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「山人」について
- 「山人」とは、日本の古代においてなんらかのかたちでかなりの勢力を持っていた先住民であり、日本の文化を考える上で興味深い存在です。
- 「山人」と「サンカ」とは関係がありません。サンカは昭和の20年代から30年代まで存在した集団であり、古代の山人とは異なる存在です。
- 本文には、「天津罪」と「国津罪」という二種類の罪について触れられていますが、この規範の違いは農耕文化と非農耕文化の間の異質さを示しています。また、古代日本の文化は畔や倉庫に対する罪に寛大であったことが窺えます。
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ピント外れとは思いますが、私の推測です。 一瞬、縄文人と弥生人とを対比して考えたのですが、縄文人を山人と一括りにはできません。 ずばり、山人とは、製鉄の民ではないかと、推測しました。 天津罪とは、スサノオが高天原で犯した、農耕を妨害する人為的な行為だそうです。 そこで、スサノオを調べてみました。 神話では、アマテラスに追放されて、新羅への天降(あまくだ)りなど、朝鮮関係の記事が多いです。 スサノオは、朝鮮半島から渡来した新羅系の“神”で、砂鉄を求めて移動する、いわゆる「韓鍛冶(からかぬち)」だったとする説があります。 手元に司馬遼太郎著『街道をゆく 砂鉄の道』があります。 一部抜粋します。 砂鉄は、花崗岩や石英粗面岩のあるところなら、どこにでもある。問題はそれを熔かす木炭である。 「一に粉鉄、二に木山」というように、古代にくらべて熱効率のいい江戸中期の製鉄法でも、砂鉄から千二百貰の鉄を得るのに四千貫の木炭をつかった。四千貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで木を伐らねばならない。木炭四千貫といっても、江戸期のやり方ならわずか三昼夜でつかってしまうのである。 砂鉄というのは花崗岩の砂礫のなかにわずか数パーセントふくまれているにすぎない。しかし鉱石とちがってほぼ遍在しているといってよく、である以上、鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄をつくるといっていい。 (中略) 古代には砂鉄を採集し山中でこれを鉄にする専門家が群れをなして中国山脈を移動していた。想像するに一団は百人以上だったであろう。製鉄には人手がかかるだけでなく、採掘にも鉄穴(かんな)流しにも、そして山林の伐採や炭焼きにもおおぜいの人手が必要で、しかも仕事柄、彼らはチームを組まねばならない。このチームは当然ながら山間の盆地で稲を作っている農民の利益とは食い違ってしまう。 山林を乱伐すれば、雨季にはたちまち洪水がおこって田畑を流すし、水流に土砂がまじって、その水を引いている稲田が埋まってしまうこともある。 そこで、私は次のように推測します。 天津罪に言う畔放ち(アハナチ)、溝埋め、樋放ち(ヒハナチ)などは、誰かが夜間、そっと行うものではなく、タタラ製鉄の工程で起こる事象でしょう。 糞戸とは、収穫祭の祭場に汚いものを撒き散らすことだそうです。 これは、脱糞ではなく、鉄滓(テツサイ)のことでしょう。 鉄滓を「カナクソ」と呼んでいますから。 まとめです。 司馬遼太郎は「製鉄業者は幻のように掻き消えたまま、伝承ものこさないのである」。 鉄を造り出すためにひと山とも言われる木材を使用し、木材がなくなれば移動します。 農民と違って、製鉄業者は田畑を持ちません。 鉄滓だけを残して、山から山へと流浪します。 「山人」と呼ばれる人々ではないでしょうか。 サンカにも興味があって、30年も前のことですが、三角寛の著作で知りましたが、ご質問に回答できるほどの知識はないですね。 参考資料。 岡山県津山市「関連文化財群に関する事項」 https://www.city.tsuyama.lg.jp/common/photo/free/files/10297/202002151426420544723.pdf 関連文化財群3 中国山地の製鉄所 鉄の遺構群 13/17ページ
お礼
ありがとうございました。 ずばり、山人とは、製鉄の民ではないかと、推測しました。…… 最初は、「マタギのような狩猟民」も想像してみたのですが、狩猟民が「少なくともふたつの異質文化が重なっていたのである。」というほどの勢力を持っていたというのもおかしいし、やはり「鉱山」に関係するのかなぁ???という漠然とした印象は持ちました。私の読解力には、まったく自信がないのですが、司馬遼太郎が「この国のかたち」の中で、「鉄」について触れており、読み返してみたのですが、ヤマタノオロチ伝説を、「鉄に関係する鉱山の民と下流域の農民との対立」としてとらえていたように感じ、この「山人」というのは、ご指摘のように、「製鉄の民」に関係するものかもしれないと感じました。 「一に粉鉄、二に木山」というのは、日本の気候にあった豊かな森林というのが、鉱山にとっても、農民にとっても重要な資源であったことからも、両者の対立が想像できますね。逆に言えば、中国地方に良い山がない、有名な林業地が育っていないと言われているのは、古代からの「鉄」の影響なのかもしれませんね。 これは、脱糞ではなく、鉄滓(テツサイ)のことでしょう。 鉄滓を「カナクソ」と呼んでいますから。……分かります。いくらなんでも、「倉庫(穀物倉)にクソをしてはならない」なんて、不思議な法律だなぁ???と思ったのですが、ご回答を読ませていただいて、「なるほど」というほどに理解できたわけではありませんが……昼行燈にも明かりが。笑 「山人」と呼ばれる人々ではないでしょうか。……「日本は鉱物資源の量は大きくはないけど、種類は多い」というのは聞いたことがあります。「移動」が前提だったのかもしれませんね。昭和の炭鉱労働者にとっても、その末期は、生き残るため、生活のため、「移動」が前提だったですものね。 サンカにも興味があって、30年も前のことですが、三角寛の著作で知りましたが、ご質問に回答できるほどの知識はないですね。……私も、日本史に興味を持ち始めてから、「サンカ」のことを知ったのですが、小学生の頃、竹細工を生業とする老人がいて、何となく、周囲から差別をされているような印象が今でも残っていて、「なぜか忘れられなかった」のです。たまたま読んだ本から、ふと「サンカ」というのを想い出して、この「山人」と関係があるのでは???という疑問でした。