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明治から昭和初期の文学者たちの真実とは?
- 明治から昭和初期に活躍した文学者たちは一時的な潮流ではなく、それぞれが独自の表現を追求していました。
- 現代の文学と比べると、当時の作品は一部陳腐に思われるかもしれませんが、一部の作品には普遍的な魅力や寓意があります。
- 当時の文豪たちの作品には、その時代の社会情勢や個人的な思いが反映されており、彼らの独創的な表現力によって価値が生まれていました。
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大正時代なんかに「最近の女学生は小説などというくだらないものに夢中になって、嘆かわしい」なんていうおじさんがいたり、小中学生くらいの年代の子が小説に夢中になるのを一昔前ならマンガやゲームに熱中する子供と同じように「あんなものに夢中になるとそのうちバカになる」と警告する人がいましたから、文学が高尚なものになったのは、いつからでしょうね? 思えば最近は、マンガも徐々に高尚なものになりつつありますよね。小説でいうなら直木賞的な大衆娯楽路線だけではなく、芥川賞的な純文学的なマンガもちらほらあります。「ブッダ」や「火の鳥」はもう文学作品的な扱いですよね。 先日放送された「100分de名著」の「痴人の愛」の回では作家の島田雅彦先生が「この作品は15歳の少女をおっさんが自分好みの女にするとんでもない作品。かつてこういう露悪趣味的なことは文学者がやっていたことで、最近はこの役割を文学ではなく芸人さんがやっている」といっていて、なるほどなと思いました。 思えばビートたけし師匠の「たけしくん、ハイ!」を発端として松本人志さんのベストセラー「遺書」を経て又吉直樹「先生」の「火花」で芥川賞に至ったように、芸人も高い文学性を持つ時代になりましたね。かつては芸人が読書をすると「芸人風情が」とバカにされたものですが、今は芸人こそが「バカじゃできない」時代です。芸人が頭いいことを占領しちゃってるから、タレントやアイドルが必死にバカなことやって笑いをとってますよね。
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- staratras
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回答者は別に文学に造詣が深いわけではありませんが、江戸時代にもご質問に通じる発想の人がいて、文学の評価基準について議論があったことを思い出しました。源氏物語について、「勧善懲悪」の物語だという議論や「催淫の書」などと批判する人に対して、本居宣長は次のように反論しています。(源氏物語玉の小櫛) 「そのよきあしきは儒仏などの書の善悪と変はりあるけぢめなり。」 「さる筋の善悪の論はしばらくさしおきて、さしもかかはらず、 ただもののあはれを知れる方のよきを、とりたててよしとはしたるなり。」 「この心ばへをものにたとへて言はば、蓮を植ゑてめでんとする人の、濁りてきたなくはあれども、泥水を蓄ふるがごとし。」 「物語に不義なる恋を書けるも、その濁れる泥をめでてにはあらず。 もののあはれの花を咲かせん料(しろ)ぞかし。」 つまり、文学には文学としての価値があって、儒教や仏教などの道徳上の基準だけで論じてはならないということです。美しい蓮の花は濁って汚い泥水の中から咲くというのは巧みなたとえです。 まあ現代の日本で、身寄りのない小学生のかわいい女の子を自宅に引き取って育て、中学生になったら妻にしてしまうようなことをすれば、明らかな違法行為で虐待だとして社会的に糾弾されるでしょうけれど、そのような見方をするのは、昔の文学を鑑賞する適切な方法ではないということです。 文学は「何を書いたか」よりも「どのように書いたか」の方が重要ではないかと考えます。もちろんたとえそれが、ご指摘の「痴話話的な文学」であっても…。
お礼
ありがとうございます。それはもちろん「ミロのビーナスは、裸で不謹慎」とは申しません。 もう少し言うと、源氏物語からして、エロスや、禁断性は、まだ、芸術的に崇高でありえると思えますが、「友情」「こころ」なんかは、それにすら到達していない陳腐なテーマだと思いませんか?。 「どう書くか?」は、どうだと良作となるのでしょう?。 下手したら「文學っぽい」に過ぎないのではないかとも疑うのです。 芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外なんて、それっぽいペンネームとタイトルで、和服着て、アゴに手をあてて写真撮れば、内容なんて大体でよかったりして。「歌舞伎」が芸術として怪しいのに似ています。 ケレンではないのかと疑うのです。
- Mock_Hatter
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「「舞姫」は、ドイツから女が追いかけて来て追い返す話。」そんな話でしたか?
お礼
ありがとうございます。違いましたっけ?。もしかして、鴎外の実人生とごっちゃになったかもしれません。
- eroero4649
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あ、ちなみに「痴人の愛」はずいぶん若いときにタイトルに興味を持って読みましたが、途中で飽きた記憶があります。 なんか「なんだ、セックスに夢中になるおっさんの話か。その割にエロくねえな」って記憶だけ残ってます・笑。
お礼
ありがとうございます。ありますね。私も裏腹で言うほど実は嫌いじゃないのですが「なんじゃこら」というのも混じってますよね。 当時の文学はなんとなく「最先端の知性」を表現する感じで、そういう意味では言ってる事には共感したりするのですが、土台、筋書きが、いまいちダサいなあと思います。 坂口安吾とか見てられない。 あと、江戸川乱歩も推理ものは、バレバレズッコケトリックです。 いずれにせよ当時の文学は、流行だったのですかね。当時のユーチューバーか。
私の作品に比べてたいしたことない、というなら分かりますがたいしたことが無いという比較の対象がありません。あれはくだらないこれもくだらないと言っても100年後に無知なネットワーカーから論評されるほど彼らは偉大な仕事をしました。今の作家で100年後に記憶されているほどの作家がいるかいないか私は知りません。昔はどうだ、今はこうだ、ではなくいつの時代でも100年後に読まれる本には普遍の価値があり、100年後に生き残るかどうかを知る方法は100年前の作品を見るしかないのです。昔の作家が大したことが無いと言っても、その間に消えた昔の作家はさらに膨大な数で、言及されるのは比較的にも偉大な作家だけです。鴎外の宗教観や父の生き方に対する観察と評価には読み手の一生を支配する独特でしかも普遍的な教えがあるし、賢治の世界には時代を超越したテーマがあります。今も過去にもごく少数の偉大な作家と消えてゆく大部分の作家があるので、古いか新しいかは本質的でありません。
お礼
ありがとうございます。古いと批判しているわけではなく、芸者との不倫といった、筋書きが「さもしい」と感じています。安部公房、芥川龍之介同様、寓話の宮沢賢治は、わりといいと思います。といっても「注文の多い料理店」なんかは陳腐だなあと思います。しかし、鴎外や漱石の色恋で頭がいっぱいみたいな話は、大した話なのか疑問です。「それから」も、モラトリアムが高じて無一文なんて、ただのニートじゃんみたいな筋書きです。そして、お相手の女性が不治の病ときたもんです。病気の悲劇って「せかちゅう」かいというくらい陳腐な設定だと思えます。 それと、この時代に文豪が大量発生している事もなぜか知りたいなと思います。
お礼
ありがとうございます。50年後には、「最近の若い者はYouTubeも見ないのか」と言われてるかもですね。