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やって、ヨカッタ
こんにちは。 「やって、ヨカッタ」を、もっと増やしていきましょう。 「やるんじゃなかった」を、減らしていきましょう。 ・・・ただし、「人権侵害」は、しないでね。 (何を訊きたいの?) 曰く、「「無」であろうとし過ぎるのも、無理なのだ」 「壁に向かって座っている若者たち」に違和感を覚えるのも、この辺のことなのかな、と思います。 「じゃあ、壁に向かって座ってちゃ、いけないの?」 ・・・どうなんでしょう。 宜しくお願い致します。
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- Nakay702
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「質問者からのお礼」を拝見しました。 >ん-、どうなんですかね。「不文法」は、無いよ、と思うんですが。 ⇒確かに、「不文法は、無い」、または、「不文法は、無いに等しい」かも。 しかし、「限りなく自然法に近い不文法はある」、もしくは、「あってほしい」ところです。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
「質問者からのお礼」を拝見しました。 >「人権を侵害しないでね」という決め台詞に、「もっと違う表現は、無いんか(飽きた)?」というんで、「やっちゃいけないことは、やっちゃいけない」ではどうか?と、返しました。「幸福追求権」もいいですけど、まずは「生存権」ではないか?という昨今です。 ⇒さすがのご慧眼! 仰せのこと、心から賛同します。 考えるに、人間は「契約や協定」を覚えたからこそ、辛うじてこれまで存続し得たのだと思います。まして、この現代においては、約束し遵守することの重要性は倍旧しています。この精神を忘れるなら、今後の地球は、拳骨でなく恐ろしい原子力や最近兵器などを駆使した「最後の理性」(=超暴力)の支配する星になってしまうことでしょう。今や抜けがけは、地球規模の自爆テロと同値になってしまったと言えます。互いに一触即発状態の中に住む(しかも必然的に他を巻き込む)人類にとって、互いに合意して交し合った契約や協定の類を無視する者(特に指導者)が跋扈するような地球は、もはや、楽園はおろか単なる生存の継続さえ語れなくなった、という状況ですよね。
お礼
Nakay702様、ご回答ありがとうございます。 ん-、どうなんですかね。 「不文法」は、無いよ、と思うんですが。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
>曰く、「「無」であろうとし過ぎるのも、無理なのだ」 「壁に向かって座っている若者たち」に違和感を覚えるのも、この辺のことなのかな、と思います。「じゃあ、壁に向かって座ってちゃ、いけないの?」 ・・・どうなんでしょう。 ⇒達磨大師が壁に向かって座禅を組んでいると、慧可がやってきて弟子入りを頼んだ。達磨は振り向きもしない。何度参上しても、地面に伏して頼み込んでも、一言も返してくれない。とうとう、ある時慧可は、刃物を取り出して自分のひじを切り取って(!)、それを達磨に差し出し、求道の誠を示した。この場面を描いた「慧可雪中断臂の図」と題する絵が有名ですね。(こうして慧可は中国禅宗の第2祖となった。) ということで、私は、「壁に向かって座ってちゃいけない」などとは決して言いません。ただ、私は、頼まれても、報酬をもらっても、同じことをやる気はありません。 少し逸れますが、時に「意味は分かるけど、私なら決してしない」と思うことがあります。 ①かつてアメリカで、盛んにAffirmative action が叫ばれたころ、short「ちび」は差別用語だとして、これをvertically handycapped「垂直方向に不自由」と言い出した人がいました。これを、別の人がIt’s politically correct.「政治的に正しい」と揶揄したとか。ここまでくると、差別撤廃運動も笑い話である。 ②昔、昭和天皇が阿波踊りを観覧なさることになった時のことである。現地(徳島)のお偉いさんが、「踊る阿呆に見る阿呆」の後半が殿下に対して失礼ではないかと悩み、「見る阿呆」の部分を省略したとか、変更したとか! 当時、断筆宣言をした筒井康隆氏の気持ちがよく分かるという感想を抱いた記憶がある。「区別」と「差別」を混同しないようにしたいものである。日ごろから私は、「個人主義」を標榜し、「同調圧力」を排除し、「異分子との共生」を尊重したいと考えています。
お礼
Nakay702様、ご回答ありがとうございます。 >ただ、私は、頼まれても、報酬をもらっても、同じことをやる気はありません。 成人男性が一日に必要とするカロリーが1400Kcalなのに、彼らは、1200Kcalしか摂らない、とか。 まあ、西洋一辺倒で、東洋由来は全部ダメ、というのも、かなり問題と思いますけど >少し逸れますが、時に「意味は分かるけど、私なら決してしない」と思うことがあります。 ①かつてアメリカで、盛んにAffirmative action が叫ばれたころ、short「ちび」は差別用語だとして、これをvertically handycapped「垂直方向に不自由」と言い出した人がいました。これを、別の人がIt’s politically correct.「政治的に正しい」と揶揄したとか。ここまでくると、差別撤廃運動も笑い話である。 ん-。日本でも「言葉狩り」がモンダイ?になったことが、、、あるのかなあ。 >②昔、昭和天皇が阿波踊りを観覧なさることになった時のことである。現地(徳島)のお偉いさんが、「踊る阿呆に見る阿呆」の後半が殿下に対して失礼ではないかと悩み、「見る阿呆」の部分を省略したとか、変更したとか! ・・・それでは、踊る方が一方的に阿呆になってしまった、ということですね。見る方が、「参加」出来たのかどうか・・・ >当時、断筆宣言をした筒井康隆氏の気持ちがよく分かるという感想を抱いた記憶がある。「区別」と「差別」を混同しないようにしたいものである。日ごろから私は、「個人主義」を標榜し、「同調圧力」を排除し、「異分子との共生」を尊重したいと考えています。 「人権を侵害しないでね」という決め台詞に、「もっと違う表現は、無いんか(飽きた)?」というんで、「やっちゃいけないことは、やっちゃいけない」ではどうか?と、返しました。 「幸福追求権」もいいですけど、まずは「生存権」ではないか?という昨今です。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
「公文」のキャッチコピー ですかね? 質問文の内容は 意味不明ですけど、 自分自身が掴んでいる 真理は 「それが必要あれば するべきである。」 だと思いますね。 ですから質問文に 当てはめれば 「壁に向いて座るのが 正しいか?誤りか? わからないけど 場合によっては しないといけない。」 だと思うです。 ことわざにも 「郷に入っては郷に従え」 ですかね。 閑話休題 その、 「何もしない若者が増えている」 って事ですかね? まあ、若者に限らず 年ばっか食っていても 「しない」人は「しません」 けどね〜。 話しはそれますけど 規制屋をしてますけど 会社の内には 「規制すれば何もしなくても いいじゃん!!」 みたいな社風もありますけど 警備と言う視点なら違います! まあ、警備とは何もしてなくても 何かしらあった時のために 気を張り続ける事ですからね。 質問文に合わせれば 「ずっと立ってて良かった!」 と思いますよ。 休憩中なので色々書きましたが また、仕事へ行ってきます!
お礼
heyboy様、ご回答ありがとうございます。 「他者の評価に、拘泥すべきではない」というご趣旨でしょうか。 (参考) https://daihonzan-eiheiji.com/ >「ずっと立ってて良かった!」 と思いますよ。 小生も、理想的な職場としては、「一日、数人、通行人が居る」というくらいが、イイと思います。 後、「トイレくらいは、好きな時に行ってヨシ」 まあ、人によって気の持ち方もいろいろ、かもしれないですが、今度、私が立つなら「お地蔵様」をイメージしますかね。(それくらい、何も無いところで「警備」したい)
お礼
Nakay702様、ご回答ありがとうございます。 >しかし、「限りなく自然法に近い不文法はある」、もしくは、「あってほしい」ところです。 なるほど。。。 「応報刑」を通り越して「報復刑」とか・・・ まあ、そうかもしれないといえ、今更、「目には目を、歯には歯を」まで後退は、しないで欲しいですね。 (一応、「教育刑」論者)