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元号と天皇
一代の天皇の期間に複数の元号が存在するのはなぜでしょうか。 例えば仁明天皇のときは天長、承和とあり、円融天皇では5つの元号があります。 最も近代では孝明天皇のときで6回の元号があります。 もしかして、私が文献の見方を間違っているのでしょうか?
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>一代の天皇の期間に複数の元号が存在するのはなぜでしょうか。 江戸時代までと明治維新以降の天皇制は、全く別物です。 変化したのは、次の通り。 1.天皇は、万世一系の男系が即位する。 1.元号は、新天皇が即位した場合のみ改元する。 ですから、江戸時代までは幕府・朝廷が同意すれば同一天皇でも複数回の改元が可能でした。 例えば、天変地異が大いので改元して新たな世とするとかね。 暗殺された孝明天皇在世は、天変地異・政情不安・列強からの圧力などで国内は疲弊していました。 神道を司る天皇の改元は、一種の神頼みだったおのです。 余談ですが・・・。 明治憲法で「天皇は、神聖にしておかすべからず」となっていますよね。 何故だか分かりますか? 一説によると、明治天皇は偽物で本物は長州藩内で死亡している。 この事実が明らかになれば、都落ちした公卿と長州閥の立場が弱くなる。 そこで、天皇に関する一切の詮索はするな!という事らしいです。^^; 虚弱体質で右利きだった裕宮(7卿の都落ち時には、行くへ不明)が明治天皇になると京人は驚いたそうですよ。 筋肉隆々の大男で、左利きでしたからね。 一説には、伊藤博文が組織した「相撲隊隊員」らしい。^^; 1945年前にこんな事を書くと、即逮捕!です。
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疫病 不作などの変な現象起きると げん直しのため 元号かえることおおい 令和も変えて欲しい
- Higurashi777
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そもそも「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める(一世一元)」となったのは明治以降です。 明治以前は「大きな厄災が発生した場合は元号を変えることでリセットし、厄払いとする」「中国の風習に従い、甲子、戊辰、辛酉といった干支の周期にちなんで改元する」ということが一般的でした。 すなわち、天皇在任期間中に元号が変わることはあたりまえだった、ということになります。 このシステムが現在も採用されていたならば、「令和」はとっとと改元されていた可能性もありますね。 以上、ご参考まで。
お礼
なるほど、だから孝明天皇までが複数の元号があるのですね。大変よくわかりました。昔だったら「令和」は極めて良くない元号として即、変わったのでしょうね。 有難うございました。
- aokii
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文献が間違っているのかもしれません。あるいは、古い記録なので未だ良く解っていないのかもしれません。
- kana1104
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疫病が流行ったり何か不幸があると、邪気を祓うために元号を変えたと聞いたことがあります。
お礼
回答NO3の方と同じ意味ですね。有難うございました。
お礼
孝明天皇が暗殺されたという説は別の動画で見ました。この時も結構説得力がありましたが、やはりこの説は純粋に学術的に考えると正しいような気がします。確かに戦前では即逮捕でしょうね。 明治天皇についても大変興味深い話です。 有難うございました。 勿論、質問に対する回答もよくわかりました。