• 締切済み

日本では明治維新まで仏教の影響で獣の肉はほとんど食されていなかったのに、豚は何のために存在したのでしょうか。「猫に小判、豚に真珠」ということわざもあるくらいですから日本国内に豚が存在しなかったわけは無いと思いますが。

みんなの回答

回答No.6

2です。 ちゃんと回答を読んでください。 豚は稲作に役に立っていません。 保護され食べてはいけないのは役に立つ動物のみです。 豚などは禁止されず食べても良かったのです。 ですが、豚などは食べても良くて、牛馬など役に立つ動物は食べてはいけないと区別するのが面倒なのと、豚を育てる「場所」と「労力」を稲作に使えというお達しで養豚が廃れたのです。 豚の糞尿などが肥料として使われたのが江戸時代以降なので、肉食が禁止されてから大分経ってから一応役に立ったとも言えますが。

回答No.5

ハムとかベーコンは、西洋発祥なので、ヨーロッパからかと。 イスラムとユダヤ、ヒンドゥーは決して、ポークは食わないし。

  • -ruin-
  • ベストアンサー率31% (239/770)
回答No.4

質問文を前提にすると豚を食べる人は0ではないので、少数の豚を食べる人のために少数の豚がいた、ということで成立するかと思います。 仮にほとんどいないというのを全人口の1%しかいないと仮定しても豚を食べる人は数十万人いたことになるので相当数の食用豚が飼育されていたと推測できます。 ちなみに豚に真珠は聖書が語源なので日本の豚の飼育とはあまり関係ないかと思います。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.3

江戸時代に「外科殿の豚は死に身で飼はれてゐ」という多少知られた句があります。 (宝暦12年初出「誹風柳多留」 所収) 「外科医が飼う豚は、いずれ殺される身で飼われている。可哀そうに。」という句意です。 なぜ外科医が豚を飼うのかといえば、実験用です。解説書には「外科は内科よりもオランダ医学の影響を多く受けていたので、実験用に豚を飼っていた」とありました。豚には食用だけでなく、現代人から見ると少し意外なこのような用途もあったことがわかります。 なお明治以前には、肉食が今ほど一般的ではなく、表向きは忌避されたことは確かですが、江戸時代にまったく牛肉や豚肉を食べなかったわけではありませんでした。徳川慶喜は豚肉が大好きで「豚一殿」(豚肉好きの一橋殿の意)というあだ名が付けられたほどです。また彦根藩では牛肉の味噌漬けが特産品で、慶喜の父である斉昭の大好物だったそうです。

回答No.2

実は仏教が肉食を禁止していた訳ではなくて、元々は天武天皇が稲作に役立つ動物を保護するために定めたもので、豚や猪、鹿などは禁止されてはいませんでした。 これが良くてあれはダメと区分けするのが面倒なのと、豚を飼う場所を潰して豚を育てる労力も使い米作れというお達しがあったそうなので、養豚は廃れてしまったそうです。 それからしばらく養豚は記録に残っていないのですが、江戸時代に長崎に中国人が「豚」を輸入したという記録が残っているそうです。 その後、日本各地でも飼育されるようになったそうですが、肥料を取るために飼育されていたとの記載があるそうです。 また、直接猪と言わず、「ぼたん」と言って食べる文化もありました。 明治になり、肉を公に食べるようになってからでも、豚は肉を食べるためではなく肥料と皮を利用するために多く飼育されるようになりました。 が、富国強兵策で政府が豚肉食を推奨し、養豚事業を開始しました。 大正になり、コレラの原因が生食する魚にあるとして、焼くことが前提である肉食が奨励されるようになったのも豚肉食が一般的になった原因だそうです。

tzd78886
質問者

お礼

豚が稲作に役立つ?どのような用途に使われていたのか想像できないです。

回答No.1

豚の元は猪です。 猪を捕って食べるうちに飼おうと考えた 飼ってる間に家畜である豚へと変化した  

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