- ベストアンサー
専業作家の厳しい現実と幸せとは
- 専業作家は生計を立てるために読者の口に合う文章を書かなければならず、自分を失うこともあるが、お金がなければ生きていけない。
- 趣味で作家をやることに比べて、専業作家はお金を稼がなければならず、自分を表現することが難しい。
- 専業作家は厳しい現実に直面するが、自分の作品で読者に感動や楽しみを与えることで幸せを感じることもある。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
現在、作家という人がどのくらいいるか、たぶん何千人もいると思いますが、作家専業で食べて行けるのは、その内の50人位で、あとはみんな別の職業を持っていて、副業として作家をやっている人たちです。 作家といっても、文学だけとは限らず、ノンフィクションを書いている人もいるし、評論を書いている人もいて、そういう人たちはたいてい大学の教官をやっていたり、雑誌の編集者であったり、そのほかの職業をもっていて、副業として作家稼業をやっている人たちです。 夏目漱石も作家だけで食べてゆけなかったので、大学教員を長くやり、その片手間に文学作品を書いていたんだし、後に朝日新聞社の社員になって、新聞に連載小説を書く契約のほかにいろいろなところ、例えば中国に行ってルポルタージュ・紀行記を書くことも求められました。 死ぬまで、朝日新聞社の社員でした。 作家専業ではありませんでした。 当時は文学作品で売れる発行部数は数百部で、漱石はその中でも比較的売れたほうです。 数百部では印税で食べてゆけないでしょう。 森鴎外などは軍医として日露戦争に従軍した官僚だったし、死ぬまで官僚として出世をすることに腐心しました。 日本で文学作品の発行部数が万の大台にのぼったのは大正時代の「円本ブーム」以降です。 指で数えるほどの作家たち、たぶん10人位が作家専業で食べて行けるようになりました。 それ以外は娯楽小説、時代小説を書いていた人たちです。 今も昔も作家専業で食べて行ける作家は少数です。 作家専業といってもエンターテイメントを書いている人たちがそのほとんどで、純文学で食べて行ける人は今はいないんじゃないか。 作家専業で読者のために読者の口に合う作品を書いているのはエンターテイメント作品を書いている作家で、娯楽作品、エンターテイメント作品ならともかく、純文学作品だったら、真摯に自分の内面に向かい合って作品を書かないと読者からは見放されます。 趣味で作家をやった方が、本当の真摯な作品が欠けるという保証なんかありません。 作家専業であろうと、趣味で作家をやっていようと、それとは関係なく、いい作品はいい作品なんだし、悪い作品は悪い作品です。 純文学で芥川賞を受賞した人たちで、ずっと続けられる人はいなくて、単発で終わるのがほとんどです。 誰も純文学なんか読む人はいなくなりました。 エンターテイメントが主流ですから、読者の口に合わせて書いていれば、それで食べてゆけるし、そうして食べている人がほとんどです。
その他の回答 (6)
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
私は別にかわいそうとは思いません。そうしたことはよく承知の上で作家になっているからです。 誰でもアマチュアからプロの作家になると思いますが、もしそれが嫌だったらアマチュアのままでとどまればいいのです。 作家が文章を書くのは読者に読まれたいからだと思うのですが、違いますか?読者に読まれたいなら、読者が読みたくなるような文章を書くのは当然でしょう。 自分は書きたいけど、べつに読者には読まれたくない文章があるなら、それを書いてタンスの中にしまっておけばいいだけだと思います。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 誰かが イルカがかわいそうですという意味で 非人道的だと言いました。 そうですね。と答えておしまいです。 それと同じように ★ 専業作家はかわいそうだと思います。 ☆ そうですね というのが答えです。 ★ お金がないと生きていけません。 ☆ そうですね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「趣味で作家をやる」といっても、趣味では生活ができない ので、別に働かなければなりません。 その結果、苦痛に満ちた労働の時間が増えて、趣味に 費やす時間は少なくなります。 専業作家は、才能があれば普通の労働より多くの報酬を 得られるのですから、その分、力を振り絞る苦痛も伴うの です。 才能がなければ、苦痛なほどの仕事も来ません。
作家というのは、日本では「自由業」という範疇の人間です。自分の好きなことを自由にやって、そんななかで生み出された作品が国民多数にもてはやされ、結果として職業として成立しているのです。当然ながら夏目漱石も、他の多くの高名な作家たちもそういった人生を生きました。 そこで上記の職業作家といわれるのが貴方の言う「専業作家」とほぼ同義なのだろうと思いますが、日本では職業として自立して作家になるには様々な関門があり、それにあこがれる作家志望の人間がたくさん居て努力し、激しく争っています。一旦職業作家になっても、彼ら同士で競争があり、貴方の言う >読者の口に合う文章を書かなければなりませんので、つい自分を失ってしまいます。でも、そんなことをしないなら、お金はもらえません こんな「作家」はすぐ競争に負け、その地位を失うのです。職業作家は日本人があこがれる理想のライフスタイルの芸術家なのです。 確かに、特にアジアの国々ではよい小説を書いても国民が本を買ってくれないので、まともな職業作家は成立しないと聞いています。中国でもおなじ様な事情があるのでしょうか。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
すみません、ご質問がよくわからないのですが、夏目漱石がどのように生きてきたかということでしたら、彼は小説だけで生計を立てていたわけでは、まったくありません。 裕福な家庭の出身で、優秀な大学を出て、教師として生計を立てながら小説を書いていたら、小説が評判になったので、そっちが忙しくなったのです。ですから、お金でものすごく苦労したり、書きたくもないものを書いて苦しんだ典型的な例だとは言い難いです。 むしろ漱石は、家庭こそ裕福でしたが、複雑な家庭環境で、本人も神経質でしたし、ロンドンで孤独な留学生活を過ごしたこともあり、精神的に悩むことが多かったのです。それを小説という形で吐き出していました。つまり、小説を書くことは、漱石にとって一種の癒しというかセラピーのようなものだったのです。小説に専念できたからこそ、彼はどうにかこうにか、心身ともに生きていくことができたようなものです。 もちろん、「読者の口に合う文章を書かなければな」らずに「つい自分を失ってしま」う「お金がない」作家は大勢います。これは作家に限らず、好きなことを仕事にしようとする人に数多く見られます。しかし、彼らを「かわいそう」と言うのは、やや失礼ではないかと私は思います。 彼らは、それが好きだから続けているわけで、誰が強制しているわけでもありません。その気になれば、アルバイトができるし、作家をやめてもいいのです。それでも続けるのは、自分にプレッシャーを課しながらも書き続けることが、その人にとって、何らかの形で幸せにつながるからではないでしょうか。 ついでに言うと、作家として生活するのと、本業を持ちながら趣味でものを書くこととどちらがいいかというと難しいです。確かに後者には、質問者さんがお書きになったような利点がありますが、作家としての暮らしをある程度、起動に乗せてしまえば、100%ではないにしても、80%くらいは自分が書きたいと思っていることを書くことに時間をずっと費やしていても、それでいくばくかのお金はもらえるのです。
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
自分の書きたいことを書くために小説家をやっているのであって、「読者の口に合う文章を書かなければなりませんので、つい自分を失ってしまいます。」は日本の小説家を理解していない証拠です。中国ではどうか知りません。ちなみに専業作家などという言葉は日本にはありません。 夏目漱石は偉大な日本の作家です。紙幣にもなった作家は空前絶後です。日本文学の大きな柱の一つです。何を持って「かわいそう」などとおかしな同情を寄せているのですか。彼は自分の全知全能を傾けてたくさんの小説を書きました。「読者の口に合う文章を書かなければなりませんので、つい自分を失ってしまいます。」全くの誤解です。こんなことを言い触らしたところで日本ではだれも耳を傾けませんので即刻中国へ帰ったほうが身のためです。
お礼
人の言う言葉のなかのほんの一部を切り取って勝手に拡大する人が存在しているので中日関係を悪化しているのです。
補足
×人の言う言葉のなかのほんの一部を切り取って勝手に拡大する人が存在しているので中日関係を悪化しているのです。 ○人の言う言葉のなかのほんの一部を切り取って勝手に拡大する人が存在しているので中日関係を悪化【に】しているのです。
お礼
No.7さんのご回答欄をお借りして、No.2さんからNo.7さんまでご親切に回答してくださった皆様に厚くお礼申し上げます。漱石の経歴は大変参考になりました。作家という職業の人に対する理解も深まりました。自分の意見を控えさせていただきたいのですが申し訳ありません。もっと勉強します。どうもありがとうございました。