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天皇ってなんでいるの?
SAPIO連載の「ゴーマニズム宣言」にて、作者の小林よしのり氏が コギャル風の女子高生を相手に「天皇とは何か?」という説明を するという回がありました。 その中で小林氏は、「天皇とは、日本国民の幸福を願って、 『祈る』存在である」とし、「日本には天皇がいるおかげで ヒトラーや金正日のような独裁者が現れない」と説明していました。 しかし、日本が第二次世界大戦へ参戦した時に「天皇の権威」が 利用されてしまったのは歴史的事実。 戦争の意義・正当性については、意見が大いに分かれるところかと 思いますが、「あの戦争は日本国民にとって、大きな不幸だった」と いう認識は思想の左右を問わず一致するところではないでしょうか。 だとすれば、「天皇の祈りなんて無力」という事になってしまいます。 日本の歴史を紐解けば、天皇は常に権力者によって、権威を利用され 続けています。 果たして、天皇が存在する事は日本国民にとって幸福でしょうか? 不幸でしょうか? 天皇の存在意義とは何でしょうか?
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まず天皇の役割はとはなんでしょうか。 takeshi95様は「日本の歴史を紐解けば、天皇は常に権力者によって、権威を利用され続けています。」とカンパされておりますが、これには逆説的な疑問が生じます。それは、 なぜ権力者は天皇を廃して自分が最高権力者にならないのか? ということです。 人類の歴史を紐解いてみると、権力者というものは大体3つの種類に分かれることが分かります。 ・王族・貴族など富と財産(と軍事力)を持つ権力者、民主主義では大統領・首相など選ばれたリーダー ・法王・祭司長など民衆の信仰(に基づく集団の力)に支えられた権力 ・虐げられた民衆が、権力者に対向できる指導者を中心に集まり、指導者に権力が与えられる の三つです。 たとえば古代ローマのユリウス・カエサルは、それまでの共和制ローマ(つまり民主主義国家)から、大統領と同じ権限&祭司長と同じ権力&平民のリーダーと、上記の3つの権力を全て1人の人間が保持することで 、皇帝(エンペラー)という王様よりも強い権力者を作り出すことに成功しました。 当時のローマは内憂外患状態で、皇帝が出現したことによりさらに発展する事になったのです。 日本の隣の中国を見てみても、ローマとは違う絶対権力者としての皇帝がおり、近隣の諸国を含めて統治していました。ですので、日本の権力者がそのような方法を知らないわけがなく、中国で王朝が変わるように大和王朝を倒して、(たとえば織田王朝など)新しい王朝を作ることもできたはずです。 ではなぜ日本で王朝が変わらなかったかというと、それは多分に「同一民族だったから」だと思います。中国で王朝が変わるということは征服民族が変わるということでもあったからです。また異民族同士の覇権争いは皆殺しが原則で、生き残っても奴隷に売られるなど民族として子孫を残すことができないのが、アジアでも西洋でも同じ世界的なルールなのです。 これを知っている日本人は、「同じ日本人同士でそこまで極端な覇権争いをする必要は無い」と考え、天皇を祭司長の役割に限定する事によって、「天皇から征夷大将軍をもらったら天下統一ね」とルールを決めたのではないかと思っています。 事実、豊臣秀吉が関白になってからは、日本人全員が「天下は太閤のもの」と考え戦国時代に一旦区切りがついています。 これはある意味(強制はあったにせよ)天皇家が祭司長の立場だけに身を引くことによって、日本国内での争いに一定のルールと歯止めがきく状態になっていたということです。 これは日本人にとって偉大な発明であったといえるでしょう。私は天皇家がどのような血筋であっても、天皇制自体がすばらしい日本の発明だと思います。 天皇制のために無益な戦争が起こらなかった、それだけ日本人は一般的な世界(国同士、民族同士の争い)から見れば、幸せだったと思います。間違いなく江戸時代までは幸せだったといえると思います。 では明治以降はどうでしょうか。 私は明治維新を「古い権力体制を壊して、新しい価値観(西洋的な価値観)に基づく新しい権力を作る運動」だったと捉えています。このような運動はフランス革命に始まり、近代化を成し遂げた国は必ず通っている道といえます。西洋でも王族が残って近代した国がありますが、日本の場合は「フランス革命並みの動乱が起きても不思議は無かったのではないか」と考えています。 フランス革命は、文字通り王政を廃止する過激な革命だったのですが、その後80年も不安定な政治が続きます。一つは急に王政を廃止した為に国を支える制度が無くなり、民主派・王党派(復古派)・軍治派などが覇権を争い国内がむちゃくちゃになった時期があるのです。その間民衆は翻弄され続けましたし、革命が飛び火するのを恐れた近隣国がフランスを占領しようと戦争を仕掛け、これまた無力な民衆を苦しめました。結果、皇帝ナポレオンという実力者がこれを治めた後、第三共和制でフランスが自由主義的近代国家として安定するのですが、それまでに80年必要だったのです。 日本の場合は、幕藩体制という権力体制を壊したものの、すぐに古くから残しておいた天皇制を復活(本当は内閣制にして今の日本の体制とほとんど変わらなかった)し、諸外国とも交渉できた結果、日本は内紛もほとんど起きず、外国から攻められることもなく、近代国家日本を誕生させることに成功しました。世界の他の国を見ても、これだけ上手く近代化できた国は非常に少ないのが分かると思います。 これも天皇制という日本的な二重権力構造があったからだと思います。フランスの生みの苦しみの80年に比べれば、日本国民は幸せだったいえるのではないでしょうか。 第二次世界大戦については、案外「日本国民自体の責任」が総括されていないと感じています。どうも「天皇の責任」ばかりに目が言って、自分たちの責任を自覚していない感じがするのです。 実は日本でも1928年には、男子のみですが普通選挙が実施され25歳以上の男子が選挙に参加しています。日中戦争が始まるのは1937年ですから、その10年近く前には現代とほぼ同じように国民が選挙で国政に参加しているのです。その後日中戦争開始の1年後には国家総動員法も可決され、アメリカに宣戦布告する道を進むようになるのですが、この時点では「戦争を国家を挙げて遂行する」方向であっても、アメリカを相手に戦争する、ということにはなっていなかったのです。しかもこれらの法律を通したのはまったく民主的な手法によって選ばれた国会でのことです。 >「日本には天皇がいるおかげでヒトラーや金正日のような独裁者が現れない」と説明していました。 私もその通りだと思います。しかし日本人は独裁者を必要とせずに狂気の道を進める民族でもあるということです。 「赤信号皆で渡れば怖くない」ですね。 天皇の歴史的経緯に戻ります。 実は今でも天皇の役割は原則的に鎌倉時代と変わってはいません。「征夷大将軍」の代わりに「内閣総理大臣」の御璽を授けるだけです。 このような誰かに権威と権力を与える(つまりお墨付きを与える)行為は他の国でも行なわれます。アメリカ大統領は人民を前にして「聖書」に手を置いて、大統領就任を神に誓います。つまり選んだのは人民ですが、お墨付きを与えたのは聖書に書いてある神であるということです。 イギリスの内閣総理大臣は王室が任命しますが、王室自体が英国国教会から(つまり神から)王権を付託された権力者(王権神授説)であるため、神が選んだ人間が任命するという図式になります。 このように「神」が政治にかかわる政・祭の伝統は今でも世界各地で続いているといえます。 日本の場合、英国やアメリカのような神はおらず、八百万の神々がいることになっています。天皇はそもそも神の孫「天孫」ですので、神と同一の行為ができる存在とされているのです。そのため戦前は現人神とよばれ、戦後は人間宣言をしてバチカンの法王と同じような役割とされています。しかし現人神でも法王でも、最初から一神教の「神」と日本のカミはまったく違うものなのです。 これをよく理解しないと、小林よしのり氏の本当にいいたい事が理解できないはずなのです。 現代の日本人は、自分の宗教を聞かれると「無宗教」と言ってしまうぐらい、自分たちの文化に無知だといえます。宗教と言った時にすぐに浮かぶのが、キリスト教の教会や聖書、イスラム教のテロなどでしょう。しかし日本の宗教観は多神教で考え方がまったく違うのです。日本人は日々宗教的な行事を行なっているのですが、それに気づかないのです。 天皇制も同じです。「1500年以上も続く国家とそれを統べる王朝がずっと続いている」という意味にまったく無頓着なのが日本人なのです。民族が滅亡した、隣の王朝に征服された、という歴史を持つ国の人々から見れば、なんて安定した国だろう。と思うはずなのです。 私は子供の頃にアメリカの現地学校に通っていたことがあります。アメリカの学校では、毎朝星条旗に向かって「忠誠の言葉」を暗誦します。アメリカは移民の国ですので、星条旗の理念に従って国に尽くす人々をアメリカ人と呼ぶのです。 しかし私からすると、「そんなめんどくさいことをしないと国が成り立たない」国のほうが不思議です。そういう意味では、北朝鮮の金日成バッジと星条旗は同じ役割を担っているのです。 明治から戦争終結まで、日本の天皇も同じ役割を担わされました。しかし現代ではまた明治以前の穏やかな天皇制に戻っているといえるでしょうし、普段天皇のことを考えなくても、日本がなくなってしまう心配をしている日本人はほとんどゼロだと思います(不況とかそう言う事ではなく、国としての日本がなくなることです) 天皇制を維持している限りは、どのような国家体制になっての日本は日本であり続けると思います。200年後民主国家日本は終わりをつげているかもしれませんが、天皇制日本は連綿と続いていると思います。 そう考えると天皇制はやはり日本人の最大の発明だと思えてならないのです。
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- cyototu
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#10です。 いま#4さんの回答を読んでなかなか読み応えのある論説だと思いました。特に >天皇制はやはり日本人の最大の発明だと思えてならないのです。 には賛成です。しかし、 >ではなぜ日本で王朝が変わらなかったかというと、それは多分に「同一民族だったから」だと思います。 については、何か他の本質的な部分が認識されていないようで、隔靴掻痒ってな感想を持ちました。確かにその面もありましょうが、それにも増して重要な歴史的偶然が在ったことが、本質だと思います。それは、#10のはじめの部分でも要約してありますが、覇を競い合う権力者達が皆ドングリの背比べだったと言う歴史的偶然です。多分千五百年ほど前に天皇家が日本を統一した頃は、天皇家が抜きん出た軍事力を持っていたのでしょうが、その後五百年ほどで、その軍事的優位性が完全に失墜し、群雄割拠になってしまったのが原因だと思います。そのような状況では、群雄が協定でまとまってしまうと、どの豪族も単独では軍事的優位性を保つことができないので、国民全体を単一の王の下に直接支配する中央集権制度を導入することができません。その代わり、王達の合意の下で、王の王あるいは将軍を認定するという、封建制度にならざるを得ないのです。政治の安定期に、中央集権制度ではなく、封建制度を採用したのは、人類史の中のこの2千年では、日本と西欧しかないらしいです。何方か、他の例をご存知だったら、教えて下さい。孰れにしても、その西欧が日本と共通していたのは、やはり覇を競い合う権力者達が皆ドングリの背比べだったと言う歴史的偶然です。 いやいや違うよ、西欧は、異民族の寄り集まりだったので、封建制度と言っても、その国の内部や同一民族の間では中央集権制度が採用で来たのではないか、という反論もありそうですが、そんなことは在りません。イギリスがその反例となります。彼らは同一語を話す同一民族でしたが、やはり国内に何人も王がいて、その王達の合意の下でUnited Kingdomを作って居りました。中世の頃は、イギリス内部での情報や物流の移動は現在のアメリカ大陸内部を横断するより遥かに時間がかかったのですから、イギリスは島国だという発想は、今のアメリカはもっと小さな島国だと言っているくらい、あまり意味がある主張には思えません。ドイツも単一言を話す単一民族であったにも拘らず、ドイツ連邦と呼ばれ、多くの公国に別れた国家連合でしたね。 島国や海による孤立よりももっと重要だと思える因子は、やはりドングリの背比べによる封建制度の採用でしょう。この制度では、王の王を決めるのに、どうしても強大な軍事力以外の権威が必要なのです。それが、日本では天皇だったり、ヨーロッパ大陸では法王だったり、あるいはイギリス国内ではイギリス国教会だったりしたのです。 実は、#4さんが主張されているように明治時代は別だったわけではありません。もし、薩摩でも長州でも土佐でも、単独で日本全土の各藩を敵に回しても勝てる自信があったら、天皇など持ち出す必要は無かったのです。ここでも、封建制度の体勢をフルに利用して、大政奉還に依って、徳川家が一時的に天皇家からお預かりしていた権力を一先ず天皇にお返しして、徳川家をその他大勢にしておき、改めて、天皇から薩長土佐がまた、その権力を一時お預かりするという形式で、世界でも稀な、ほとんど無血革命にも近いことが可能になったのです。 明治時代が日本の以前とは本質的に異なった制度になったわけではない証拠として、アーネスト・サトウ著『一外交官の見た明治維新』岩波文庫を挙げておきます。その中で、サトウは明治天皇が如何に普通の方であり、並はずれてれ優れて居られた方ではないかを、露骨に書いて居ります。明治政府も、それ以前の日本と同じ様に、天皇から権力をお借りした連中に依って、支えられていたのです。 したがって、私は天皇制の存続の第一義的な原因は、ドングリの背比べにと言う、歴史的な偶然に因って、他には西欧にしか発生しなかった「封建制度」という人類史的に見て例外に属する制度を、日本が独自に発明したことにあると思います。それに比べると、単一民族であったのはイギリスやドイツの例でも判るように第二義的な原因でしかないと思います。 封建制度では、各領主は藩の間に適度な緊張感を保った競争原理が働きますので、身の安全を維持するために、技術や産業の発展を促します。ヨーロパでは多くの革命的な技術が繰り返し生み出されて来た場所が二カ所あります。一つは、ベルギーのアントワーペン辺り、もう一つはミラノを中心とした北イタリアです。この両地域は、ともに西欧の強国がぶつかり合う狭間にあります。考えてみたら、尾張の小国も、強国同士のぶつかり合いの狭間にありましたね。このように、力が拮抗してドングリの背比べになると、技術や制度の発展を促すのです。 また、封建制度では、中央集権制度とは違って、各領主や藩主に土地の私有権が認められて居りますので、資本主義の発展にとって最も重要な概念である私有財産制が体得できるようになっています。西欧と日本だけが一早くスムースに産業革命をやってのけたことの本質的な原因は、やはりこの封建制度にあると思います。 では、この発明のクレジットは日本では誰が持っているか。一見、頼朝のように思えますが、最近、山路愛山の名著『源頼朝』東洋文庫、を読んで、目から鱗が落ちました。彼に因ると、藤原の荘園制度を根底からぶち壊し、幕府制度に移行する新しい試みは、ほとんど全て清盛の独創的な政治感覚に依って成されていたと主張して居ります。私は、今まで頼朝に軍配を上げていたのですが、どうやら、この軍配は清盛に上げ直すべきではないのかと、軍配の指し違いを反省し始めて居ります。 歴史的事実に無関係に明治が江戸を糞味噌に言ったように、鎌倉の源氏が平家を糞味噌に喧伝するのは、政治改革が行われるたびに繰り返されて来た歴史的事実です。書物にそう書いてあったという理由だけで、江戸時代を前近代的だったと言ったり、清盛は傲慢一徹だったと納得してしまうのは、危険な態度だと思いました。 実際、江戸時代乃至それ以前に独自に導入されていた近代的な制度や認識は、堺の銀行制度、私有財産制(=本領安堵:鎌倉の「貞永式目」参照)、禁治産者や子供の刑法的差別、自然淘汰に基づいた進化論、種痘の発見、和算による積分や行列式の発見、等々、西欧以前に日本がやり遂げたものは数限りなくあります。納税額に因らず一定の年齢に達した男性全てに与える男子普通選挙制度が導入されたのは日本では1925年ですが、それは、アメリカで同じアメリカ人である黒人に対する法的差別を禁じる公民権法が成立する1964年よりも、40年も前のことです。単に横文字で表現されていなかったというだけで、自分たちの発見したことを忘れて、何でもかでも新しいものは欧米から入って来たのだという明治政府や、戦後のアメリカ軍の宣伝文句をいつまでも金科玉条としている日本人を見ると、欧米人は大喜びすると思います。 ついでですが、#10に誤植がありました。民主党の小沢さんが親戚なのは金森家ではなく、自民党の金丸家でした。また、先日知ったのですが、今度の自民党の新総裁谷垣さんも政治家二代目の御曹司だったのですね。日本では、政治はハッキリ、ファミリービジネスになってしまったのですね。
- cyototu
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たまたま日本で天皇家が世界でも類を見ない程長続きした理由には、日本の権力競争参加者達が、平家、源氏、北条家、足利、豊臣、徳川と、全て皆ドングリの背比べ状態であったという偶然があります。織田信長だけはその点例外でしたが、幸か不幸か、彼は志し半ばで暗殺されてしまいましたので、天皇家断絶によって新しい皇帝が生まれるチャンスが潰されてしまいました。 天皇家が存続しているもう一つの理由は、どうも、人間の本性に根ざしているようです。何代もその家系が続くと、当代御曹司の能力に関係なく、人々はその家系を重んじ、たとえその御曹司が無能でも、それを担ぎ出して崇め奉るというのが、残念なことに人間の持って生まれた性のようです。 最近の例では、細川、竹下、小泉、福田、安倍、そして漢字の読めない麻生等々、すべて彼らは、ウン代目の御曹司だと言うだけで、総理大臣になれましたね。今の民主党の鳩山だってその典型な例であることをお忘れなく。総理大臣ばかりでなく、中川、石原、河野、小渕、田中、赤城、、、その数を数えだしたら限りが無いくらい御曹司のオンパレードです。 そうそう、時代の寵児、民主党小沢さんは、「金竹小(こんちくしょう)」と呼ばれる親戚一同、すなわち、自民党の金森家と竹下家と小沢家の御曹司ですね。鳩山兄弟だって、自民党と共産党と言うなら、その気骨に脱帽致しますが、自民党と民主党だなんて、同じ金持ち家の中の兄弟喧嘩をしているだけで、国民を馬鹿にしているような物ですね。 また、最近の例では、既得権益をぶっ潰すとマスコミを利用しながら鳴り物入りで出て来て、郵政の民営化や派遣社員の合法化等で一般庶民の生活を滅茶苦茶にした、政治家第3代目の小泉某が、何と自分の既得権益を第4代目の御曹司に譲るという度肝をぬくような偽善をぬけぬけとやってのけたら、人々は嬉々としてその4代目を衆議院を当選させましたね。 先日の自民党総裁選挙でも、若返りのドサクサに、自由競争や小さな政府と言うお金持ちたちが大喜びする竹中平蔵推薦のアメリカ流の政治を日本に持ち込もうと宣伝していた河野さんを、毛並みが良いというだけで、マスコミがもてはやしておりました。 恐ろしいことに、日本にはこの御曹司達以外に幾らでも優秀な人材がいるにも拘らず、国民達は嬉々としてこの御曹司達を指導者として選ぶのです。国民は不幸のヒロインになれることに恍惚としているのでしょうか。 これは、決して日本だけの現象ではありません。アメリカでも、自分の国の英語もろくに話せない、あの麻生某と似たようなブッシュお坊ちゃまはブッシュ家の政治家第3代目か4代目でした。また、アメリカのケネディー王朝もアメリカ人は大好きですね。 人間は、天皇家に限らず何かの経緯でたまたまその家系が続いた場合、その家系を崇め奉り、自分たちの生命財産をその御曹司達に託すことから逃れられない悲しい宿命を持っているようです。 このように、質問者さんが他の方に聞くまでもなく、ご自分自信やその周りの家族や友人や知人達が、政治に対してどのような政党に期待をしているのか、あるいは、どのくらい政治に興味を持っているのか、あるいはいないのかを観察し反省してみれば,その質問の答が自ずから出てくるはずです。
- mars23apr
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■前提 おもしろい提起ですね、小林氏の論は読んでないのでわからないのですがただ論理として、 「天皇が国民の幸福を祈るので独裁者が現れない」というのは事実に反します、(第二次大戦時の東條英機は、独裁者だと思います。:首相・参謀総長・陸相を兼任し、天皇に成り代わりはしませんでしたが、実権の上では独裁者でなくてなんでしょうか。) また、上記と「天皇の権威が戦争などに利用されたので、祈りなんて無力」は、実はつながっていません。 従い、「天皇の祈りは無力という」論理にもなりません。 という答えだけだと感じ悪いので。。。(笑)私の意見も書き込みます。 ■一つ目のご質問:存在する意義というかメリット 意義は「天皇が尊いと思っている人々」を束ね、日本という国への忠誠心・愛国心や働くモチベーションを上げることだと思います。 私自身は「天皇は尊い」とは思わないし、神国や祈り等々の迷信めいたことは信じませんが、そう信じる人が確実に存在するのも事実です。 (減っていると思いますが) デメリットとしては経費くらいでしょうが、宮内庁の経費は国家予算の中で微々たる数値だと思います。(0.1%もあるんでしょうか?) つまり大して経費もかからず、結構な人数の忠誠心を買うことが出来る(ただし信じる人たちに)ということで、政治家はこれを利用しないてはありませんね。 過去イスラムやキリストなどの宗教などもそんな風に利用されてきましたよね。 ■2 国民にとって幸福でしょうかというご質問 1に関連して、天皇の祈りや、神国などの信仰めいた部分を信じる人にとっては幸福でしょうね。 それ以外の人にとっても、現在の政治状況では別に拝むことを強制されることもなく空気みたいな存在なので、デメリットなし。 差し引き、平均すると幸福ということではないでしょうか?
- ?橋 昌也(@fudousin)
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幸福です。 ゆめゆめ疑ってはいけません。
- hurasuke
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日本国民全体にとってという条件でものを考えるのであれば、天皇であろうが将軍であろうが政治家であろうが話は一緒です。誰が政治を行ってもよい。ただ、国民が少しでも落ち着いた生活をできるのであれば。それが話の本筋かと思いますよ。 まことに残念なことですが、私は今現在までの政治体制で、国民が本当に平和で幸福になった政治はひとつもなかったと思っています。天皇制、武家政治、現代民主主義・・・全部権力者にとって都合のよいものであって、国民のためになっているとはお世辞にも言えません。 こういう中で、天皇の存在意義を考えること自体無理があります。私にとって、天皇は必要ありませんし、どの政治も必要ありません。人間にとって社会は必要ですが、国家が必要だとどうしても思えないんです(笑)。 第二次世界大戦の話が出ていますから、ついでにいうのであれば、国民の幸せを本気で願うのならば、勝ち目のない戦争はしてはいけませんでした。また、敗戦が確定した時点で、降伏条件を気にするのではなく、まず国民の生命と財産を気にするべきでした。原爆をひとつ落とされても降伏しなかった理由は、天皇制という国のメンツであって、そこに国民の幸福は考慮されていませんでした。国民から税をとり、国民の生命に対する責任を放棄し、自分たちの安全のみを図る・・・天皇も軍隊も最低の人間たちだと思います。私は彼らからの保護は何もいりません。私も彼らを必要としませんし。 他の人には他の人なりの意見があるでしょう。しかし、私にはこれで充分なんです。
- tanuki4u
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日本の歴史を紐解けば、天皇は常に権力者によって、権威を利用され続けています。 ↓ これに何か問題がありますか? 政治というものが、最小限の人的被害を回避することを目的の一つにするならば、天皇は有効な安全弁です。 No5の方と同じようになりますが、権威の全くない社会はアノミー状態となり、壊滅します。
- booter
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浅学ですが回答致します。 佐藤優「自壊する帝国」よりポローシン僧の言葉からこんな台詞があります。 「国家を存続させるなら神話が必要なのだ。 欧州はキリスト教、アメリカは資本主義。 そして私の理解が正しければ、日本はアミニズム、シャーマニズムを外す事ができない。」 となり、その結果日本は天皇制が敷かれるという事を言っています。 つまりは意義があるから、というのも理由の一つなのですが、上記の言葉から私は、「意義がなくともに日本という風土においては勝手に天皇制のようなものができてしまう」という風に理解しています。 またこの辺も見てみましょう。 上記と同じく佐藤優「国家の罠」より。 2000年4月にロシアに総理特使として鈴木宗男などが訪問した際(この時既に昭和でなく今上天皇のお話し)、 「実は、出来れば、のお願いなのだが、5月にロシア正教会の最高指導者アレクシー2世が訪日するのだが、その際に天皇陛下に謁見できるように、鈴木さんの方で働きかけてもらえないか。もし、迷惑にならなければ、ということでのお願いだ。」 と天皇陛下への謁見というのはプーチンが恐縮しながら鈴木宗男氏に頼むレベルであり、それなりの権威はあるのです。 あとはこの辺ですかね。 情報がかなり怪しいですが、そういう考え方もあるのかという事で。 http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html >エリザベス女王だって天皇陛下と同席するときは上座を譲るし、当然アメリカ大統領だって空港へホワイトタイで出迎えます。 >マッカーサーも、「正直グッと来た」と回顧録で話している この辺はかなり怪しいですが、一読はしておいた方がいいかもしれませんね。
- cayenne2003
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存在の意義、そのものは無いと思います。 日本国憲法に定められている限り、天皇家は存続するのです。 ただし、日本人の国民性として日本人における象徴が必要なのです。 昭和天皇まで、天皇は神と崇められていました。 古来から天皇は神と崇められ、国民から崇拝されてきたのです。 架空の神様では無く、実際に存在する神である天皇に祈りをささげる事により、国民は幸せを感じる事が出来たのです。 でも今後天皇を崇拝する国民は減少してくると思われます。 未来における天皇の存在とは? 未知ですよねぇ。 独断と偏見による解釈です。
- jamiru
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政治→政→祭りごと。 祈るってのはこういうこと。 日本と言う祭りの神輿だよ。 国民は神輿の担ぎ手。 日本に独裁者が少ないのは担ぎ手が「神輿は担ぎ手あっての神輿だ。どちらも欠ければ祭りは成り立たない。」と神輿と担ぎ手の存在意義を一応わきまえていたからさ。 神輿が無いとお祭り騒ぎではなく暴動騒ぎが大好きになるようだけどね。
- bakeratta
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ん~、難しい問題ですね。 ボクとしては、天皇は日本という国家の象徴と捉えています。 奈良県に「せんとくん」がいるような、そんな感じです。 とは言え、天皇家(族?)が関与いる事業もあります。 日本赤十字社なんかもそのひとつですね。 > 伝統的に皇室の援助が厚く、皇后を名誉総裁とし皇太子ほかの皇族を名誉副総裁とする。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E5%8D%81%E5%AD%97%E7%A4%BE#.E6.A6.82.E8.A6.81