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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:継体天皇の在位期間の真実)

継体天皇の在位期間の真実と日本書紀・古事記との一致する最古の客観的歴史記事

このQ&Aのポイント
  • 第26代継体天皇の在位期間は507年3月3日 - 531年3月10日である。
  • 継体天皇の事績の中で、確実に行われた年代が判明しているものはあるのか。
  • また、日本書紀・古事記と中国史書の記述とが一致する最古の客観的歴史記事は何だろうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • D-Gabacho
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回答No.1

中国の歴史書だからといって、必ずしも全面的に信頼できるわけではありません。とくに南朝の諸王朝は短期間で興亡を繰り返し、政治的に非常に不安定でしたから、歴史書の信頼性もかなり落ちるといえます。 502年に梁の武帝が、武を征東大将軍に進号したという『梁書』武帝紀の記事についても、倭の使者が朝貢したという記述がないことや、『梁書』「諸夷伝」の倭国に関する記事が『魏志倭人伝』など過去の歴史書からの丸写しであることなどから、実際に倭王武の使者が来て進号を受けたかどうか疑問視されています。『日本書記』で479年に亡くなったことになっている雄略天皇が、倭王武の候補として有力視されているのは、『梁書』の502年の記事が信用されていないからです。 478年に倭王武が宋朝に使者を派遣し上表文を奉ったという『宋書』の記事については、その上表文の引用が載せられているため、非常に信頼性の高い記事として重視されています。倭の五王に関する他の記事は、これに比べると信頼性が格段に落ちるので、取り扱い注意という感じです。 そんなわけで、倭王武を仮に雄略天皇としても、継体天皇の在位時期には影響しません。

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