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キリシタン弾圧のための火あぶりの刑について
日本古来の方法としてはの斬首は多かったのではないかと思いますが、キリシタン弾圧に用いられた火あぶりの刑はどのようないきさつで行われるようになったのでしょうか。
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>キリシタン弾圧に用いられた火あぶりの刑はどのようないきさつで行われるようになったのでしょうか。 江戸時代の処刑方法には、6種類存在します。 このうちの一つが、「火あぶり」ですね。 「火あぶりの刑」は、「のこぎり挽の刑」と並ぶ残酷な処刑方法だったのです。 首切り・磔は、処刑後まもなく絶命しますよね。 下手人(今の下手人とは異なり、江戸時代は死刑囚を意味します)は、生きたまま火あぶりになるのです。 原則的に、(苦痛を止める手段としての)とどめは刺しません。 当時の処刑は(北朝鮮と同じで)、公開処刑です。 炎のなかでの阿鼻叫喚は、見せしめにには最適だったのですね。 絶命するまで、火あぶりが続きます。 恐怖を与えるには、十分。 余談ですが・・・。 火あぶりで絶命した遺体は、再度跡形もなく焼却を行った後に捨てました。
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- sutorama
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>これは救いと言うべきだったのかどうか難しいものですね。 日本の宗教には殉教者という思想が薄いので、まさか本当に死を選ぶとは・・ということだとも感じます 当時の幕府側としては、踏み絵のように、信仰を自ら捨てさせる方法(自己責任)をとっていましたので「死ぬほうが怖いだろう?」というのが、火刑(死刑)ではなく、逃げることができる「火あぶり」だったのです なので、磔(はりつけ)にして、火が徐々に強くなり、信仰を捨てて逃げ出す様子を周りの住民や隠れ信者に見せびらかすことが目的であったのに、殉死・殉職者は尊いという教えが強いことまで読めず、逆に幕府側への敵対心を広め、信仰心を強めてしまう結果になったのだと思います ちなみに江戸時代の火刑(放火の罪で死刑)は、顔や首に藁などを巻いて火をつけ、陰部なども燃やすという残酷拷問な死刑ですから、火あぶりの刑を火刑と同意語で捉えるのは間違いです https://www.collegium.or.jp/~take/christi/rekisi3.html
お礼
いずれにしても残酷なものですね。
- SPS700
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日本古来の方法としてはの斬首は多かったのではないかと思いますが、キリシタン弾圧に用いられた火あぶりの刑はどのようないきさつで行われるようになったのでしょうか。 以下は、片岡弥吉『隠れキリシタン』NHKブックス56』1967年初版の受けうりです。 1、35ページに次の様な表があります。 殉教の刑種と種子、3792名の内訳 はりつけ: 60 斬り刻み: 20 斬首: 2153 雲仙地獄責め: 33 火あぶり: 481 竹鋸びき: 58 穴づり: 121 獄死: 685 水責め: 22 その他: 193 溺没: 24 2。さらに36−7ページには 「殺すだけなら、斬罪で良い、見せしめのためなら、はりつけだけでよかった。しかし、キリシタンの処刑は、信仰を捨てさせることにあった。」とあります。 3。ですから (い)殉教すればハライソ(天国)へ行けると言う考えを崩し、残酷な処刑で他の信者の転宗を計ったこと。 (ろ)藩幕体制を維持するためには政治・思想の統制には鎖国を推し進めなければならなかったこと。 の少なくとも二つの理由があった様です。
お礼
宗教に残虐なことが多いのもそれなりの理由があるのですね。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
--- 火あぶりは、柱にくくりつけ、周囲に薪を置いて火をつける。苦しみを長引かせ、信仰を捨てさせるため、薪は柱から離してとろ火で焼いた。背教したければ逃げ出せるよう、くくる縄は弱く縛ってあったという。 --- つまり当初は、信仰心の強い上位の者を晒して、その場で信仰を捨てて逃げる様を見せつけたかったけども、信仰を守って逃げなかったらしいです よって、火刑(死刑)とは違い、火で炙(あぶ)って「じわじわ」と攻めるので「火あぶり」と称していると思われます
お礼
>。背教したければ逃げ出せるよう、くくる縄は弱く縛ってあったという。 これは救いと言うべきだったのかどうか難しいものですね。
お礼
いかにもものすごい光景だったでしょうね。