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花はなぜ綺麗なのか

概して、人間の感覚器官は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。だから、食べ物を見て美味しそうと感じたり、マッサージを受けて気持ちいいと感じたりすることは、「人間が自分の生命を維持するために必要だから」という理由で納得できます。 さて、ふと目に入った花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思ったことは誰しも経験することですが、その理由がわかりません。 何にでも意味や理由を求める態度は野暮だとは思いますが、敢えて聞いてみます。みなさんはどう思いますか、教えて下さい。

みんなの回答

回答No.39

38 (1)の方は、かなり説得力があります。これは、まさしく、花が情報量が多いという私の説明とも絡み、さらに直接生存に有利な要因を挙げています。 (2)は、かなりずれます。一般に、実のなる花がきれいとも限らないからです。あまりカロリーのない種だけつける美しい花がものすごく多く、大きな実をつけるフルーツの花が必ずしもすごく美しいとも限らない。

bofd
質問者

お礼

(2)の方は私も同意見です。 No.42にあるように、花自体を食べるというのもあるかもしれませんが。おいしい花が、そうでない花より美しいか検討が必要ですね。

回答No.38

>確かに、普段私たちの目に入ってくる花は、人による交配を受けているものが多いので、美しい花がより多く残ったのだと思います。しかし、それは「好みの花」を選び取る人の意思によるもので、植物の意思ではないように思います。(植物に、人の感性を予見する能力があったらいいなとは思いますが。) だから、「花」が卵で、人間の感性が鶏では必ずしもないと言っているのです。 人間が美しいと思うような「色彩」とか「花びらの幾何学的配置」、「花の大きさ」、その他を外的に導入し、それを花に求めている。そして、そのように花を進化させている。 もっと極端な例を挙げれば、人工物なんてどうですか?美しい建築は、なぜ美しい?なんて問うよりは、もともとの美しさの要素をなぜ美しいと思い、なぜそれを建築というメディアに載せたか?という問いのほうが適切な場合もあるのです。そして、同じ議論が、人工的な花の場合も相当程度可能だと主張しているのです。 >花が美しいから女性がそれを利用するのであって、その逆ではないからです。・・・と書いていて思ったのですが、これはありえますね。人が光のコントラストに強い印象を受けるのを利用して、女性がそれを身に付け、男性からの注目を得る。やがて、そうしているうちに、花のもつ意味に、光のコントラスト=「明るい」だけでなく、「女性性」も加えられ、「女性の美しさ」が花に移った。こう考えると、なかなか説得力があります。 この理解は、相当私の主張のニュアンスとずれています。 もし興味があったら、ぜひともゲーム論の「共有知識」という考え方に触れてほしいですが、 みんなが「美しい」というラベルを何でも良いから、特定の対象に関して共有するだけでも、文化的な美しさは成立するのです。共有する根拠に、対象それ自体には「卵」となる進化論的背景はいりません。一番典型的な例は貨幣の価値です。貨幣それ自体には進化論的な価値はまったくありませんが、人間関係においてみんながそれに価値があると考えることそれ自体によって貨幣に価値が生じるのです。そして、その「価値がある」って感情はかなり深く人間の心に根付いているでしょ?一万円札を見て、触れて、興奮しませんか?ここまで理解すると、「貨幣がなぜ価値がある?」っていう問いを、あなたの「花はなぜ美しい?」という問いと同様に発しても意味がないことがわかるでしょう? 私の主張というのは、実は、花も相当程度、人間にとっては貨幣と似たような文化的な共有という側面を有しており、これを取り除いたときの花に対する感性が疑わしいという点に一部集約されています。 >もちろん、これは花の美しさの要因といえます。しかし、「美しい」というのには、「よい」という「快ー不快」の価値判断が含まれており、これを説明するためには、他の要因も必要だと思います。 だから、脳に刺激を与えるということ自体が「良い」のです。 なんでパズルが楽しいんですか?私は知的刺激だと思いますけど。違いますかね? >飛び跳ねて踊ったり、歌を歌うことが、セックスアピールになっている鳥がいるそうです。この鳥は、自分より上手く踊ったり、歌ったりする鳥のところへ弟子入りし、それを真似て練習するそうです。こういうのを見ると、人間以外の動物にも、美的感覚があってもおかしくはないように思えてなりません。 一言で述べたので、伝わらなかったかもしれませんが、昆虫には花の美しさを理解する感性が当然あります。で、そのことを利用して、花は昆虫にとって美しくなるように進化したのです。こうした進化の現象を「共生」というのです。 花と人間の関係が複雑なのは、花が昆虫を相手に進化したのにもかかわらず、人間がそれを美しいと思い、かつ比較的近い性質を持つと思われる他の哺乳類は花の美しさを感じ取っているように見えないからです。 哺乳類一般における、美しさ一般をすべて否定はしていません。

bofd
質問者

補足

できる限り意図を読み取ろうとしたのですが、何かちぐはぐな受け答えをしてしまったようで、不快な思いをさせたのなら、すみません。なにゆえ素人なので、ご容赦ください。 >「花」が卵で、人間の感性が鶏では必ずしもないと言っているのです。 これは、私も同意見です。花を「美しい」と感じさせているのは、人間の脳であり、人の心であると思います。 >もともとの美しさの要素をなぜ美しいと思い、なぜそれを建築というメディアに載せたか?という問いのほうが適切な場合もあるのです。 まさに、同じような問題意識でこの質問をしたのですが、それが伝わらなかったのは、質問の表現がまずかったからかもしれません。つくづく意図を伝えるのは難しいと思います。力不足でした。 >、「貨幣がなぜ価値がある?」っていう問いを、あなたの「花はなぜ美しい?」という問いと同様に発しても意味がないことがわかるでしょう? >私の主張というのは、実は、花も相当程度、人間にとっては貨幣と似たような文化的な共有という側面を有しており、これを取り除いたときの花に対する感性が疑わしいという点に一部集約されています。 貨幣に価値がある理由を、「人間関係においてみんながそれに価値があると考えることそれ自体によって貨幣に価値が生じる」としていますが、これは「貨幣に価値があること」の要因の一つであり、理由の全てではないと思います。 貨幣に価値があるのは、上記の理由に加え、「貨幣を用いることで、人が社会を運用する上で、ある程度の利便性を得ることができるから。」というのもあるのではないでしょうか(実際に有用かどうかは別にして、そういう印象を与えるものとして)。全く有用性のないものに、人が共通意識を持つことは難しいと思います。おそらく、ゲーム論は「有用性のないものに、人が共通意識を持つこと」を説明するものだと思いますが、不勉強なので、いまのところは納得できません。ですから、もし「花の美しさ」が文化的な共通意識によるものだとしても、人がその共通意識を持つことによって得られる「有用性」は何なのかという疑問が生まれてしまうのです。 私がちぐはぐな返事をしたのも、この点でdecidrophobさんと相違があるからだと思います。 >だから、脳に刺激を与えるということ自体が「良い」のです。 なんでパズルが楽しいんですか?私は知的刺激だと思いますけど。違いますかね? これは違うと思います。 花の場合の刺激は「鮮やかな色彩」だと思いますが、上記の反例として、No.4のminizukuさんによる、 >赤と黒と黄色の毒蛇カラーなどは、その蛇が「自分は危険な存在」だと相手に知らせる為の配色だと言われています。 という例や、「色鮮やかなキノコは決まって有毒」というのもあります。 つまり、「鮮やかな色彩」は「危険である」ことを示す場合もあり、必ずしも「美しい(よい)」という特定の印象を与える理由にはならないからです。「快ー不快」を分けるには、その他の要素(形、模様、大きさ、シチュエーションなど)も絡んでいるように思います。 参考になりました(特に「ゲーム論」には興味があります)。御回答ありがとうございます。

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.37

あ、まだ開いてる。 ラッキー(・∀・) bofd様お久しぶりです。 本能的な理由を2つ見つけました。本で。 よってほとんどウケウリです。 (1)花は豊かな情報の源である。(とくに位置に関する情報) 植物は一面の緑に溶け込んでいて、しばしば花でしか識別できない。 《前(no.29)に自分が書いた、「配慮(前提)がなければ美しいと感じるどころか見ることも出来ない」というヤツと繋げると(ムリヤリ)、視覚とは兎にも角にもなんか目印がないことには迷うということ。》 (2)花は実がなる前兆である。 (これはno.16様の回答に近いですが、人間がということなら人間がどういう生きものかを重視する。) サルくらいの記憶力があれば花の位置を憶えておいて、あとから食べにくることが可能。 《補足・・自然現象の中には「感情を喚起するもの」がある。それらは何かの「変化」が迫っていることを告げるサインになる。雷→嵐、火→火災、夕焼け・暗雲→暗闇など》 「記憶力の程度」がポイントかと(^_^;) どうですか? 両方ともわりと「命に関わる」ことと思いますが。

bofd
質問者

お礼

お久しぶりです。気にかけてもらえて、嬉しい限りです。 >(1)花は豊かな情報の源である。(とくに位置に関する情報) (2)花は実がなる前兆である。 つまり、「どこに何の実がなるのか」を教えてくれるから、花は美しい、ということですね。 たしかに、「目を引き付けること」と、「よい」という価値判断の説明になっているとは思います。、 果実に対する「よい」は、「豊か」や「おいしい」なのですが、これが「美しい」と結びつくかどうか、引っかかるものがあります。自分の場合、花を見て「綺麗」と思ったとき、「豊か」や「おいしい」というよりは、「儚い」「可憐」を感じます。もちろん、これは後天的な価値観かもしれないので、反論にならない可能性もありますが、いかんせん、上記のような実感がないですね。本能が薄れてるのかな。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

回答No.36

(自称プチ専門家) これは、質問者の問題意識からすると、 おそらく、進化論、すなわち生物学のカテゴリで質問するべきでしょう。 最近、美の進化論っていうのがあるらしいですが、まだ最先端の領域で、必ずしも確定的な成果が出ているわけではなさそうです。 なので、暫定的に、 私が進化論的視点から思うところを述べます。 正直スレッドが長く、全部くまなくチェックしている自信がありませんが、すくなくとも、ご本人が回答と称しているものとは異なるので、あしからず。 1.まず、花の人間の感性の予見について: これは、実は、現在は結構正しいですよ。 っていうのも、人間が観賞している花のおそらく先進国ではとりわけ90%以上は人による交配を経ているでしょう。つまり、人間の感性に合うものが、自然淘汰(?)によって生き残ってきたわけです。 2.美と文化: 進化論的な感性の理論っていうのは、ともすれば、説明を単純化しすぎるので、気をつける必要があります。素人にすごい刀を渡すみたいなものです。 とりわけ人の心は、遺伝形質と獲得形質が絶妙に絡み合っているので、何が生存にどのように有利か?っていうのは、かなり高度です。 ここでは、その一端を紹介しましょう。 関係するわかりやすい例として、「青いバラ」がいいと思います。はっきり言って、最初のほうの回答に会ったように、私にとっては青いバラなんてどうでも良い。しかし、バラを育て、交配などに命をかけている人たちなんかにとっては、青いバラって言うのはロマンだそうです。で、多分実際に美しく感じられるはず。相当程度、バラコミュニティーにおける共感などが、この「美しい」っていう感性の根拠になっていると思います。 ダイアモンドなどもそうだと思います。ガラス球って聴いた瞬間に、なにか美しさの感覚が変わるでしょ?ダイアモンドも、希少価値と絡めて、人間関係のシグナルです。ダイアモンドの美しさに強く感嘆する女性っていうのは、男性を金銭で図る傾向が強いのではないかと思います。つまり、わりとぶっちゃけ、ダイアモンドそれ自体はどうでもよく、ダイアモンドが富の象徴(シグナル)であるところが問題。だけど、本人は、必ずしも、その自分の嗜好に明示的に気づいているわけではない。 3.花と人間の感性の進化論 とはいっても、やっぱりそんな希少価値や文化などをのぞいても、花はきれいですよね。 でも、私は、かねがね、質問者の方と同じような疑問を持っていたので、自分のペットの犬などがどういう感性を持っているのかを常に観察していましたが、 どうも犬は一般に花の美しさにはまったく興味がないようです。ほかの多くの哺乳類も然り。昆虫には、まさに進化論的実益があり、逆にまさに予見みたいな話ですが、そのことを(遺伝子的に)知っている花も昆虫の完成にあわせて美しさを進化させていくわけです。 人間の場合はいかに? どうも、人間の脳のハードウェアがほとんど完成していた原始時代において、花の実益っていうのはほとんどわかりません。 やっぱり、ファッション、つまり人間関係が一番の要因なのではないでしょうか? もうひとつ考えられる要因としては、質問者さんご本人の暫定的な回答とも絡みますが、そもそも視覚を最も刺激するタイプの対象だからっていうこともいえると思います。人間は大脳新皮質が肥大化しているので、ともかくも知的関心が高く、なにかシャノンの意味での情報量が多い対象には、強い関心を持つ傾向にあると思います。そして、視覚情報処理は、人間が鍛えておかなくてはならない感性の基本なので、その一番のステレオタイプとして、情報量の多い花に異常な関心を示すのかもしれません。もしくは、この仮説が正しいとすると、花を美しいと思う感性と、一般に視覚情報に対する感性との間には強い相関がありそうで、実際そうなっているように思えます。私自身は、紛れもなく、上記の仮説の一例ですね。

bofd
質問者

補足

>1.花の人間の感性の予見について: 確かに、普段私たちの目に入ってくる花は、人による交配を受けているものが多いので、美しい花がより多く残ったのだと思います。しかし、それは「好みの花」を選び取る人の意思によるもので、植物の意思ではないように思います。(植物に、人の感性を予見する能力があったらいいなとは思いますが。) >2.美と文化: 希少性が「美しさ」の要因となりえる。確かにそうだと思います。それを得ることの難しさが「もの」の価値を高めるというのは「スポーツの勝利」や「ブランドもの」などにも当てはまると思います。手のとどかない、崖に咲いている花が綺麗に見えたり、月や星が綺麗に見えたりするのも同じことが関係していると思います。 それにしても、暗示的(⇔明示的)に、富の象徴をダイヤモンドに感じる女性の感性は凄いですね。こういった感性は男性よりも女性の方が強いと思います。ダイヤモンドを見て「綺麗」と思うとき、脳の反応部位に男女差があるかも知れないですね。decidrophobさんが仰るとおり、「美」の構造は、それを感じる主体においても様々で、複雑だと思います。 >3.花と人間の感性の進化論 >やっぱり、ファッション、つまり人間関係が一番の要因なのではないでしょうか? 花が人間関係に与えるものは何でしょうか。女性が自らを美しく見せるために、花の美しさを利用することでしょうか。だとすれば、それだけでは理由にならないと思います。花が美しいから女性がそれを利用するのであって、その逆ではないからです。・・・と書いていて思ったのですが、これはありえますね。人が光のコントラストに強い印象を受けるのを利用して、女性がそれを身に付け、男性からの注目を得る。やがて、そうしているうちに、花のもつ意味に、光のコントラスト=「明るい」だけでなく、「女性性」も加えられ、「女性の美しさ」が花に移った。こう考えると、なかなか説得力があります。 >そもそも視覚を最も刺激するタイプの対象だからっていうこともいえると思います。 もちろん、これは花の美しさの要因といえます。しかし、「美しい」というのには、「よい」という「快ー不快」の価値判断が含まれており、これを説明するためには、他の要因も必要だと思います。 最後に蛇足です。 飛び跳ねて踊ったり、歌を歌うことが、セックスアピールになっている鳥がいるそうです。この鳥は、自分より上手く踊ったり、歌ったりする鳥のところへ弟子入りし、それを真似て練習するそうです。こういうのを見ると、人間以外の動物にも、美的感覚があってもおかしくはないように思えてなりません。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

  • thing
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回答No.35

No35です お礼有り難うございました。No29の補足欄も読ませていただきました。 つたない回答なので表現ミスもあったようですのでもう一度回答させていただきました。 No29のなかで質問者さんは、理由として本能的なものと後天的なものの二種類を挙げられていますね。 確かにそのように思うのですがこれは特別「花」にかぎったことではないように思うのですがいかででしょうか? 以下はわたしの考えです。 「花」という言葉からくるイメージがありますよね。別に「海」でもかまわないのですが。こうした「言葉」からくるイメージが実は、質問者さんの言われる本能的なものでないのかと思うわけです。 「花」「海」の言葉の、文字からくるイメージ、発音したの時のイメージ、これらのイメージは言葉本来からくるイメージと言うか、人が言葉を使い出した頃からゆるゆると規範化されていったイメージではないかと思います。 また「小学校の卒業式の時、林間の桜の花が満開だった」 「両親の葬儀の時、野辺に菊がいっぱい咲いていた」 「ちいさい頃あわや海で溺れかけた」 こうした記憶はその人が現在までに経験してきた「花」とか「海」に対するイメージで,質問者さんの言われる後天的なものだと思います。 そしてひとつの言葉にはその言葉の核の周りに 前者の本能的なものと、後者の後天的なものが重なり合い、まとわりつきながら堆積しているのだろうと思います。 ですから「花が綺麗だ」「海が広い」と感じた時、本能的には共通性の部分があるが、後天的には共通性の部分が無いように思ったりします。 今わたしの理解できることはこんな事ぐらいです。 すべての「もの」に対する形容は、その人の自己表現であり、普遍性はないだろう、しかし「そのものを表現した言葉」からくる属性は永遠不滅の様相をしていながら、ゆるゆると変容していくのではないかと。 書きながら論点をはずしているようにも思いました。 ご容赦ください。

bofd
質問者

お礼

>前者の本能的なものと、後者の後天的なものが重なり合い、まとわりつきながら堆積しているのだろうと思います。 同感です。ただ、「花」のイメージがそのまま本能に刻まれているのか、「花」の一部分に本能が反応しているのかは、わからないですね。 付け加えると、人が「もの」に対して、本能的に意味やイメージをありありと感じる場合、大抵はそこに「生命を維持するため」や「種を保存するため」という理由を見出すことができます。「花」の場合は、そいういった理由をはっきりと見つけるのが難しい。きっと、「有用な何か」があるのだと思います。 こういった疑問をもって「花」を眺めると、わからないこと自体が「花」に神秘性を与え、花がより綺麗に見えてしまうのは、私だけでしょうか。 みなさんの目に、花がより綺麗に映れば幸いです。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

  • thing
  • ベストアンサー率31% (36/116)
回答No.34

わたしたちが、ある日の夕方浜辺に立って海を眺め、「海は広いなぁ!」と思ったりすることがありますよね。しかし現実にわれわれの視野に入ってくる海はちいさな海でしかないですよね。これはいったい何なのでしょうか。 これはわれわれが、浜辺にたって海を見たとき、「海」という言葉の属性を含めて、海に対する属性をすでに理解してしまっているのではないかと思います。 では花を見て綺麗だと思ったりするのはなぜなんだろうか。やはり花のもつ言葉の属性を含めた属性を瞬時のうちに感受してしまったと考えるのですが。 たとえば花にしても海にしてもその属性を持ちあわせていない人なり「もの」なりは綺麗だとか、広いだとかは考えないと思います。 太古の人類が、初めて花を見て綺麗だと思ったとは ちょっと考えられないですよね。 ではそういった属性はなぜ生まれてくるのだろうかと 言うと、人の根源的な恐怖感からくるような気がします。 人間の自然に対する恐怖感から、人と共通の属性を普遍化することで、共存と孤立感を癒してきたのではないのでしょうか。 わたしたちが花を見たとき あらゆる属性のなかで人の根源的な恐怖感を取り除いてくれるある種の属性が 綺麗だ、表現させるのではないでしょうか。 とりとめのない回答になりました。ご容赦ください。

bofd
質問者

お礼

>人間の自然に対する恐怖感から、人と共通の属性を普遍化することで、共存と孤立感を癒してきたのではないのでしょうか。 >あらゆる属性のなかで人の根源的な恐怖感を取り除いてくれるある種の属性が 綺麗だ、表現させるのではないでしょうか。 人が花に見る自分との共通性とは何でしょうか。私が思いつくのは、「命」があることですね。 「花の命は短い」と言いますが、その儚さが「死への時間性」=「無常」を感じさせ、その輝きをより引き立てているのだと思います。しかし、なぜ人との共通性を、他のものではなく、花に感じるのでしょうか、疑問が残ります。 私なりの回答はNo29の補足に書かせてもらったので、参考までに、よろしければお読み下さい。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

  • urajo
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.33

なにやら楽しそうなので、わたしも書きます。 花を美しいと感じるのは全世代共通か、といったことが下のほうに書いてありましたけど、わたしもそれは思いました。 うちの母は始終庭いじりをしたあげく、どこからともなく花を摘んできては花瓶に生けて遊んでおります。彼女いわく、 「土にかえる日が迫ってくると、土と仲良くしておきたくなるんだよ」 ということでした。彼女はやれきれいだの、やれかわいいだのと言いながら、ざくざくと花瓶に花を突っ込んでおります。 そこいらへん花だらけだと、きれいというか不気味です。切花って言ったら、植物の死骸でしょう。ああ、やだやだ。 ということで、母とわたしのあいだには、花に対する見かたに隔たりがあります。 なんか、思いっきりズレましたけど、とりあえずそういうことで。

bofd
質問者

お礼

>「土にかえる日が迫ってくると、土と仲良くしておきたくなるんだよ」 生きていくなかで、人の社会や人工物にふれた後、振り返ってみると、親和的なものがコントラストとして浮かび上がってくるのだと思います。それが土であり、その土に光のコントラストとして小さく浮かび上がる「花」にも親和性を感じるのでしょう。お母様にとって花は、「かわいらしい光の子」といったところでしょうか。 >そこいらへん花だらけだと、きれいというか不気味です。切花って言ったら、植物の死骸でしょう。ああ、やだやだ。 花瓶に生けた花も、生きていると思います(水もしっかり吸いますし)。死につつあるとは思いますが、それは人も似たようなもの、「生きているうちが花」です。お母様と共に、愛でてあげて下さい。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.32

なるほどー「炎」ですか! 「炎」は大好きです。 とくに蝋燭くらいのが。 眺めてるだけで心が「いい塩梅」になりますね(^-^) たぶん「赤い炎」じゃないとダメですね・・・。 コンロの青い炎は「制御され過ぎ」ですね。 というか、まだこの世に生まれて間もないから、本能に刻まれてないだけですね。 「完全燃焼」といわれるくらいですから、ほんとは理想的な炎なんでしょうが(・_・;)

bofd
質問者

お礼

>コンロの青い炎は「制御され過ぎ」ですね。 というか、まだこの世に生まれて間もないから、本能に刻まれてないだけですね。 人は制御された炎に「快」を感じるけれど、この「快」は「不快」とのコントラストによって引き立っているのだと思います。現代生活において、「青い炎」は非常に安定して制御された炎である上に、「制御できない炎」=「火事の炎」は「赤い炎」なので、「快」が「不快」とのコントラストを得づらいのだと思います。 加えて、私の仮説だと、「花は炎と似ているから綺麗だ」となってしまいますが。やはり、炎からも花からも同じような「有用なもの」を人が得ていると思いたいですね。敢えて言うなら「気」のようなものでしょうか、科学が進歩することで解明されることを願います。それまでは、「神話」で我慢することにします。 >「炎」は大好きです。 とくに蝋燭くらいのが。 焚き火やたいまつと比べると、蝋燭の炎は小さいので、「花の一部」=「花びら」といったところでしょうか。たまには、蝋燭のかわりに、ひとひらの花びらを眺めて「いい塩梅」になってみるのもいいかもしれないですね。

  • mantaza
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.31

理由はキレイだからだと思います。

bofd
質問者

お礼

そうですね、それもある意味で正解だと思います。 実際に花を見て、「綺麗だ」と思う時。それぞれ違う花を見ていても、ただ「花」と感じるだけでなく。「綺麗だ」と感じます。それぞれの人が花を見て感じたものが、全く違うものならば、それを「綺麗」とい う言葉で括る必要はありません。そこには理由があるように感じます。 参考になりました、御回答ありがとうございます。

  • carreras
  • ベストアンサー率48% (225/465)
回答No.30

bofd 様はじめまして。 ご自分で「概して」と仰っているように、「概ね」に当てはまらない、 人間という動物固有の感覚なのではないでしょうか。 私はクラシック音楽が好きです。 よくオーケストラのコンサートやオペラなどに行って、涙が我知らず流れることがあります。 生きていくために必要不可欠なものではありませんが、美しいと言葉で感じる前に涙が溢れます。 耳から入った音が脳に何かを伝えて私にあった快感物質を出し過ぎているのかもしれません。が。 生きていくのに「必要不可欠」なものは食物・衣類・住居など決まりきったことだけですが、 不可欠ではなくても、生きていくのに必要なものは人それぞれあって、私には音楽なのだと思っています。 美しいと感動に震える心は、本能に近いものがあるとは思えないでしょうか。 私にとって音楽は「よりよく生きるために」必要なものですが、明日食べるパンとどちらかを取れと言われたら、パンを取ります。 世界にはパンと音楽を選ぶことすら許されない人たちも多くいますが、彼らの中に、何かに感動する心が無いとは思えないのです。 より豊かな人生を送りたいという欲望の一種なのかもしれないと、私は思っています。

bofd
質問者

お礼

>より豊かな人生を送りたいという欲望の一種なのかもしれないと、私は思っています。 (主語がみあたりません。「美しい」が主語ならば) 「美しい」と感じることで、自分の生がより豊かになる感じがしますね。 私は、「欲望」に一種の渇きを感じるので、「美しい」=「より豊かな人生を送りたいという欲望」は当てはまらないと思います。 参考になりました。御回答ありがとうございます。

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