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【哲学】日本におけるニーチェ研究の水準について

先日、ラジオで学者の方が「現在、日本はニーチェの研究において最高水準にある」とおっしゃっていました。 私はその発言を「面白いな」と思ったのですが、そもそも哲学というか、「研究」とはなにかをわかっておらず、 質問させていただく次第です。 「現在、日本がニーチェの研究において最高水準にある」とは具体的にどのような意味なのでしょうか。 いったい何をするとそういう状態になるのでしょうか。 小学生でもわかる言い方をすれば、「ニーチェについてよく調べ」「ニーチェについてよく考察」する、という ことなのでしょうが。あとそれを判定するのは誰なのか(論文の引用数などでしょうか?) 私の属性はというと、私は本を読むのは好きで、高校時代に新潮文庫夏の100冊くらいは軽く読んだような 文化系人間ですが、ただ読むにとどまり、「研究」に疎く、初歩的な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願 いいたします。

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回答No.1

日本でニイチェがもっとも読まれたのは大正時代だと思います。 高山樗牛とか生田長江とかいう評論家が活躍したし、和辻哲郎も「ニイチェ研究」を著しているし、詩人の萩原朔太郎や文学者の芥川龍之介なんかも盛んにニイチェを引用しているし、それに比べると現在はそんなにニイチェを読む人が増えたかというとニイチェという名前はたいてい知っているけど、ブームが起きるほどではないと思います。 ただ、昔と比べると戦後ニイチェの著作の、妹のエリザベートが改ざんしたものでなく、ニイチェの意図に沿った全集が出版されるなど研究環境は良くなっていると思います。 だけど、ニイチェ哲学の骨格は戦前に出尽くしてしまって、今は重箱の隅をつつくようなディテールに研究が志向されていて却って全貌が失われているように思います。 私もだいぶ前にニイチェを夢中になって読んだ記憶がありますが、ニイチェ批判も併せて読んだ関係もあり、急速に関心を喪失してしまいました。 国際的に比較して日本のニイチェ研究が最高水準にあるかどうか、比較したことがありませんので存じませんが、戦後のフランスのバタイユやクロソフスキーやドゥルーズやデリダやフーコーあたりを最後として本国のドイツを始め、ニイチェに対する関心は徐々に下火になっているのではないでしょうか? 日本でニイチェを読んでいるのは主として学生を中心とする若い人たちだけで、ニイチェは哲学の専門用語があまり使われていなくて飛びつきやすいということがあるようです。 つまり、哲学の初心者には人気が高いものの、専門の研究者は依然としてドイツ観念論を中心とする講壇哲学に集中していますし、事実、自分の指導教授がドイツ観念論をやっていて、その教え子がドイツ観念論以外の哲学をやることは大学におけるヒエラルヒーからいっても難しいと思います。 現在、博士号を持った研究者がモラトリアムの状態に置かれてなかなか大学において就職できず溢れている状況が続いていますので、ますます自由研究の余地はなくなっていると思います。 そんな状況で、ニイチェ研究をしようなんてことを考える人がいるでしょうか? 本当にさみしいありさまだと思います。

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