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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英文の拙訳の添削を願います。)

危険な現象についての拙訳の添削

このQ&Aのポイント
  • 文化の具体化の現象を理解するには、具体化された方法を使用する必要があります。
  • 文化を測定する能力を排除する状態としての文化の存在が考えられます。
  • 定量的な調査研究の優先権に反対し、定性的な研究を補完的と考えるべきです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#250479
noname#250479
回答No.5

5つ目のセンテンスの原文: The task of translating my reflections into research terms was equivalent to squaring the circle. 質問者さんの和訳: 私の内省の研究用語での言い換えはこの領域と折り合いを付けることに等しい。 ============= (5) The task of translating my reflections into research terms was equivalent to squaring the circle. 私の考えを調査関係の言葉で言いかえることは、円を四角に変えてしまうのに等しかったのだ。

jubu
質問者

お礼

有難うございました。

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noname#250479
noname#250479
回答No.6

6つ目のセンテンスの原文: I am certainly not the right person to decide how much of this is to be laid to my personal equation. But the difficulties are certainly of an objective nature also. 質問者さんによる和訳: この内どれだけ,測定と観察に関して観察者である私が持っている固有のバイアスを持っているかを決める上で私自身が適切な人間でないことは確かである。だが,困難は確実に客観的性質を帯びてもいる。 (1) I am certainly not the right person to decide how much of this is to be laid to my personal equation. 私はもちろん、上に述べたことのうちどれくらいのことを私個人の等式に当てはめるかを決めるべき人間ではない。 (2) But the difficulties are certainly of an objective nature also. しかし、そこにある難しい点はもちろん、客観的なものでもある。

jubu
質問者

お礼

ご解答有難うございました。 お訳し全体が勉強になりました。 感謝申し上げます。

noname#250479
noname#250479
回答No.4

4つ目のセンテンス: The prescriptive right-of-way given to quantitative methods of research, to which both theory and individual qualitative studies should be at best supplementary, precisely postulates that one must tackle that paradox. 質問者さんによる和訳: 双方の理論及び個別的で定性的な研究が精々補完的とされるべき定量的な調査研究の方法で所与とされる慣行的な優先権は,厳密にその逆説に取り組まなければならないということを自明のこととして仮定している。 ================ このセンテンスは、3つに分割します。 (4-1) The prescriptive right-of-way given to quantitative methods of research, 定量的な調査方法を優先しようという規範的なやり方においては、 (4-2) to which both theory and individual qualitative studies should be at best supplementary, 理論も個々の定性的な研究も両方とも、せいぜい補足的なものでしかないのだが、 (4-3) precisely postulates that one must tackle that paradox. この規範的なやり方の中にこそ、われわれがその逆説に取り組む必要があるということを前提としているのだ。

jubu
質問者

お礼

全体のお訳しがすべて参考になりました。(4ー3)では,この規範的なやり方こそ,…前提にしているのだ,ではないでしょうか?

noname#250479
noname#250479
回答No.3

3つ目のセンテンス。 原文: In general, I resisted the indiscriminate application of the principle "science is measurement," which was then little criticized even in the social sciences. 質問者さんによる和訳: 概して,私は「科学とは測定である」という社会科学においてさえ批判されることの少なかった原理の無差別な適用に抗して来た。 ================= このセンテンスも、2つに分割して、2回に分けて私なりの和訳をつけてみます。 (3-1) In general, I resisted the indiscriminate application of the principle "science is measurement," 私は通常、「科学とは計量である」という原則を見境なく適用したりしないようにしていたのだが、 (3-2) which was then little criticized even in the social sciences. そういうやり方は、そのころは社会科学においてさえほとんど批判されることはなかった。

jubu
質問者

お礼

有難うございました。

noname#250479
noname#250479
回答No.2

2つ目のセンテンス。 (1) 原文: When I was confronted with the demand to "measure culture," I reflected that culture might be precisely that condition that excludes a mentality capable of measuring it. (2) 質問者さんによる和訳: 「計量文化」('measure culture')の強要に私が直面する時,私は思案するには,そうした文化は,厳密には,それを測定する能力のある人間の知性を締め出して仕舞うような疾患となる恐れがある。 ============ 今回の文は、2つの部分に分けられるので、それに応じて順番に私なりの和訳をつけていきます。 (1a) When I was confronted with the demand to "measure culture," 私が「文化を計量する」必要性に直面したとき、 (1b) I reflected that culture might be precisely that condition that excludes a mentality capable of measuring it. 文化というものは、文化を計量することのできる知性を締め出してしまうまさにその条件なのかもしれない、と私は考えたのだ。

jubu
質問者

お礼

有難うございました。

noname#250479
noname#250479
回答No.1

まずは、1つ目のセンテンスだけを取り上げて、それを私なりに和訳し、コメントをつけます。 (1) 原文: I was particularly disturbed by the danger of a methodological circle: that in order to grasp the phenomenon of cultural reification according to the prevalent norms of empirical sociology one would have to use reified methods as they stood so threateningly before my eyes in the form of that machine, the program analyzer. (2) 質問者さんによる和訳: 私は特に方法論的な領域,すなわち機械,集団反応分析機の形態をとった私の眼の前で脅迫された状態にあるがゆえに具体化された方法を使用しなければならなかった実証社会学で普及した規範に応じた文化的な具体化という現象を把握するための方法論的な領域の危険に困惑させられた。 ============ 1センテンスは、次のように3つの部分に分解できるので、それを順番に訳していけば、訳者にとっても読者にとってもわかりやすいのではないかと思います。 (1a) I was particularly disturbed by the danger of a methodological circle: 私は、同じ方法が繰り返されてしまうという危険に、特に困惑した。 (1a) that in order to grasp the phenomenon of cultural reification according to the prevalent norms of empirical sociology つまり、巷に流布している経験社会学の規範に従って文化の具体化という現象をつかみ取るためには、 (1b) one would have to use reified methods as they stood so threateningly before my eyes in the form of that machine, the program analyzer. 具体化された方法がそのマシンつまりプログラム分析装置(program analyzer)という形で私の目の前にあまりにも怖い様子で立ちはだかっているので、それを使わなければならなくなる、という危険性に私は困惑したのだった。 ======== この続きについては、また細切れの空き時間を使いながら、何度も投稿しながら、少しずつ和訳したりコメントしたりしていきますので、よかったらしばらくこの質問スレッドを閉じないで置いておいてくださいますか?

jubu
質問者

お礼

有難うございました。

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