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飯豊天皇に関して
文献によって、飯豊天皇を、天皇として認めている文献と、認めない文献が有るようですが、なぜ飯豊天皇に関して、見解が分かれるのでしようか? 飯豊天皇に関して、女帝となる事に、批判勢力があり、その結果あいまいな形になってしまったと考えるのは、正しいのでしようか? もし飯豊天皇を認めないとすれば、飯豊天皇の在位期間は、空位であったと考えるのでしょうか?
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既にご存知の事が多いとは思いますが… 古事記・日本書紀とも、「清寧天皇と顕宗天皇の間に政務をとった」とは書いてあるのですが、記は、飯豊皇女が政務をとっている間に仁賢・顕宗が見つかった事になっていますが、紀ではその兄弟が譲り合っている間のつなぎ、と書かれていますよね。更に、記の下巻内題下の「起大雀皇帝(=仁徳)尽豊御食炊屋比売命(推古)凡十九天皇」も、飯豊皇女(か他の誰か)を計算に入れないと、帳尻があいません。扶桑略記では、ずばり飯豊天皇になっています。つまり、飯豊皇女を単なるつなぎと見るかどうかについて分かれている二つの伝承がある、と考えられます。 じゃぁ、何故そうなったと考えると、 1.理由はともかく、飯豊皇女の即位を認めたくない理由が紀にはあった。 2.飯豊皇女が政務をとったのは事実であり、元来「(例えば)即位式を挙げないと即位とはみなせない」といった硬直的考えはなかったので、二つの伝承が残ってしまった。(というか、即位したかどうかに関する厳密な議論自体、あまり意味が無い) などといった事が考えられます。 どちらかというと1の方がありそうな気はしますが、残っている資料だけで、このどちらかかを断定するのは不可能で、更にその理由が「女帝となる事に批判的な勢力があった」という事になると、それは仮説の一つだと思います。(余程、それをサポートする他の材料が無い限りは)清寧から継体即位までの皇位継承の記録に、何らかの政治不安を読み取り、飯豊即位も、何らかの対立があり、直ぐに決着できなかった為、と考える事もできます。 よって、「ありうるが、それが正しいと判断できる強い根拠も無い」って所じゃないでしょうか。 尚、即位を認めなければ、その期間は当然、次の天皇が決まるまでの「ちゅうぶらりんの期間」という事になります。
お礼
ありがとうございました。 現在色々言われております、女性天皇・女系天皇に関して調べている時、飯豊天皇を知りました。 この時代では、資料が少なく、はっきりした事はほとんど分かりませんが、飯豊天皇の即位に、何らかの抵抗があったと思われましたので、質問してみました。 その抵抗の最たる原因が、史上初の女性天皇であった事ではないかと思ったわけです。 飯豊天皇の男性と交わった時の逸話も、女系天皇に関係してくる逸話だとも思えてしまいます。