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ネット上の非論理的な書き込みと根拠のなさについて
- ネット上の書き込みは非論理的なものや根拠のないものが多いですが、なぜそれがまかり通ってしまうのでしょうか。私はネットを長年使ってきましたが、感情的な書き込みや根拠のない批判が見当たります。
- ネットは公共の場であり、非論理的な書き込みは社会に悪影響を及ぼすものです。しかし、そのような書き込みが許され続ける理由がわかりません。ネットリテラシーのない人が書き込む資格はあるのでしょうか。全てを表現の自由と一言で片づけるのは適切でないと考えます。
- ネットのあり方について悩み、怒り、考えてしまいます。解決策を探してもなかなか見つからず、苦しい思いをしています。アドバイスがあればお願いします。
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マズロー欲求5段階説などを参考にされると良いかな?・・と感じます 人は、まず人と知り合って、互いに自己紹介して、互いに友人・知人として認め、そこから自分の想いを話して、はじめ承認欲求を得る手順が正しく、その後に自己実現欲求(将来の夢や目ずべき道・理想の思考)などを話し合って、もっと互いを認知し、相互に手助けしたり応援したり、感化しあって、人として正しく成長していきます この過程を、子どものときなどは、家族・幼稚園 → 小学校・習い事 → 中学校・塾 → 進路:高校・就職 と、家族や地域や行政が正しく成長する場所(だけは)を用意しています しかし、書かれているネットなどの状況では、この正しい道筋を大幅にすっ飛ばし、名前も素性も年齢も明かさない中で、いきなり承認欲求や自己実現欲求を満たそうとする・・欲だけを発動し、支配欲や歪んだ認知欲求だけで書き込みをしていますから、正しい心でそれを見ると、心が疲れると思います なので、分析という意味では、上記に書いた正しい道筋とは違う世界なのだから、偏った思想・非理論的な書き込みが横行するのだぁ・・・現実世界では達成できないことを吐いて気持ちよく感じてしまう人種なのだろうな・・・で、良いと思います
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- staratras
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ひとことで言えば、個人の情報発信が極めて容易にできるようになった技術の進歩に対して、「公私の別」や「社会的反響」を冷静に考える能力が追い付いていないのです。 一昔前、回答者が若者だったころには、何か意見を主張しようとすれば、たとえ大学の寮や研究室の中のような狭い範囲であっても、ガリを切って(謄写版の原紙に鉄筆で書くこと・おそらく死語でしょう)ビラやミニコミ紙を作るなり、立看(立て看板のこと・これも瀕死語か)を立てるなりするしかありませんでした。それはそれで面白く、熱中する人も少なくなかったのですが、少なくとも「こんな主張をしたら○○が反発するだろう」と反応を考えるだけの時間的な余裕はありました。 ところが現在のネットでは、書いた文章を推敲どころか誤変換のチェックもしないで「送信」ボタンを押せば、日本国内はもとよりほとんど世界中に一瞬のうちに広がってしまいます。「綸言汗のごとし」という格言ではないが、いったん送信したものは引っ込めることが困難です。 昔は自分だけしか見ない日記帳や、仲間内だけで回覧していたノートにしか書かなかった(書けなかった)ようなことでも、平気でネット上に書き込む人が大勢います。「ネット空間は公の場である」ということの意味が頭でわかったつもりになっていても、腹には落ちていないとしか思えません。 この個人の情報発信が極めて容易にできるようになったことはプラスとマイナス、功罪両面があります。ご指摘のように「非論理的・感情的・根拠なし」の書き込みが横行するのはマイナスですが、従来は泣き寝入りするしかなかった社会的弱者に対する不当な扱いや、強者による不正行為を告発できるようになったことはプラスです。 また誰が「非論理的・根拠なし」と判断するのかという難問もあります。国によっては国家がインターネットを厳しく規制し、国家に批判的な書き込みを削除したり、特定のサイトを閲覧できなくしたりしていますが、ほとんどの日本人はそのような権限を日本政府に与えたいとは考えないでしょう。そこまで政治・権力というものを信用していないからです。 ご質問に対する真正面からの回答ではありませんが、「インターネットは自由だが、実名・匿名にかかわらずそこで述べたことに対しては責任が伴う」ということだけは、すべての人が肝に銘じておく必要がある考えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 昔は仲間内でノートにしか書かなかったようなことを平気でネット上に書く、というのがものすごく納得できました。昔は仲間内だけで言っていた愚痴のようなものを公の場であるネットで書き込んでいるということですね。 それによってたくさんの人が傷つくということなんて関係なく書き込む、という点に更に憤りを感じますが、一方でプラスの面もあるということ、それも理解ができました。 「小さい時にネットリテラシーをどうやって教育するか」、それが本当に大切なのかと思いました。
- eroero4649
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それはですね、ネットは心を病んでいる人も健全な人と同じように活動することができるからです。 俳優の石田純一さんが新型コロナウイルスに感染したとき、あるユーチューバーが「私は石田純一の息子です。父が大変迷惑をかけてすみませんでした」という動画をあげてちょっと話題になりました。有名人の名前を利用して再生回数を稼ごうとしたいわゆる「迷惑系ユーチューバー」だと誰もが思いました。 でも私、その動画を見たのですが、その人って他にも「私は〇〇の息子です」という動画をあげていたんですね。で、その淡々とした様子から、有名人に便乗して再生回数を稼ごうとしているのではなくて、統合失調症を患っている人だと気づいたのです。 他にもYouTubeでは、自分は集団ストーカーの監視を受けているという告発動画がいくつもあがっていますし、大地震が起きると必ず「これはアメリカ軍の地震兵器によるものだ」と言い出す人が出てきます。ここでも春先になると必ず「私は集団ストーカーを受けています」という質問が立ち、私はそれを見ると春の訪れを感じます。 統合失調症を患っている人がネットで書き込むと文字が黄色で表現されるとかであるなら分かりますし、実際に会って話を聞けば私がYouTube動画を見て気づいたように、話し方や表情から「この人は何かの妄想にとらわれた人なのだな」と感づきますが、ネットの普通の書き込みだったら見分けはつかないです。 だから質問者さんが義憤を感じているものの少なくない部分は正常ではない人のものだと思います。 そしてまた、ネットはそういう人にとって数少ない、ひょっとしたら唯一の自分の妄想を誰にも咎められずに発表できる場なのだと思います。 まずは「ここ(ネット)にいるのは全員がまともな人だというわけではない」と認識することからではないかなと思います。もしそれが受け入れられないなら、そしたら私からすると質問者さんもちょっと「そっち側の人」に見えてしまいますね・笑。
お礼
確かにYoutubeを見るととんでもない投稿があったりしますね。「正常でない人が活動できる場所がネットである」、という言葉が非常に腑に落ちました。 逆に憤りを覚えることもまともでない、ということも理解しました。最近もネットの書き込みを見て憤慨することも多いですが、そのたびに投稿者様のこのコメントを眺めて書き込みに憤ることも正常ではないんだ、と言い聞かせることにしています。ありがとうございました。
- gomapapy
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義憤に堪えない気持は良くわかりますが、無法地帯とも思えるこのネットの言論空間をいかにして規制すべきかとなると、とても難しい問題になってきます。 一番の問題は感情に任せた書き込みなど、何らの論理性も見当たらないような言論を不要で、しかも害悪だと判断する基準がないことでしょう。 あなたは論理性に欠けたものを規制の対象にしてもいいと考えているかも知れませんが、その判断を妥当なものかどうかという判断もまた求められるので、それを誰がするのかという基準もありません。 要するに、どうしようもないのです。もういっそのこと中国のように、ネット空間まるごと統制をかけてしまえば面倒はないのかもしれませんね。 けっきょく、どちらの悪がよりマシかという消極的な対処しかできないでしょう。ネット空間はほぼ無法地帯なのだと諦めるしかないと思います。 ですので、もはやネットでの言論は、基本的に便所の落書き程度に思って、個人がそれぞれに対応するのが最善だろうと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。確かに規制の基準がない、というのが大きいのかもしれませんね。ネットの弁論は便所の落書き、とも思いたいところですが、最近は「ネット上では」みたいなことがメディアに取り上げられていてネットの声も無視できなくなっているのが怖いなとも思っています。メディアの質も落ちたな...と思いますが。 ネットの書き込みを見てもそれは便所の落書きと思って心を安らかにさせたいと思います。
なんの根拠もない書き込みをする人がいるのは仕方がない、だからそのような書き込みが存在するわけです。 なんの根拠もない書き込みを信じる人も中にはいます。 しかしながら、あなたのように嘘だと見抜く人もいます。 つまり、そのような書き込みをするな云々よりも、 それが真実か否か判断できる能力を養うことが大切です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに真実か否かを判断できる力も重要なのかもしれませんね。でも、最近はその正常に判断できる人がだんだんと少なくなっているような気がしてなりません。正常な判断できない人がマジョリティになるとそれが大きな声として届いてしまいます。便所の落書きのような書き込みが大きな声となること、それを恐れています。
お礼
ご回答ありがとうございました。支配欲や自己欲求欲をあるネット空間で実現させようとするがゆえの行動、ということがよくわかりました。 本当に見ると心が疲れてきますし、虚しい気持ちになります。でもそれを相手するのが良くないということもわかってきましたので、なるべく相手しないように心がけていきたいと思います。