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花はなぜ綺麗なのか
概して、人間の感覚器官は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。だから、食べ物を見て美味しそうと感じたり、マッサージを受けて気持ちいいと感じたりすることは、「人間が自分の生命を維持するために必要だから」という理由で納得できます。 さて、ふと目に入った花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思ったことは誰しも経験することですが、その理由がわかりません。 何にでも意味や理由を求める態度は野暮だとは思いますが、敢えて聞いてみます。みなさんはどう思いますか、教えて下さい。
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- ikkannsann
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この疑問はわたしもつねづね感じています きっかけはある動物の子育ての様子からです。 あるとき、テレビでハイエナの子育ての場面がありました ハイエナという動物はなんとなくぶかっこうでお世辞にも 美しいという感じがしません これはわたしの感性ですので一般的ともいえませんが つれあいの感想もだいたい同じだったト思います で、思ったのはハイエナの赤ん坊が親にくらべて 様子がかわいいと感じた事です 反対に醜かったらどうでしょう これは生物が進化する過程で、直接子育てが必要になった 時,子育て意欲をもたせるための戦略だなと思いました ほかの大部分の赤ん坊の様子も共通している ことです。もちろん人間も。 かわいい、美しいと思うものは所有したい この感情のメカ二ズムはわかりませんが もとは保存本能もしくは遺伝子の戦略なのでしょうか ひとが花を見てうつくしいと思うのはおまけでしょう 問題は美醜の具体的なデザインはどうして出来たかです
- imana
- ベストアンサー率40% (65/162)
難しい話が続いているところ、失礼します。 花、というのを切りとって考えず、花というのは植物が増えていくことの象徴ですよね。 植物は空気を作ります。そしてそこには必ず水があります。 植物がなければ、人は生きていけません。 水がなければ人は生きていけません。 以前、海外で気温45度の中を歩いていたことがあります。赤茶けてほとんど砂と岩ばかりの砂漠地帯でした。日陰もなく、半分脱水症状を起こしかけていました。強烈な直射日光と乾燥でした。 ふとのぼった岩山の眼下にささやかな水辺と、そのほとりに咲く白い花々と緑の茂みを発見したとき。 足元から力が抜けるようにほっとしました。 心に染み入るように美しい風景でした。 東京でみかけてもどうとも思わないようなささやかな茂みと、たいして特徴もない花でした。 でもうまく表現できないほどほっとして、感動しました。 友達と大きな声で うわああ!花だ!花が咲いてるよ! と大騒ぎでした。 なんというか。戦場で母親に再会したような気分です。 命をはぐくみ、伝えていこうとする姿。 自分に限りない恩恵を与えようとするもの。 自分の母親が赤ん坊である私を抱き、慈しみ、微笑んでいる姿を私本人はみることはできません。 でももし、赤ん坊である私を抱き、微笑んでいる母の姿を見ることができたら。 それはきっと、花のように美しいことでしょう。 聖母マリアの美しさは、昔からたくさんの芸術に表現されてきましたよね。 花の美しさというのは、 「身ごもる母」の美しさなんだと思います。 幸福そうに微笑む妊婦の姿。 そういえばマリア様の処女懐妊は、植物が自然に花を咲かせて、子を宿すのと似ていますね。 うーーーん。妊婦、とまでは行かなくても これから命をその身に宿そうとするわっかい女の子の美しさ、とも一緒です。 水と空気をつかさどる植物。 その花は、人間にとっても女性、母親の存在に限りなく近いものなのだと思います。 世界中の花が枯れたら。 もちろん人間も生きていかれないのです。 だから花が咲いているのをみるとホッとするようなウキウキするような、とにかく楽しい気持になるんです。 今までの高尚な論議からすると 子供だましのような、おとぎばなしのような考え方ですが・・・ 花が美しい。 そーーーんなことをそんんんんんんなにひねくりまわさなくったって、ねえ。 と、つい書き込みたくなりました。 もっと簡単に考えましょうよ! では、失礼しました。
お礼
砂漠での体験談、とても興味深く読ませていただきました。 普段そばにあって大切なものは、失って初めて、その重みを知るのだと思います。 >自分の母親が赤ん坊である私を抱き、慈しみ、微笑んでいる姿を私本人はみることはできません。 でももし、赤ん坊である私を抱き、微笑んでいる母の姿を見ることができたら。 それはきっと、花のように美しいことでしょう。 >これから命をその身に宿そうとするわっかい女の子の美しさ、とも一緒です。 「花の美」は、「若い女性の美」と同じで、「母になる可能性をもつ」という点で共通性があるということですね。 私も「花の美」に女性性を感じます。しかし、花のどこに女性性を感じるか、はっきりとはわかりません。また、すべての花が女性ではない(雄花もある)ということや、他の生物のメスに必ずしも女性性を感じない(孔雀は綺麗な方が雄で、こっちをメスと勘違いする人もいると思います)というのも気にかかります。 ただ、花は「親和的な自然の象徴」だとは思います。この「親和的」という部分が、ある種の母性を感じさせるということはありえますね。花は視覚的な刺激が強いので、他の「親和的な自然」よりも、象徴となりやすいのだと思います。 >そーーーんなことをそんんんんんんなにひねくりまわさなくったって、ねえ。 意外に思われるかもしれませんが、ひねくりまわしているつもりは本当に全くありません。人の自然な感情がどのように発露するのかを、自分の納得できる言葉で表したいだけなのです。この「納得」の仕方は人それぞれで、キリスト教を信じる人ならば、「それは神様が花に美を与えて下さったからだ」という言葉で納得されると思いますが、私はものを考える上で「神様」を理由にするのはタブーにしている(一つの方法としてです。否定しているわけではありません。)ので、これでは納得できないのです。自分としては、ごく自然に疑問をもっているだけなのです。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- lord_chan
- ベストアンサー率24% (20/82)
神が人間に喜び,幸せを与えるようにされたのですよ。神のご意志は,人間がすばらしい環境の中で,しかも最善の状態で,永続する幸福を味わうことなのです。 食べ物を食べておいしいと思うことや,マッサージを受けて気持ちいいということは,神が人間に生命を維持するときでさえも,喜びを感じれるように設計されたためだと思いますよ。
お礼
再度の御回答ありがとうございます。 lord_chanさんと同じように思う人も、多くいると思います。 ただ、私はものを考えるときに「神」という言葉、概念を、その理由の中に入れることをなるべく避けたいのです。これはあくまでも、ものを考える上での私の姿勢であって、神を否定しようとするものではありません。愚行かもしれませんが、お許し下さい。
- lord_chan
- ベストアンサー率24% (20/82)
食べ物を見て美味しそうと感じたりするのは,人間がそのように設計されたからですよ。ふと目に入った花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思うことは,花がそのような美術品に設計されたからです。いわゆる創造論ですね。
お礼
御回答ありがとうございます。 人が花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思うように設計されたとして、なぜそのように設計されたのか、それが私の知りたいことだと思います。 本能的な理由があるとすれば、No.38、No.43の回答が、しっくりくるものだと思います。 後天的なものは、ある程度の共通性があるものから、個人的なものまで、様々ですね。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
二つ補足。 1)「共有知識(common knowledge)」は専門用語なので(最善の訳かどうかは別ですが)「共通知識」ではありません。検索その他をなされるときは、ご注意ください。 2)人間一般については、ほとんど言えることはありませんよ。間違いなく、人によって違うから。共通部分はほとんどありません。代表的な人たちの典型的なパターンを、パターン別にいくつか論じるって形にしないと、絶対頭が固くなりすぎると思いますが。 もっとも、経済学をご存知だかわかりませんが、たとえば、選好構造で、「財を多いほうを少ないより好む」などの超基本的なことだけを言いたいならば、「何もいえない」とも言えませんが。
お礼
>1)「共有知識(common knowledge)」は専門用語なので(最善の訳かどうかは別ですが)「共通知識」ではありません。検索その他をなされるときは、ご注意ください。 誤字でした。気をつけます。 >2)人間一般については、ほとんど言えることはありませんよ。間違いなく、人によって違うから。共通部分はほとんどありません。代表的な人たちの典型的なパターンを、パターン別にいくつか論じるって形にしないと、絶対頭が固くなりすぎると思いますが。 そうですね、すべての人がもつ「花の美」を、一つの理由で説明するのは、まず無理だと思います。 例えば、人が重ねる年齢によって「花の美」がどのように移り変わるか、というのは面白そうですね。No.34やNo.18の回答に見られるように、それぞれが感じる「花の美」は違うけれど、「年齢を重ねるごとに、花が美しく見える」という点では共通しています。これは、視覚情報を感じ取る人の、感性の成熟度が関係していると思います。逆に、まだ生まれてから経験の少ない子どもの脳のニューロンを調べることで、花を本能的に認識しているかわかるかもしれません。この辺は専門家にお任せするとして、哲学的には「美しいとは何か」と問うべきでしょうが、こちらはかなりの難問ですね。荷が重いです。 ご指摘ありがとうございます。まずは、「共有知識」で検索してみます。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
この回答は、コメントみたいなものなので、 分類はアドバイスにしちゃったけど、 あまりまじめに読まないでください。 ご自身お気づきとは思いますが、 もし本心でおっしゃられているならば、 No44. のリアクションは、相当程度柔らかくなっていますよ。 人間の心(頭脳)っていうのは、大脳新皮質のおかげで、きわめて高度で個性的。 >花の持つこういった中間性が、メディアとして機能し、様々な美しさを人に抱かせるのだと思います。 の「様々」というところを受け入れられると実り多いと思います。 特定の側面を「浮き立たせる」議論は、良いのですが(すべて、科学論文はそのスタイルなので、側面重視の評論を展開したいならば、それはそれで一法)、 他の側面を「切り捨てる」のは、視野が狭くなると言いたかった。 なぜ「あなたにとって」花が美しいのか? という問いと、 なぜ「人間一般にとって」花が美しいのか? という問いは、まったく異なります。 なぜ「人間一般にとって」花が美しいのか? の答えを 一般法則みたいな感じで述べる場合は、 なぜ「あなたにとって」花が美しいのか? の答えよりはるかに少しのこと(modest) しか言えない。 しかし、 なぜ「人間一般にとって」花が美しいのか? の答えを、 人それぞれ異なり、 その多様性を受容する形で、 個性をうまくパラメータ化して答えると、 なぜ「あなたにとって」花が美しいのか? よりはるかに豊かな議論ができる。 この辺は、公理系に関する議論を参考にしてください。 あと、なんかこれまでの「お礼」でちょっと誤解がありそうなので(間違っていたらごめんなさい)、補足ですが、 「共有知識」は、ゲーム論の専門用語で、 「みんなが知っている」っていう以上の内容を持ちます。 「他の人が知っている」っていうことを みんなが知っていることも重要。 この辺、ぜひ、面白いので、なにかのメディアで勉強されてみると良いと思います。宣伝。
お礼
>特定の側面を「浮き立たせる」議論は、良いのですが(すべて、科学論文はそのスタイルなので、側面重視の評論を展開したいならば、それはそれで一法)、 他の側面を「切り捨てる」のは、視野が狭くなると言いたかった。 もともと、私は「花の美しさにゲーム論の共通知識が関わっている」というのを否定したかったのではなく、それがどのような有用性を持つのか疑問に思っただけです。これは、私がゲーム論の共通知識を学ぶことで解決すると思います。否定的に受け取られたのは、私の表現が拙かったのかもしれません。せっかく回答して下さったのに、気分を害されたのならばお詫びします。 >なぜ「人間一般にとって」花が美しいのか?の答えを、人それぞれ異なり、 その多様性を受容する形で、個性をうまくパラメータ化して答えると、なぜ「あなたにとって」花が美しいのか? よりはるかに豊かな議論ができる。 この辺は、公理系に関する議論を参考にしてください。 おそらく、この問いを立てたとき、私が意図したのは、「人間一般にとっての花の美しさ」だと思います。表記が厳密でなかったために回答も様々なものになってしまいまたが、個人が持つ「花の美しさ」の印象も、人間一般について考える手助けにはなったと思うので、結果オーライと思っています。 >「共有知識」は、ゲーム論の専門用語で、 「みんなが知っている」っていう以上の内容を持ちます。 「他の人が知っている」っていうことを みんなが知っていることも重要。 この辺、ぜひ、面白いので、なにかのメディアで勉強されてみると良いと思います。 以前の説明でなんとなく伝わっていました。 倫理、宗教、マスメディア、コマーシャリズムなどを考えるのに役立ちそうですね。非常に興味があります。「共通知識」という、自分にとって新しい視点を与えてくれた点で、decidrophobさんには感謝しています。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=974044 が関連して面白いです。 つまりですね、 花どころか、スポーツでも、音楽でも、なんでもそうですが、 No43. のしかんも然り、 要は人間は五感からの情報に多様に興味を持つわけです。つまり、花が、このような多様な対象の中で、どういう位置を占めるかっていう視点が良いと思いますね。何度も述べますけど、他の哺乳類は人間ほど視覚情報で興奮しないんでね。 ぜんぜん、直接には生存にも、生活にも関係ないのに、人間は興奮できるんですね。
お礼
御紹介のページ拝見しました。読みごたえがあって、非常に興味深く読ませていただきました。 >ぜんぜん、直接には生存にも、生活にも関係ないのに、人間は興奮できるんですね。 芸術や遊びなど、直接には生存に関係しなくても、人の興味が引くものがあるのは私も理解していました。 「美しい絵画」と「美しい女性」、前者には生存に対する直接の意味を見つけるのは難しいですが、後者は見つけることができる。No.43、sowowさんの意見を汲み取ると、花の美しさは、機能としては後者に近いけれども、欲求の対象そのものではないという点で、前者の要素をもつ、そういう特異なものだと思います。 そう考えると、この前者の要素によって、以前にdecidrophobさんが挙げた「共有知識」が生じるというのも納得できます。花の持つこういった中間性が、メディアとして機能し、様々な美しさを人に抱かせるのだと思います。 固い頭ですいません。御回答ありがとうございます。
- sowow
- ベストアンサー率20% (18/90)
おお。 まだやってますね。 no.38とかのsowowです。 僕は、no.38は(1)もいいですが、(2)の説ほうが説得力があるんじゃないかと思いましたので・・・。 記憶力(予知)がポイントといいましたが、コミュニケーション能力もポイントでしょう。 前兆としての花の、後に現れる「実」が食べれるのか毒なのかは、親とか兄とかが教えてくれます。 だから、先天的には「感情を喚起される」というプログラムさえ備わってればいいわけです。たぶん。 それがおそらく「美しい」でしょう。 「じっと見つめてしまう」わけです。 毒花だからって、目が腐るわけじゃないんで、目をそむける必要ないですし。 「本能が薄れてるのかな」とおっしゃいましたが、単に現代においては、人間の親が全く無知なため「良いのか悪いのか」を教わる機会がないだけかも知れませんね。 『視姦』という言葉がありますが、人間(とくにオス)は視覚でイケるほどの、だいぶ奇特な動物なんで(だとおもう・・Hの前にもまずは眺めますし。たぶん。) 食べ物、と、その前兆の花、を視るというインプットだけでウットリ出来るんでは? いや、下品ですいません・・。m( _ _)m あ・く・ま・で・も「本能的なほう」の説明です。
お礼
>記憶力(予知)がポイントといいましたが、コミュニケーション能力もポイントでしょう。 前兆としての花の、後に現れる「実」が食べれるのか毒なのかは、親とか兄とかが教えてくれます。 なるほど、意味は後から与えられるということですね。 人が他の動物と違った理由で花に引き付けられることも、これで説明できますね。 ただ、一つ疑問があります。 人が種を存続し、「食べられる実のなる花を、親とか兄とかが教える」という生活を繰り返すと、「食べられる実のならない花」より「食べられる実のなる花」に美を感じるように、遺伝子に刻まれるのではないでしようか。 (時間性を感じ取る能力としての)記憶力を身につけたのが比較的現在に近いため、遺伝子に刻まれていないだけかも知れないですね。(少し安直かな、自然淘汰による遺伝子の変化がどのくらいの時間で起きるのかわからないので) >『視姦』という言葉がありますが、人間(とくにオス)は視覚でイケるほどの、だいぶ奇特な動物なんで(だとおもう・・Hの前にもまずは眺めますし。たぶん。) 食べ物、と、その前兆の花、を視るというインプットだけでウットリ出来るんでは? 女性と花は、「目的に到達するための時間性を示す」という点で共通点がありますね。 Hの際、服を着たままの方が興奮するという人がいますが、これは「花の美」と「実」を同時に味わう方法なのかもしれないですね。こちらも下品ですいません。 なかなか、しっくりくる回答だと思います。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
哲学カテは初めてですが,生物カテの質問者さんからここにたどり着きました。 花が綺麗かどうかは個人の好みですが「好ましいもの」という感じはすべてのヒトが持つでしょう。その理由はきわめて簡単です。なぜならほとんどのヒトがその感情を持つということは,体験等ではなくDNAに組み込まれたものだということです。 ホ乳類で高度に色の識別ができるものは,サルだけです。なぜ色の識別が必要だったかお考えください。あなたが言っているように生命維持のためです。 サルの食物は,植物や虫ですが,植物では栄養価の高いものから「果実」「花」「葉」の順です。そしてこの順でサルは食べています。昆虫等も大変栄養価が高い食物です。 果実が熟しているかどうかはあなたはどのように判断するでしょう。花はどのようにして探しますか。また,昆虫やカエル等は鮮やかなものは毒があります。それらの情報収集にサルは色覚を利用しています。そして,それがDNAに組み込まれました。 ここまで述べるとおわかりと思いますが,あなたの質問の中に回答があります。「自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断する…」ということです。 蛇足ですが,ヒトが美男・美女を好むのも,美男・美女の方が生殖細胞も奇形が少ないためといった発見が最近ありました。ただし,「ぶおとこ」ほど精力絶倫だそうですが… 私の話は哲学的ではありませんが,リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読むことをおすすめします。ここには哲学があります。
お礼
>サルの食物は,植物や虫ですが,植物では栄養価の高いものから「果実」「花」「葉」の順です。そしてこの順でサルは食べています。昆虫等も大変栄養価が高い食物です。 なるほど、「花」に栄養価があり、サルがそれを食べるのは知りませんでした。人も同じ理由で花に「好ましい」印象を受けるのかもしれません。 ただ、一つ疑問があります。 花が可食性で「好ましい」とするならば、その「好ましい」の感情は、「おいしそう」が適当だと思います。なぜ、それが「美しい」となるのでしょうか。 現在、ヒトはあまり花を食べませんが、もしかすると、かつて本能にあった「おいしそう」という感情から、「たべることができる」という意味が抜けて、その結果残った感情が「美しい」となったのかもしれないですね。ダリが「美とは可食性である」と言ったのを思いだしました。 >蛇足ですが,ヒトが美男・美女を好むのも,美男・美女の方が生殖細胞も奇形が少ないためといった発見が最近ありました。ただし,「ぶおとこ」ほど精力絶倫だそうですが… ちょっと悲しいですね。この発見は「ぶおとこ」を差別することを後押ししそうで、危険性を感じます。できれば、「ぶおとこ」の利点も見つけてもらいたいです。(たとえば、生殖細胞の奇形が多いけれど、美男・美女よりも天才が生まれる可能性が高いとか) 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
まず、傲慢かもしれませんが、 あなたには、ゲーム論関連の議論に、かなり初歩的な議論によって(もっと高度な反駁なら理解できるけど)噛み付いていらっしゃるところあたり、 どうもかなり人間の心を単純な要因で説明されたがっていらっしゃるように見え、 おっしゃるような「コミュニケーション能力」の問題ではなく、 理解の姿勢の根本に違いがあるように思えます。 アドバイスですが、 哲学のカテゴリの基本は対話だと思う。 もし、多少なりとも相手の土俵にたとうとしないんだったら、 対話は成り立たないし、成長の機会が失われると思いますよ。それで良いのだったら語自由にどうぞ。 もう一度説明します。いいですかね。 あなたの話では、私の理解では、 なにか、花という「既存の環境にあるもの」に人間が共感することに「生存に有利」という根拠を探しているように見えますよ。 でも、私が「強調した」(つまり、この点は意見が一致しますが、すべての側面を洗い出したというわけではないという点で「強調した」)ひとつの側面というのは、「花」というカテゴリには意味がない可能性があるということですよ。で、確かに、それだけではありません。まあ、わたしも、「知的刺激」という別の点もあげていますし。 ただし、もし、完備な説明をしようと思ったら、個性がパラメータとして入りすぎて不毛とも思います。 以下は、あなたの各論点に対する反論(?)を検討します。 花の交配、美しい建築の例: >まさに、同じような問題意識でこの質問をしたのですが、それが伝わらなかったのは、質問の表現がまずかったからかもしれません。つくづく意図を伝えるのは難しいと思います。力不足でした。 いやいや、むしろ私の表現力不足です。多分。おそらく相当スタンスが違うので。 何度も述べますけど、この系統の私の議論においては、 「花」が美しいのではない。 花というメディアに人間が外生的に説明されるべき美しさを演出してるだけなんですよ。 建築の例でも話が通じないので、もっと極端な例を出しましょう。 上の例では、真っ白のキャンパスが花に相当します。 で、その上に、人間が交配という絵筆を使って絵を描くんです。 で、絵の美しさを議論するときに、キャンパスはなぜ美しいの?なんて問いは的外れでしょ? 囲碁にも、「美しい」手というのがあって、 これは、確かにルールの範囲内でしか表現できません。 では、美しい手の美しさを問うときに、「なぜ囲碁は美しいのか?」と問いますか?通常は、そういう問いは発しないでしょ? 花は、碁盤で碁のルールに相当し、交配が手に相当するって言っているんですよ。 >貨幣に価値がある理由を、「人間関係においてみんながそれに価値があると考えることそれ自体によって貨幣に価値が生じる」としていますが、これは「貨幣に価値があること」の要因の一つであり、理由の全てではないと思います。 どうも、反駁自体が目的になっているようですね。 よく考えてみてください。こっちのほうは、あまりにスタンダードであり、反論の余地はほとんどないんですけど。まあ、でも以下誤解を解きます。 >貨幣に価値があるのは、上記の理由に加え、「貨幣を用いることで、人が社会を運用する上で、ある程度の利便性を得ることができるから。」というのもあるのではないでしょうか(実際に有用かどうかは別にして、そういう印象を与えるものとして)。全く有用性のないものに、人が共通意識を持つことは難しいと思います。 ある意味、そのとおりですよ。 でもね、あなたの強調している「有用性」っていうのは、紙幣の「紙」とか、硬貨の「金属」といった素材が優れているっていうのと似ていますよ。 それ以外の貨幣の価値は、交換価値(つまり、ほかの人が価値を感じて交換してくれる)に尽きます。まあ、信用しないようなので、一番わかりやすい例を挙げれば、 インフレがあります。 「まったく同じハードウェア」が、他人の評価が変わっただけで、自分の評価も変わるんですよ。それでも、まだ、「利便性」なんていっていますかね?まあ、いいですよ。そっちの方向ばかりに脳のリソースをどうしても割きたいならば。貨幣論を論じるときに、素材のよさ、つまり貨幣としての使い勝手の良さという側面だけに注目して議論してください。それは、あなたの自由です。 >おそらく、ゲーム論は「有用性のないものに、人が共通意識を持つこと」を説明するものだと思いますが、不勉強なので、いまのところは納得できません。ですから、もし「花の美しさ」が文化的な共通意識によるものだとしても、人がその共通意識を持つことによって得られる「有用性」は何なのかという疑問が生まれてしまうのです。 私がちぐはぐな返事をしたのも、この点でdecidrophobさんと相違があるからだと思います。 まあ、もしあなたが、多少なりとも歩み寄ろうとしないんだったら、 まさしくおっしゃるとおり、相違がありすぎて、対話になりません。 そんなことでは、たとえば、日銀の金融政策とか、円の価値とか、まったく論じられず、政策によっては円の価値が何倍にもなるかもしれないのに、そういう議論に目を閉ざし、一万円札の印刷技術などにのみ興味を持つことになります。それはそれでひとつの立場です。実際、エンジニアだったら、そのようか興味の持ち方をするかもしれない。ご自由にどうぞ。 >だから、脳に刺激を与えるということ自体が「良い」のです。 なんでパズルが楽しいんですか?私は知的刺激だと思いますけど。違いますかね? これは違うと思います。 花の場合の刺激は「鮮やかな色彩」だと思いますが、上記の反例として、No.4のminizukuさんによる、 >赤と黒と黄色の毒蛇カラーなどは、その蛇が「自分は危険な存在」だと相手に知らせる為の配色だと言われています。 という例や、「色鮮やかなキノコは決まって有毒」というのもあります。 どこが反例なんですか? どういう解釈をすると、そんな言い方ができるのか不思議です。 むしろ、上記の例っていうのは、 「美しい」という「快ー不快」を視覚情報から感じる感性の発達が、 「美しいものとかかわるほうが生存に有利だから」 という短絡的な進化論的議論に対する反例でしょ? もし、あなたが色鮮やかなキノコとかを「美しい」と思わないならば、私や No4. の人のスタンスとあまりにずれるので、独自の美の世界を展開してください。 私にとっては、 毒キノコも 花も 同様に美しいですよ。 まあ、私もしつこすぎるので、 今回肯定的なリアクションをまったくもらえない(最後にコメントで多少の肯定は入っていましたが、挨拶みたいなものでしょう)ならば、これで、この話題への参加は最後にします。
お礼
本当に、全く悪意はないです。まして、「反駁自体が目的」でもありません。decidrophobさんが仰るように、スタンスの違いがあるので、納得できない部分があるのだと思います。その原因は、単なる私の知識不足であって、ゲーム論の「共通知識」というのを理解し、納得すれば、decidrophobさんの主張が正しかったと思えるかもしれません。違った立場からの意見を聞くことは、本当に参考になりました。 御回答ありがとうございます。
お礼
御回答ありがとうございます。 やはり、この疑問を考えるには「美醜」という価値観の構造を知る必要があるようです。「美しい」というのは、誰もが感じることのできる感情なのに、その本質的な理由を言葉にするのは難しい。不思議ですね。