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漱石'こころ' について、ご教示ください
僕は夏目漱石の'こころ' の何が良いのか分からず、正直'ノルウェイの森' のエンドもちょっと理解が出来ないです。 音楽や芸術で異性とわかり合いたいとは思わず、理屈(趣味の一致)を超えていないと納得が出来ません。FX でも日常生活でも理詰めで無ければいけないと考えているのですが、息を呑む裸体のシルエットとか、相手の髪や肉体の感覚は理屈では語れないと考えています。また、作家としてある程度完成しちゃっているので、女の趣味から影響を受けようが無いのも、そう考える理由の一つと思っています。 自分のは、漱石の'こころ' と真逆の価値観と思うのですが、改めて'こころ' の何が凄いのかご教示ください。
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>'こころ'の何が凄いのかご教示ください。 ⇒引用ばかりで、不十分ながら、以下のとおりお答えします。 文献によれば、漱石はこの作品『こころ』によって、「孤独感、人間憎悪の念に救いがたい絶望を感じ、自己否定に駆り立てられる個人主義的思想の限界を把握した」(広辞苑)とされます。 自然主義作家の群像が、おもに人間の現実をその本能の中に見ようとしたのに対し、漱石はむしろ倫理的・理知的に人間を眺めようとしたと言われます。『こころ』に先行する『行人』や、その後の『道草』・『明暗』などの作品を通して、人間心理の深い追及という、漱石文学の特質を掘り下げながら、「則天去私」*の境地を模索した点に評価の中核があるとされます。 余談ですが、この作品中、「先生」の友人K(かつてその恋人を先生が奪った)の墓地とされる雑司ヶ谷墓地は実在する墓地で、夏目漱石(金之助)もそこに葬られています。ひときわ大きな墓碑が建てられています。 *「則天去私」:小さな私を去って、自然にゆだねて生きること。また、作家の小主観を挟まない無私の芸術を意味する、という解釈もある。(上掲書)
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- gunsin
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解らなくたって、宜しいのでは、生まれた処、育った環境が 各々違うのですから、それぞれの感じる処も違って来るのは、 至極当然の事と思いますよ。 違う価値観を持つのも有でしょう。
お礼
シンプルで腑に落ちるご回答ありがとう御座います。 数年前、ツイッターに'漱石、分からん'と呟いた直後、幻冬舎の見城氏が'これこれで漱石は素晴らしいのだ'と即エアプされていました。日本人たる者、近代の礎を築いた当作家を理解出来なくても、分かる振りをしなければいけないのかなと時々思うので質問した次第です。まあ、自分に教養がないだけなんでしょうけど。
お礼
>> 漱石はこの作品『こころ』によって、「孤独感、人間憎悪の念に救いがたい絶望を感じ、自己否定に駆り立てられる個人主義的思想の限界を把握した」(広辞苑)とされます。 これが文学だと言われたら返しようもないですが、このゾーンに立ち入って何かあるのかと思ってしまいました。自分は一貫して、人間は社会システムやテクノロジーに形作られる存在という立場、またそれを凌駕する経験は神の介在無しには有り得ないという考えです。漱石とは違いますね。 >> 自然主義作家の群像が、おもに人間の現実をその本能の中に見ようとしたのに対し、漱石はむしろ倫理的・理知的に人間を眺めようとしたと言われます。『こころ』に先行する『行人』や、その後の『道草』・『明暗』などの作品を通して、人間心理の深い追及という、漱石文学の特質を掘り下げながら、「則天去私」*の境地を模索した点に評価の中核があるとされます。 仏教観ですね。日本に帰国すると、うちの親父が観ている笑点も朝ドラも(面白いとは思わないですが)、そのメッセージを'いいんじゃないの' と見ていられることに気づきます。ただ、日本の外に出るとそう捉えれないのですね。同じ文部省の教育を受けた者同士が共有出来るもの、その外周にある野蛮且つ神聖な経験という二律背反の話と捉えます。 書いていて色々と気付かされました。ご回答ありがとう御座います。