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三島由紀夫の自決の半生を描いた映画『自決の日』
- 映画『自決の日』は、三島由紀夫の自決の半生を描いた作品です。
- 日本の伝統である刀と武士道の精神を重んじる理由について問われた中で、彼の自衛隊に対する演説や切腹に至るまでの武士の姿勢が印象的でした。
- 映画には、当時の政治活動や破防法、人質立てこもり事件など、当時の社会情勢に関する描写もあります。また、彼の著作には、全学連や左翼・右翼の活動、間接侵略などが取り上げられています。
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”彼は自衛隊に革命のようなことを起こそうとして演説し、自衛隊が決起するのを 促したようですが、失敗に終わり自決ようです” ↑ 三島由紀夫ほどの人が、演説一つで自衛隊を動かせると 思っていた訳ではないでしょう。 あれは彼の死化粧です。 米国の雑誌タイムズが、地球が滅びるとして、地球を脱出するさい、 救う百人を選んだことがありました。 日本人で選ばれたのは、彼一人でした。 彼の死には諸説あります。 私は、彼の次の言葉に意味があると思っています。 『芸術家とかが何となく卑しいのは、彼らが本当に命を かけていないからだ』 ”当時の活動状況を詳しく教えていただけないでしょうか” ↑ 当時は、新憲法下で教育を受けた人達が、社会に出て来た 始めでした。 その為、頭でっかちの学生を中心に、社会主義運動が 盛んになり、警察とケンカばかりしていました。 三島由紀夫は、全学連を相手に政治討論して、 「お前ら、革命を目指すなら、なぜ天皇を利用しようと しないんだ」 とやって、全学連の連中を唸らせました。 ”単なる犯罪に見える人質立てこもり事件など、実は政治団体の 引き起こしたものであるのは多かったのですか?” ↑ 赤軍が起こした事件のことですか。 人質立てこもりなんて、あれだけでしょ。
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- eroero1919
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三島由紀夫の作品については、あえてコメントしません。「王貞治って、どんな活躍をした人なんですか?」って聞いてしまうようなものだからです。本屋さんに行って新潮文庫のコーナーに行くか、図書館に行ってみてください。 戦後文学に影響を与えた作家を3人挙げよといわれたら、そのうちの1人には入るでしょうね。 昭和30年代から40年代にかけて、学生運動ってのが盛んになりました。社会主義運動だったんですね。日本は社会主義の国家にすべきだというのを割とみんな真剣にやってたのです。これについて真面目に書き出すと文字がいくつあっても足りません。 んで、その学生運動ってのも途中から左翼同士で揉め始めるのです。これが「内ゲバ」ってやつです。ゲバってのはゲバルトの略で、ドイツ語で「暴力」を意味する言葉です。警官隊と戦うときに使う棒を「ゲバ棒」と呼び、身内でゲバルトするから内ゲバです。 やがて学生運動は過ぎた暴力主義と内ゲバによる内部分裂で下火になっていきます。一方、そこそこに右翼活動もありましたが、まー地域にもよりますけど、当時は右翼ってのは政界とも深く関わっていましてね。児玉誉士夫って右翼の大物がいたのですが、政界にも財界にもニラミがきく、いわゆるフィクサーと呼ばれるような人でした。 んで、三島っていう人は元々非常に病弱だったもんですから、その反動で男らしさに憧れて右翼というか、ああいう思想になってしまったのです。彼は日本にボディビルが渡ってきた初期から始めた人でしてね。彼の写真には筋肉ムキムキのものが何枚も残っているけど、あれは病弱なオレがここまで鍛えた自慢なんですよ。 こんな話が残ってましてね。あの美輪明宏さんがある日三島の胸に触れたら、マッチョと思っていたその胸にはパットが入っていたそうです。で、三輪さんが「あらあなた、パットを入れてるのね」っていったら三島は急に不機嫌になって「不愉快だ。帰る」と言い出したそうです。 だからあの最後の立てこもり事件は実は非常に悲惨です。今、「映像でつづる昭和の大事件」みたいな番組があるとあの三島が市ヶ谷のビルに立って演説する映像が必ずといっていいほど紹介されますが、あの音声が流されることはありません。実はあの映像、音声が残っているのです。 その音声というのがですね、三島の演説を聞いていた自衛官のヤジが入ってるんですが、「引っ込めこのボケ!」「うせろ!」と2ちゃんねるもびっくりの罵詈雑言の嵐なんです。その様子に三島はショックを受けて自決してしまったんですね。 というのも、先ほども書いたように三島は元々病弱な典型的文学青年だったわけですよ。だから、三島は軍隊に行ってないのです。三島由紀夫のWikiには徴兵に関して一言も書いてないのが特徴です。「三島由紀夫の兵役逃れ」は三島ファンの間ではタブーなんですね。最も、三島ファンのためにフォローすれば、兵役逃れではなく、病気持ちで徴兵検査に不合格だったという話も残っています。真実はよう分かりません。 当時はまだ戦争に行った人が生きていた時代ですから、そういう人たち及び、体育会系の総本山で骨の髄まで筋肉でできている自衛官からすると三島なんてのは「文学お坊ちゃんの軍隊ごっこ」にしか見えなかったわけです。「テメーが兵役を逃れたくせに愛国とはちゃんちゃらおかしい」というわけです。 破防法は、適用されたのは三無事件と渋谷暴動事件だけです。 その三無事件で逮捕された青年のうちの一人が、先日朝鮮総連ビルの買い取りで「謎の怪僧」と話題になったあの池口恵観氏です。