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節を曲げなかった烈女

日本史上で、節を曲げなかった烈女といえば、誰がいるでしょうか? まず思い出されるのが、細川(明智)ガラシャ。 ど助平猿に人質になれと言われて、嫌ですと自決したのですから。 他にこういうような節操に殉じた人はいたでしょうか?

みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.3

>細川(明智)ガラシャ。ど助平猿に人質になれと言われて、嫌ですと自決したのですから これは、間違いですね。 ガラシャを人質に企んだのは、石田三成です。 当時、秀吉は既にご臨終! >他にこういうような節操に殉じた人はいたでしょうか? 現代史で有名なのは、戦時中の「バンザイクリフ」事件でしよう。 サイパン島が陥落した時に、米軍に捕まる事を潔しとしなかった多くの日本人妻が「子供を連れて、崖から飛び降りた」のです。 旦那は、既に徴兵されて生死が不明ですから・・・。 当時の教育で「敵国に捕まれば、女性は暴行され殺される(辱めを受ける)」 終戦後でも、朝鮮半島からの引き上げ中に多くの婦女子が自決しています。 大韓民主主義人民共和国(架空国家)の正しい歴史には記載がありませんが、非戦闘員の日本人が釜山に向かうまでに多くの婦女子が性的暴行を受ける前に自決しています。 また、多くの婦女子が性的暴行を受けて自害しています。 この現実を書いた・当事者が書いた自伝は、架空国家では販売禁止扱いです。

gesui3
質問者

お礼

既に他の方の回答どおりです。 大韓民主主義人民共和国とはどこのことでしょうか。その国に無ければ日本の文献を示してほしかったです。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.2

太平洋戦争が始まる前からサイパン島は日本領だったので、大勢の民間日本人が住んでいました。戦局の悪化で逃げ遅れた人は日本軍と共に籠りますが、アメリカ軍が上陸して次第に人々は島の北部に追い詰められます。 当時の日本人の多くは「アメリカ兵に捕まると男は殺され、女は犯される」と信じていました。実際、そういうこともなくはなかった。なにしろ戦場ですからね。 そうして島の北部に追われた日本人の多くが自ら崖から身を投げて死を選びました。 https://youtu.be/HI0HRz0xLnc?t=38 同じような悲劇は、沖縄でも発生しました。アメリカ軍は日系アメリカ人を連れてきてスピーカーで日本語で投降するように呼びかけましたが、アメリカ軍が期待するほどの効果はありませんでした。 なお、秀吉の女になることを拒んで死んだのは、細川ガラシャではなく信長の妹であるお市ですね。そのお市の3人の娘のうちの長女である茶々が後に秀頼の母になる淀殿になります。 お市が秀吉を拒絶したのは、おそらくは身分の違いも影響していたと思います。武士の娘であるお市さんからすれば、農民出身の秀吉など「身分が低すぎて話もしたくない」くらいの存在だったと思います。自分は戦国大名の妹だし、嫁いだ先も戦国大名だったのでお嬢様学校出身の私が中卒のヤンキーあがりなんかに抱かれたくないってのは間違いなくあったと思います。再婚相手に柴田勝家を選んだのも、だいぶ秀吉にあてつけている感じがありますよね。柴田勝家は、ちゃんとした武士の家の人ですから。

gesui3
質問者

お礼

ありがとうございます。 太平洋戦争の女性たちですね。 ロシア侵攻前に服毒自殺した北海道の電話交換手たちもいましたね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

「助平猿」というのが秀吉のことであるなら、玉が自害したのは石田三成の指示を無視してのことですから秀吉とは関係ありません(秀吉没後の話)。 お市のことを秀吉が好きだったことは間違いなく、それを承知の上で柴田勝家の元に再稼し、勝家とともに死んだことを考えればお市もそれに相当するといえるのではないかと思います。

gesui3
質問者

お礼

そうでした。勘違いしてました。 ありがとうございました。 お市の方のイメージと混同。

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