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松尾芭蕉のわびさび

今松尾芭蕉について調べています。 するとどこのサイトを見ても芭蕉はわびさびを重んじ俳句を作ったと書いてあるがわびさびが何なのかがかいてありません。 千利休の和敬清寂とは関係あるのですか?

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noname#8602
noname#8602
回答No.5

◆本題 前回、なぞかけ形式で芭蕉の句を三句ほど例示してみましたが、鑑賞してくださったでしょうか。 『笈の小文』『野ざらし紀行』『おくの細道』。これらの紀行文を、ごくごく普通に読めば、彼が何を重んじていたかはおのずと分かってきます。ぜひご一読ください。 ◆番外 最近、参考URLに示した『いきの構造』を10年ぶりに読んでいましたが、書籍(手持ちは文庫本)には、「三「いき」の外延的構造」の章に、それはそれはみごとな図が挿入されていました。青空文庫でそれが再現できていないのが残念です。 古典的な概念でありながら、ひとことでは語りきれない思想を本気で学ぶおつもりなら、外堀から崩していくのもまた一興と思われます。一読をお勧め。

参考URL:
http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/393_1765.html
arutema_jack
質問者

お礼

回答ありがとうございます それらの紀行文を読んでみ、芭蕉の理解を深めたいと思います。

その他の回答 (5)

noname#8602
noname#8602
回答No.6

参考URLで芭蕉の作品はほとんど読めるので、精進されたし。

参考URL:
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/monju.htm
回答No.4

『野ざらし紀行』―わびの美学  論文執筆者 楠元六男  掲載誌名 解釈と鑑賞  発表年 1993/05 巻号 58‐5 すいません、下記のリンク、つながってませんでした。

回答No.3

下記サイトの論文、(『解釈と鑑賞』は大規模図書館なら置いてあると思います)ご参考にいかがでしょうか。 わびさび、というのは「侘びし、寂し」のことではないかな。そう聞いたことがある気がする、という極めて曖昧な話ですが。 見渡せば花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮(藤原定家)なんかを千利休は本意とした、何て話も聞いたことが・・・(岡倉覚三(天心)『茶の本』)。定家、あるいはその一世代前の西行あたりから始まる日本中世美が、「わびさび」の源流ではないかしらん。 現代語で「これだ!」って説明は難しいのですよね、こういう感性に訴えかける美学って。あえて言うなら、欠如の美学・・・ちょっと違うな。絢爛豪華な彩りがそこに存在しない、という発見を美とする感覚、というか。 どうぞ、論文をご参考に。

参考URL:
http://base1.nijl.ac.jp/~ronbun/cgi-bin/r_s_dtls.cgi
arutema_jack
質問者

お礼

紀行文などを読み、理解を深めていきたいと思います。

noname#8602
noname#8602
回答No.2

世の人の見附けぬ花や軒の栗 夏草や兵どもが夢の跡 この道や行く人なしに秋の暮れ 僕の好きな芭蕉の句を三つほど例示してみました。 芭蕉の思いがある程度理解できれば、「わび・さび」の概念が少しはつかめるかもしれません。 あなたなりに、鑑賞してみてください。

  • kuma
  • ベストアンサー率28% (23/81)
回答No.1

次のサイトを参考にされてはどうでしょうか。 http://www.mitsue.co.jp/column/backnum/20030815a.html

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