死は、その牢獄からの解放。プラトン・アポロン的な文脈もあるのかもしれない、などとも考えています。 プラトンは、アポロン大好きでしたし。。。。。。 パイドンで「死とは、霊魂の肉体からの離脱ではないのか。魂が身体からの独立状態」みたいなことを、プラトンは言っていますし。 「だったら、さっさと自殺をしたらいいではないか!!」 そこは、お利口なプラトンのこと、抜かりはない。 同じパイドンの中で 「人間は、神の家畜みたいなもんさ。家畜(人間)が勝手に自殺したら、飼い主(神様)はカンカンに怒るに違いない。神の怒りを招くから、自殺をしてはいけないのよ」 と、自殺することに対して釘を刺している。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 2-1. 幼い時からの親友でゴータマ・ブッダの同輩弟子であるマウドゥガリヤーヤナ(モッガラーナ)が死に臨むとき シャーリプトラ(サーリプッタ)は 《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》をせずに 自死をえらんだのか? ~~~~~~ これは悩ましい問題ですね~。これが史実なのかどうか、それさえ疑わしいですし。。。。。。 さらに問題を難しくさせるのは、目連は自殺ではなく《般涅槃》に入り、舎利弗は《滅度》したことになっていますので(雑一阿含経だったかな?)。 「《自死》や《自殺》ではない。《涅槃》に入ったのだ」 と、《死》を《涅槃》にすりかえているので。 いやはや、これ以上は何ともコメントのしようがない(笑い)。 ~~~~~ それとも そのときには《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》を実行し その考えをみづからにもおよぼしたのか? ~~~~~ は、シャーリプトラの場合は、成立しないのではないですかぁ~。 シャーリプトラの《自死?》は、《死んでゆく者(親友)》への未練のようなものでしょう。仏教的には、これは未だ迷いの範疇、領域。これが原因で死ぬのは、世俗の感情、情にほだされている紛れもない証。これでシャーリプトラに死んでもらっては困るなんですがね~。 パーリ語仏伝作家は、どこかシャーリプトラに冷たいんですよ。 そうした仏教教団内部の事情もあるのではないかと思います。 (シャーリプトラは病没した、ともされています。たぶん、こちらの方が史実に近いのでは。。。。。。) ~~~~~~ 2-2. マウドゥガリヤーヤナにしても かつて間違った考えを持った人たちにそのマチガイを指摘したことの恨みを買って とうとう攻撃を受けたとき それは 受けねばならないとさとって暴力に甘んじたというのは シャーリプトラと同じような心境だったのか? ~~~~~~ 目連は立派だった。でも、シャーリプトラは???。。。。。。。 ではないですかね~。 わたしは、その仏伝を読んだことがないので詳しいことは分かりませんが、 目連に対しては《般涅槃》、でも、シャーリプトラは《滅度》と、その死に対して言葉を使い分けているらしいので。 シャーリプトラに対する蔑視みたいな感情が、古代の仏教教団にはあったんじゃないですか。 ~~~~~~ 2-3. それにしてもゴータマ氏は 自分の寿命のことについて話をしたとき弟子のアーナンダがそうではなくもっと説法をつづけてくださいと言うべきところを言わなかったそのことを うらみつつ 死地に就いた。寿命を延ばすことも出来たが アーナンダの振る舞い(無反応)があったから もう生き続けない・つまり自死をえらんだ。というのかどうか。の問題。 ~~~~~~ シャーリプトラだけではなく、アーナンダに対しても、後世の仏伝作家たちは、意外に厳しい、冷淡なんでげす。 アーナンダは、十大弟子の中で、一人おバカ扱い。大乗に入ってからもこの傾向は残っていて、ゴータマ・ブッダの偉大なお弟子さんはみんな阿羅漢の境地に達していたけれど、この時(大乗のそのお経が説かれた時)に、アーナンダ一人、その境地に達していなかったみたいなことを書いてある。 眠り猫などは、この差別的な扱い、待遇は何なのよ~、となってしまう。 仏教教団の長きに渡るアーナンダに対する怨念のようなものを感じてしまう(笑い)。 ゴータマ・ブッダの育ての母親であるゴータミーの出家に際して、アーナンダは、ゴータマをやりこめていますからね。ゴータマを手玉にとって、見事、ゴータミーの出家、尼さん教団を設立させたりもしているんで(笑い)。それが、後世のブディストたちは許せなかったんじゃないですか。 という与太話はよして、 これは後の仏教教団に発生した《法身・ダルマカーヤ》思想が関係しているのではないでしょうか。 ゴータマ・ブッダとは何であったのか。ゴータマ・ブッダの出現は一度きりの現象であったのか。そうした哲学的思弁の中でこのお話は生まれたのでしょう。 で、例によって、おバカなアーナンダを悪者に仕立て上げた。ユダのごとく、悪魔がアーナンダに取り付き、肉身のゴータマを滅ぼしたとなる。 とりあえず、これで一件落着。 とりあえず、肉身のゴータマが死んだことについては、これで、あれこれと余計な詮索をしなくてすむ(笑い)。 こんなところではないですかね~。 でも、大乗ではさらに踏み込んでこの件について考えた。 で、法華経などに見られる、方便による死、衆生を済度するための方便としての死なる思想が生まれたと考えています。 どちらにしても、死という現象を軽く扱っているな~と思います。 仏教において、死とは、ある意味で、悟りへに至る過程での一種の通過時点、通過儀礼的な意味しか持たないので、当然といえば当然なのですけれども、 こうした死の考え方はどうなのかな~と思っています。 余計なことを書きすぎて、 長くなりすぎたので、残りの問題については、新しい回答で論じます。
お礼
ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 1. ソクラテスの死 これは むつかしい議論ですね。 まづわたしの書いたことについて先に説明しておきます。 きわめてかんたんです。 ▲(ヰキぺ:ぺロポネソス戦争) ~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89 § 3 影響 ・・・ 共和制政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや、三十人政権の指導者のクリティアスらが弟子であったことから、ソクラテスがアリストパネスらによって糾弾され、公開裁判にかけられて刑死した。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ この弟子であった主にふたりが市民の生活やその民主制をわづらわせた。そのことを糾弾され これに甘んじた。とのみ解釈したものでした。 さて ★ ~~~~~ 彼が選択したのは、あくまで「アテナイ人として、自らが所属する共同体の義務、責務」を果すことで、死はその選択の結果に過ぎなかった。自ら毒をあおいで死ぬこと、つまり、刑死を望んだのではない、と考えます。 したがって、ソクラテスにおいては、「義く生きること」と「死」の矛盾、対立の構造は生じないのではないでしょうか。 ~~~~~~ ☆ むつかしいですね。 まづ 毒杯を仰ぐという行為をえらんだことは 刑死とは微妙に違っています。 けれども 死刑を求刑されその裁判結果に甘んじた。ことに変わりない。ですよね。 そこにおいて アテナイ市民の義務を果たすことと自死というかたちの刑死に就いたこととの間に隔たりがあるということでしょうか? ううーん。つながっているように思えるんですが まづ続くご議論を見ます。 ★ ~~~~ とは言え、ここにソクラテスの限界があるのも確かだと考えます。 彼において世界、社会とは、あくまでアテナイという、彼が所属していたごくごく狭い共同体。彼の《義》は、この古代アテナイという狭い社会、しかも、その一部の人間の中でしか成立しない。 ~~~~~~~ ☆ あかん。もう分からなくなります。きわめて単純に この《狭い社会》のオキテにしたがった。としか考えられないのですが? ★ ~~~~ 古代アテナイというシガラミの中でどっぶりと浸かって生き、そのシガラミのゆえに死ぬハメになった、 ではないでしょうか。 ~~~~~~ ☆ ということは その社会の法律制度が不備だったゆえに 裁く側も裁かれる側も必ずしも実存的な告発や弁護のやり取りもとぼしいものだった。でしょうか? ★ プラトンは、アポロン大好きでしたし。。。。。。 ☆ いわゆるダイモーンも出て来ますね。半ば取り憑かれたような感じにも受け取られます。 ★ ~~~ 「だったら、さっさと自殺をしたらいいではないか!!」 そこは、お利口なプラトンのこと、抜かりはない。 ~~~~~ ☆ ただしですね。監獄からは監守にマイナイをわたせば逃げられただとか おまけにその監守たちはソクラテスの味方であって錠をかけずにほうっておいたとか言いますから 死ぬことよりは生きることがより一層人びとにおいては望まれている。とは言えるように思われます。 プラトンの論理はまた それとしてあるようですが。 いやあ 保留になるかも知れませんが。 2. マウドゥガリヤーヤナ(モッガラーナ)とシャーリプトラ(サーリプッタ) ★ ~~~~~ さらに問題を難しくさせるのは、目連は自殺ではなく《般涅槃》に入り、舎利弗は《滅度》したことになっていますので(雑一阿含経だったかな?)。 「《自死》や《自殺》ではない。《涅槃》に入ったのだ」 と、《死》を《涅槃》にすりかえているので。 ~~~~~~~ ☆ たしかにこのように表現されると どうしようもないようです。 ★ ~~~ シャーリプトラの《自死?》は、《死んでゆく者(親友)》への未練のようなものでしょう。仏教的には、これは未だ迷いの範疇、領域。これが原因で死ぬのは、世俗の感情、情にほだされている紛れもない証。これでシャーリプトラに死んでもらっては困るなんですがね~。 ~~~~~ ☆ そうなんですか。わたしは いくつか書きましたが 要するに他殺はもちろん自殺も 議論に上げるということ自体が わかりづらいところです。ひとごろしは無い。これのみです。 ★ パーリ語仏伝作家は、どこかシャーリプトラに冷たいんですよ。 ☆ ですか。判断材料があいまいであるなら 何をか言わんやとなるかも知れません。 ★ アーナンダは、十大弟子の中で、一人おバカ扱い。 ☆ このようにも来ますか。 ★ ~~~~ ゴータマ・ブッダの育ての母親であるゴータミーの出家に際して、アーナンダは、ゴータマをやりこめていますからね。ゴータマを手玉にとって、見事、ゴータミーの出家、尼さん教団を設立させたりもしているんで(笑い)。それが、後世のブディストたちは許せなかったんじゃないですか。 ~~~~~~ ☆ けっきょくその後世のブディストたちの《さとり》が泣きます。 ★ ~~~~~ ゴータマ・ブッダとは何であったのか。ゴータマ・ブッダの出現は一度きりの現象であったのか。そうした哲学的思弁の中でこのお話は生まれたのでしょう。 で、例によって、おバカなアーナンダを悪者に仕立て上げた。ユダのごとく、悪魔がアーナンダに取り付き、肉身のゴータマを滅ぼしたとなる。 とりあえず、これで一件落着。 ~~~~~~~~ ☆ もし神格化であるなら それはそれとして(つまり キリスト・イエスのごとく) しっかりはっきりと神の想定をおこなって物語として書けばよいものをと思ってしまいます。 中途半端ゆえに その神格化は かえって意味がなくなります。偉大な人間でなくなりますし 信仰の一般類型としての梵我一如の理論も打ち建てられずじまいになります。 ★ ~~~~ でも、大乗ではさらに踏み込んでこの件について考えた。 で、法華経などに見られる、方便による死、衆生を済度するための方便としての死なる思想が生まれたと考えています。 ~~~~~ ☆ そして ★ ~~~~ どちらにしても、死という現象を軽く扱っているな~と思います。 仏教において、死とは、ある意味で、悟りへに至る過程での一種の通過時点、通過儀礼的な意味しか持たないので、当然といえば当然なのですけれども、 こうした死の考え方はどうなのかな~と思っています。 ~~~~~~~ ☆ そうですね。 わたしは 死は死でよいと思います。死にかんする能天気理論です。 色をつけるなら 《永遠の現在》ですから その死のこともこの《いま・ここなる〈わたし〉》にすべておさまるという理論です。
お礼
ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 これは 込み入って来ましたね。 ソクラテスについて全体観からしっかりとした議論をできるまでには到っていないわたしがいることを知っていますので まづそのことを《弁明》しておかねばならないと感じます。 (あとで・行論の途中で定見のようなものを持つに到りました)。 ★ ソクラテスの弁明を見ますと、有罪が確定した後、ソクラテスには四つの選択肢があったことが分かります。 ☆ このことも忘れてしまっていました。てっきり死刑の判決をくだされたのだと思っていました。あーあ。 ▲ (ソクラテスの弁明) ~~~~ ・・・ それとも罰金刑か。・・・私にはそれを払うだけの金がないのだから。 それとも私は追放の刑を提議すべきであろうか。 想うに諸君が私に下さんとしている判決は恐らくこれであろう。 けれども 私と同市民の諸君さえ 私の行動と談論とに堪えかねて 今はついにそれを除かんとするようになったほど煩わしく思われるものを 他国人ならむしろ容易にそれに堪えるであろうなどと期待するほど私が理性を失っているとすれば 私の生に対する執着は非常なものといわなければなるまい。アテナイ諸君 そんなことは思いも及ばない。 私がこの歳になって 追放の身となり 町から町へ漂泊して 到るところで追い払われ私がどこへ行くにしても ちょうどここと同じように 青年たちが私の言葉を傾聴するであろうことをよく知っているからである。 そこでもし私が彼らを遠ざけるならば 彼らはその長老を動かして私を追放するであろう。もしまた私が彼らを遠ざけないならば 彼らの父老や一族は彼らのために同様のことをするであろう。 (久保勉訳 岩波文庫 1964改版 pp.51-52 ) ~~~~~~~~~~~~~ ☆ このくだりをもし重要視するならば――という条件つきでですが―― ただちにわたしの結論を述べたいと思うのですが ひとつにソクラテスは その自分の知性を買い被っているだけであること。ひとつに けれどもそれは間違ったことを言っているのではなく そうではなく おおむね妥当なことを言っているのであるから そのことをどこまでも最後までもうったえつづけるのが ふつうであること。これです。 死生観にむろんかかわっているようですが どうも微妙に逸れてもいるように感じます。 問題は コミュニケーションです。意志疎通あるいは対話とは何か? です。 どこまでも話し合いをつづける。いやというほど話し合う。死んでも話し合う。それでも話し合いを絶やさない。活き返って来てでも話し合う。――これが コミュニケーションの大前提であると考えます。知性や思想の内容いかんを問わない大前提の段階であると。 もしこの対話の大前提を破るのなら あとはどうなろうとその評価は付け足しであるようにわたしには映ります。わたしはいま一方的におのれの見解を述べていますが ★ プラトンのデルポイ・死の神学と言いますか、「死は生にまさる」といった思想が見え隠れするような。。。。。。 ☆ というのは 後付けであるように見られます。死生観が初めにあったのではないと響くという意味です。 ★ ~~~~ (奥さんのクサンティッペが、乳飲み子を抱えて、ソクラテスの面会にきたと、プラトンはどこかで記しているそうです) やっぱ、命、生命を軽視しているんのではないか。 ~~~~~ ☆ おそらくそのとおりなのだと思います。全面的にそのとおりであるとしつつも それは ソクラテス〔またはかれを描くプラトン〕にとっては 二の次であった。つまり みづからの知性の行方 あるいは拡大解釈してこの世界において《イデア》が人びとと社会をしろしめすということ これが最大の関心事であった。のではないか? また考えていたことは それだけだったのではないか? 死生観としては 考えていなかった。という意味ですが 言いかえると 《イデア》のもとに死生観も持たれるが それだけのことだと言いたかった。のではないだろうか? だから 人間の生きるということをより少なく重んじた・つまりそのいのちをないがしろにしたとも見られましょうし あるいは逆に《生き延びるという意味で生きることよりも 善く生きること――いわばイデアに照らされて生きること――》を主張したのだしそれを実際にえらんだとも見られるのではないか? くどいように言いますが ★ ~~~~ パイトンでは、プラトンはソクラテスの口を借りて、 「人間にとっては、生より死がのぞましい」 と明言していますので。 ~~~~~~ ☆ という思想は とうぜんのごとく関係して来ていて まさにそう見られてもおかしくないのでしょうが その生と死の問題をめぐるひとつの命題からその哲学思想がみちびかれたのではない。分かり易い見方として おそらく ★ ソクラテスが、自ら信じる正義のために死ぬのは勝手なのですけれども ☆ という批評なら 甘んじて受けるそういう生き方だったのではないか? その《死ぬ》というのは 結果であって 《自ら信じる正義のために》という生き方が第一でありほとんどすべてであった。のではないか? というふうに今回見られて来ているのですが どうでしょう? アルキビアデスもむろん関係していますし 先の引用の中の《青年たちが私の言葉を傾聴するであろうこと》の問題として大いに関係しているわけですけれど その責任が問題ではない。その責任だけが問題なのではない。あくまでどこまでも自分の生き方がみづからの内に問われている。この問いをやめるわけには行かない。そして答えを出したなら その答えどおりに生きる。その生きるの中には 死ぬという行動さえ入っている。というように感じられて来ます。 (もしこの思索に何らかの意義があるとすれば 主題や問題というのは何度でも考えてみるものですね。放っておいたものでも再度取り上げてみるのは わるくないのですね)。 さて ★ さらに、ソクラテスの死の問題を拡大します。 ★ ソポクレスの《アンティゴネ》です。 ○ 生き方全般の問題か 死生観の問題か? ○ 《人為的な法と神々の定めた法(普遍法)の上下関係》の問題 ○ 殺しおよび近親婚の禁止をやぶったことは その血(血筋につらなる人びと)は汚れておりのろわれているか? の問題 ○ アンティゴネの生き方はどうであったか? 兄のポリュネイケースはどうか? オイディプースはどうなのか? ○ そして あらためてソクラテスは どうであって 何であったのか? ★ 現代的な考え方では説明できない、行動様式、死の美学(or生の美学)があったんじゃないですかね~。 ★ 現実をしっかりと受けとめ、それをすべて受け入れつつ、その一方で現実世界を否定し、あの世の憧れている。現実世界を否定している。強く拒絶している。 ☆ 果たしてこの生き方(?)ないし死生観は どうなのか? その時代の人びとがどうであったのか? と これを現代から見てどう捉えるか? と。 一たんわたしの中では保留します。 さて どうなりますやら。・・・
補足
お礼欄でのソクラテスの弁明からの引用に不備がありました。 ただしいものを載せて おわびします。 ▲ (ソクラテスの弁明) ~~~~ ・・・ それとも罰金刑か。・・・私にはそれを払うだけの金がないのだから。 それとも私は追放の刑を提議すべきであろうか。 想うに諸君が私に下さんとしている判決は恐らくこれであろう。 けれども 私と同市民の諸君さえ 私の行動と談論とに堪えかねて 今はついにそれを除かんとするようになったほど煩わしく思われるものを 他国人ならむしろ容易にそれに堪えるであろうなどと期待するほど私が理性を失っているとすれば 私の生に対する執着は非常なものといわなければなるまい。アテナイ〔人〕諸君 そんなことは思いも及ばない。 私がこの歳になって 追放の身となり 町から町へ漂泊して 到るところで追い払われ〔つつ一生を送るとすれば 私を待ち受けているものは結構な生活と申すべきであろう。なぜなら〕 私がどこへ行くにしても ちょうどここと同じように 青年たちが私の言葉を傾聴するであろうことをよく知っているからである。 そこでもし私が彼らを遠ざけるならば 彼らはその長老を動かして私を追放するであろう。もしまた私が彼らを遠ざけないならば 彼らの父老や一族は彼らのために同様のことをするであろう。 (久保勉訳 岩波文庫 1964改版 pp.51-52 ) ~~~~~~~~~~~~~