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「人間」とは何でしょうか?

人間なんてららら~らららら~ら みたいな感じで 或いは 「人間」を見た言ったり 人間の本性は怖ろしいのでしょうか 素晴らしいのでしょうか? 人によって違うのでしょうか? 戦争の時の人間と 運動会の時の人間とどう違うのでしょうか?

みんなの回答

  • kurinal2
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回答No.8

yuniko5960様、おはようございます。 >ありがとうございますクリナルさん 昔は人権でしたかねえ ・・・ずっと言い続けているつもり、ではありますが。 >最近人権が守らなければ正義もなにもないと思うように成りました。 クリナルさんは先駆者ですよ。 「周回遅れが、先頭に見えるだけ」と言われたことも。いろいろ、言われてますねえ。本来は先頭を譲らなければならない周回遅れ・・・ ここ最近で(特に、ここで(笑))、「(一日に一つでも?)人の役に立たなければならない、立ちたい」みたいな発想が浮かびましたが、小生の場合、何でどこまでお役に立てるか、非常にアヤシイです。 >キリスト教文化はありますねえ しかし科学研究者もクリスチャンが多かったのではないでしょうか ニュートンもクリスチャンだったようですし 西洋の科学が旧に盛んになったのも 神の摂理を知りたい というものが在ったのではないでしょうか。 なるほど。「誰それも、クリスチャンです!」方式は、かなり前に見たような気が。 まあ、しかし>「神の摂理を知りたい」そういう動機は、小さくないかも、ですね。 「ある宗教が(は)、他の宗教を認められるか?」というのも、年来思っているテーマであります。 >よくは分かりませんが 仏教国では釈迦の説いた理法が尊ばれ キリスト教国では西洋文明 科学、哲学が入ってきたのではないでしょうか。 そもそも、どこそこ発祥か、ということよりも、それをどのように活用したか、のほうが、重要のように考えます。 最近、知ったのは、韓国の宗教事情は、仏教とキリスト教とで、半々なのだとか。 それから・・・蛇足でありますが、哲学好きの皆さんが、知性・知識を重視されるのは、とてもよく判るのですが、小生としては「何を知っているか、よりも、何をやりたいのか・やりたくないのか」ということのほうが、重要ではないか?という考えに、傾いております。 こんなことまで書かせて頂くことになり、ありがとうございます。

yuniko5960
質問者

お礼

クリナルさんの気持ちが聞けてよかったです 人間の 存在と人権は けして奪われてはなりませんねえ 正義は全ての人の人権を塗ることですから 戦争や紛争はいけませんねえ。 人権を守ることは容易じゃないですねえ 仮設住宅や食料などの物資 水、電気などが必要になることが多いです。 衣食住揃って着替えや毎日の供給が出来てなんとか成るかどうかですから。 人権ルネサンスv^^。ピース2022で行きたいと思いました。 どうもありがとうございます。(^O^)/

回答No.7

人間とはなにか、 →これは、貴方が、もしくは他の誰かが、「人間とは、このようなものである」とどう定義するかの問題でもあります。 例えば、遺伝子として、例えば、ある程度の知性を持つ生き物もして、定義するかです。 また、一般的な人間への理解を深めたいなら、生物学的には学問として学べますし、釈迦牟尼の様な聖者の認識も学べます。 例えば、輪廻転生の中で「天界の神々、阿修羅、人間、動物、餓鬼、激苦地獄の住人」の人に今生は転生した魂のこととか。 人間の本性は怖ろしいのでしょうか 素晴らしいのでしょうか、 →少なくとも表面上は恐ろしくもあり、素晴らしくもありです。 本質とは何か、 →それを心の働きとして考えると、やはり恐ろしくもあり、素晴らしくもある、それぞれの要素を持っていると思います。 もちろん、人それぞれ違いがあり、同じ人物でも、時と共に変化します。 戦争の時の人間と 運動会の時の人間とどう違うのでしょうか、 →本質として考えてみる心の働きや表現される行為も、違って来ると思いますし同じような心の働きをする事もあるでしょう。 貴方が人の本質とは、また、人間とは何か、大切なものをしっかり理解しようとする点はとても素晴らしい。 良い会話、質疑応答をありがとう。 例えば、物理的に人間の理解を深めたければ、現代医学や科学を学問として学ぶことも有効だと思います。 例えば、精神的に人間の理解を深めたければダライラマの仏教入門のような、釈迦牟尼の叡知を学ぶことをおすすめします。 曖昧に大雑把な理解やアプローチから、より明確で微細な理解を求めるのは有効だと思います。 ある理論をすぐ受け入れるのではなく何故そのような理論に至ったかを求める思考も有効だと思います。 ありがとうございました!

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.6

yuniko5960様、お礼、ありがとうございます。 (昔は、「ANo.某でございます」なんて、言ってたが) >キリストのぶどうの樹につながって 科学も 文明・文化も栄えました ・・・これは、ですねえ。 「キリスト教文化」というのは、確かにあるとしても、「キリスト教文明(科学?)」というのは、ちょっと違うのでは? 曰く「文明は、文化を破壊する」・・・天動説と地動説、ですね。

yuniko5960
質問者

お礼

ありがとうございますクリナルさん 昔は人権でしたかねえ 最近人権が守らなければ正義もなにもないと思うように成りました。 クリナルさんは先駆者ですよ。 キリスト教文化はありますねえ しかし科学研究者もクリスチャンが多かったのではないでしょうか ニュートンもクリスチャンだったようですし 西洋の科学が旧に盛んになったのも 神の摂理を知りたい というものが在ったのではないでしょうか。 よくは分かりませんが 仏教国では釈迦の説いた理法が尊ばれ キリスト教国では西洋文明 科学、哲学が入ってきたのではないでしょうか。

noname#258718
noname#258718
回答No.5

 人間の本性は、善でも悪でもない。 「人間とは?」となれば、今度、一万円札の肖像画になられる渋沢栄一の「論語」でしょう。  人間は、火を使う生き物です。 しかし、その火(道具)を、どういう風に使うかは、人間が決めます。  極端な例が、放射能。 レントゲンといった医療で使えば、素晴らしいでしょうが、戦いに使えば、恐ろしい道具です。 >戦争の時の人間と 運動会の時の人間とどう違うのでしょうか?   人間が違うのではなく、状況が違います。 戦争のときは、敵を殺さなければ、自分が殺される(敵にも味方にも)  運動会では、どうでしょうか? 別に、敵ではないですし、競争でしかありません。 (戦い、ではないですし、それは、反則で、失格。)  根本的に、目的が違います。(多分・・・  ※すべては、人次第。(AIの登場で、より、人間性が求められる時代となりました。 

yuniko5960
質問者

お礼

成る程です。 人間は何をどう使うかは自由という事でしょうか? 人間とは何かは人間次第ということでしょうね 自分次第だと。 火をどう使うかは人間にかかっていると。

  • kurinal2
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回答No.4

こんにちは。 >キリスト教は強く信じますねえ 「神」から、ああしろ、こうしろ、と、言われ続けた挙句、何の罪も無いのに死んでも「パラダイスに、行った(だろう)」で、おしまい。 ・・・アナタは、神を信じますか?

yuniko5960
質問者

お礼

クリスチャンも 生きてる内に天に徳を積み続けたのなら それはそれで良いのではないでしょうか 人を愛し 人に希望を与える訳ですから キリストのぶどうの樹につながって 科学も 文明・文化も栄えました 日本は独特ですから 希少価値もあるかもしれません 日本は恵まれてたのですから その成果を見せなければなりませんね どうもありがとうございます。

  • sirasak
  • ベストアンサー率27% (348/1287)
回答No.3

人間とは他の生物を食して自分のDNAを持つ子孫を増やすことだけに生まれてきたのですが、自分一人だけで食料を確保したりするのは困難なので得意分野を協力して生活して地球にのさばろうとする動物であると思います。 現代の人類は一人のアフリカ女性の子孫だと言われているので地球人は皆親戚関係であるわけで仲良くしないといけなくて争うことなど出来るわけでは無いのですが、レベルが低い気が狂った指導者が国民を戦争に駆り出しているのは困ったことです。 昔よりも戦争被害者が減っているのは文化が発展したためと思いますが、教育水準を向上させないと争いは無くならないと思います。 AIが進歩しているので将来は矯正もしっかりできて皆優しい親戚付き合いになって地上に繁栄したら月や火星にも進出すると思うと楽しみです。

yuniko5960
質問者

お礼

疑心暗鬼で 或いは相手の国のルールが入ってくると 独裁者とか地位ある人は降ろされるかもしれませんからねえ 場合によってはギロチンや首縊りで殺されるかもしれません それを恐れるんでしょうねえ。 大変どうもありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.2

「銃・病原菌・鉄」だったかな。何かの本に書いてあったのですが、人類の文明の歴史とは「民族殺し合いトーナメント」だったということです。 例えばニュージーランドの先住民族というとマオリ族だと私たちは思っていますが、実はマオリより先にニュージーランドに先住していた民族がありました。マオリは後からやってきた民族だったのです。 マオリには際立った特徴がありました。それは「血に飢えている」ことでした。ニュージーランドにやってきた彼らは、先・先住民族を殺したのです。 驚いたのが先・先住民族でした。彼らは温厚な民族で、戦争というものを知らなかったし、やろうとも思わなかった。すっごい怖い人たちがやってきて片っ端から殺されたので、びっくりして彼らはとりあえず逃げたのです。 ところがマオリの血の飢え方はハンパじゃなかった。先・先住民族を追ってどんどん殺戮の旅を続けたのです。先・先住民族が「このままでは全員殺される。俺達も戦わなくては」と思ったら歴史もまた変わったかもしれませんが、彼らはそう思わなかった。なんであの人たちは僕たちを殺すんだろうと思いながら追われていって、そして絶滅したのです。 チグリス・ユーフラテス川から中央アジアにかけてのあたりは、それで東から西から、何度もそういう「殺戮トーナメント戦」が行われて、生き残った、つまり殺すか殺されるかで殺した人たちが住んでいるわけです。 中国の中原地方もそうで、紀元前の中国民族と後の中国民族はDNA的に全然違う民族で、現代に以前の民族のDNAは残っていません。つまり彼らは「女はみんな俺たちの嫁だぁ!」ということさえしないで、全員殺して根絶やしにしたということなんですよね。 昔、NHKとBBCが共同制作した狼の群れを追うドキュメンタリー番組を見たことがあるんですけどね。狼が鹿を追って狩りをする様子を上空のヘリコプターから撮影していたのです。撮影したのはBBCのイギリス人スタッフです。 僕ら日本人は、鹿が追われているのをドキドキしながら見ている。一匹の狼が先回りして待ち伏せをしていると「あっ、危ない!」としか思わない。つまり狩られる側の視点で見てるんですね。 ところが撮影していたイギリス人スタッフはそれを見ながら「いいぞ、いいぞ」といっていて、狼が待ち伏せをしていると「そうだ、やっちまえ!」と完全に「狩る側視点」でしか見てなかったんですね。私は「これが狩猟民族の怖ろしさよ」と思いました・笑。 イギリスはストーンヘンジを作った謎の民族がいて、その後ケルト人がやってきて、その後にフランク人がやってきて、ローマ帝国の支配下になり、サクソン人というドイツ系の民族がきて、デーン人というデンマーク系のいってみればバイキングがやってきて、ノルマンディー地方の人たちがイギリスを征服する「ノルマンコンクエスト」によって今のイングランド人に繋がっていくという歴史があったわけですから、そりゃ殺戮に強いんですよ、あいつらは。

yuniko5960
質問者

お礼

生存競争ですねえ 昔は野蛮だったのか本音だったのか 相手を殺して其処に住む 戦争そのまんまですねえ ニュージーランドでもそうなら他の国もそうでしょうねえ 共存とかは考えてなかったのでしょうねえ まあ動物的な一つの進化だったんでしょう 勝てば官軍ですねえ。おそろしあ。

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.1

曰く、「「人間」とは、何か」 ん-、仏教みたいな、問いですね。

yuniko5960
質問者

お礼

仏教はよく考えますねえ キリスト教は強く信じますねえ 今はどちらも日常形式的でしょうけど 感覚は違いますねえ。 ありがとうございます。

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