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優生思想はなぜいけない?
最近、某アーティストが無邪気な優生思想を発信して話題になりましたね。私もそれを見て「優生思想も知らんのかこいつは」と呆れたのですが、 でもなんでダメなんだろう。条件反射でダメと言っているだけではないか?と思いました。 ※ここで言う優生思想は相模原事件のように「産まれた命を他者の意思のみで殺す」ことは一切含みません。 正直、日本の生活を救うには某アーティストの行ったことも一理あるのではないかと思いました。 もしも、「当事者の同意有りで」産まれてくる命を選別出来るとしたら、何も問題ないのではと思ってしまったのです。 要するに「日本国籍で子供を産むことを条件に、精子バンク・代理出産ビジネスを国がバックアップする」と言い換えられるかと思います。 更には、国が優秀だと判断した遺伝子を採用した場合は報奨金を与える、等のオプション付きです。 完全に開き直った優生思想ですが、これで不幸になる人はいるのでしょうか。 もしも自分が精子提供者だったら?卵子提供者だったら?代理出産する方だったら?同意と報酬を得ているので問題ありません。 産まれてくる子供だったら?既に精子バンク・代理出産ビジネスは存在します。その遺伝子・母体をスポンサーが選んだか国が選んだかが違うだけです。そして高いスペックを持って産まれてくることだけが約束されます。 国の立場だったら?税収が増えます。ほかの人たちだったら?景気が良くなって雇用が増えます。 困ったことに誰も損しないのではないか、と思ったのです。 別にこの意見の是非によってなにかしでかそうという気は一切ありません。ただ立ち止まって考えた時に、将来そんなことになり得るのではないか、ひょっとしたらどこかの国はこっそりと始めてるのではないかと思ったのです。 大学の講義のように、ざっくばらんな意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
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- zne368d4nt8
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こんばんは 自然ではないから でしょうかね。 人の欲で それを していいのか 等も ありますしね。 人工的に 操作されなくても 優秀な種なら 自力で 来なさい と云う事も ありますよね。 何処の 世界でも 実力が ある者が 勝ち残る訳ですが どう考えても 実力は AとBなら Bが上だ と しても Aが 圧勝する事も ある物ですしね 目には 見えない物が ある それに 本当に 全てを 知り 行う事が 出来ても やはり それを しても いいのか という問題 が ありますからね
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
2つ問題が考えられる。 (1)選んだ遺伝形質が本当によいものだと責任とれるか? 例えばユダヤ人からノーベル賞学者が多くでているし、知能が高そうだけど、ユダヤ人特有の脳細胞の病気が知られている。一つの優れた形質が同時に負の形質を持っているかもしれない。あるいは美の基準は時代によって変わる、現代では美しいとされている顔が平安時代の基準ではブスだったりする。現代の基準で選んでそれが未来永劫よい形質となるのか? (2)良い形質が社会に広まった状態で考えいるが、それが広がっていく過程を考慮していない。よい形質が選ばれるということは、そうでない形質は淘汰されるわけだが、淘汰されるほうが大多数なわけだ。そうなると、淘汰されるとわかっていて、その良い形質を残すために自分たちの税金を使うことを、淘汰される側が納得するだろうか?それは難しいと思う。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
>また、「顔が全てではない」という事も良く耳にする言葉ですが、一方でアニメやCGで描かれる人物は殆ど美しい顔で描かれています。ゲームのアバターなんかはもろにその「理想」が出ていると思います それは芸能人やアイドルと同じ「外見で勝負の世界」だからです。ゲームのアバターは頭の良し悪しなんて関係ないもの。 じゃあ聞きますが、東大に入るために顔の良し悪しは重要ですか。プロ野球選手になるためには顔の良し悪しが影響しますか。顔のいい人はFXでも勝率が高いのでしょうか。 貴兄は自分にとって都合のいいところだけ「外見の良し悪し」だけを切り取り、外見が影響しない分野は見ようとしないのです。 だから他の人とも議論がかみ合わないんですよ。他の回答者さんも私と同様、優性は顔の良し悪しだけではなく知能や運動能力、性格なども含めて「優性とはなんぞや。それは遺伝にだけ依存するのか」といっているのです。 だけど、質問者さんは「優性とは外見のこと」としているのです。そりゃね、確かに外見の良し悪しは遺伝に負うところ大きいです。後天的に外見を良くしようと思ったら整形手術しかないですからね。 だから「外見の優劣は遺伝による」というのであれば、それは異論はありません。美形の子孫はだいたい美形です。 でも「人間の優劣は外見のみで判断される」のですかね。もし質問者さんが「人間にとって最も重要なのは外見の良し悪しであり、頭の良し悪しや運動能力などは外見ほど重要ではない」と思うなら、もう議論そのものが成立しなくなると思います。
お礼
大変遅くなりました。回答ありがとうございます。 >貴兄は自分にとって都合のいいところだけ「外見の良し悪し」だけを切り取り、外見が影響しない分野は見ようとしないのです。 見落とされているかもしれませんので、再掲致します。 不細工な人は誰が見ても不細工ですし、綺麗な人は誰が見ても綺麗です。あるのは「醤油顔が好きかソース顔が好きか」というベクトルの向きが微妙に違うかどうか程度かと思います。【 同じことは頭の良さや運動神経の良さでも言えるかと思います】
- KaneHen
- ベストアンサー率23% (16/67)
手短に言うと・・・ 優劣を決めるのが個人なら求めるものは人それぞれ 遺伝子の優劣にこだわっても、その価値基準が君が求めるそれとマッチするとは限らないぞ それが個人でも団体でもどちらでもいいけど、その価値基準は時勢が変われば環境と共にも変わるから、変動するようなものなら、どんなに努力しても突然生まれた天才にあっという間に抜き去られるかもしれないし、生まれた天才に対して適切な教育が施せるとも限らないし、その生まれた天才は環境に適応できないかもしれない、環境適応能力に注目するなら、あえて最高を求める意味がない、遺伝が偶発的な環境変数によるものなら、最高を求めるために複数、個体が必要だけれど兄弟の間の優劣は家単位で考えるなら有効的かもしれないけど、人の才能は数字で表せるものと表せないものがあるから、それを上回る集団になると公正に欠くかもしれない 文化や文明、それに伴う道具は必要において必然的に生まれるものであるから必然としてそれを補う形で生まれるけど主流からそれる意味がない 現人類が昔のママとは言わないけれど、どんなに人類が発展しようと、人を必要と言う名の競争で酷使続ける限り、あくまで天才は使い捨てされる運命なのさ ごめんなさい、言い直しました・・・・それでも長い(-_-;)
- KaneHen
- ベストアンサー率23% (16/67)
どうも認識に齟齬があるように思うのですが 対等な立場で管理するという事は自己責任とか自己管理とも言い換えることができます 求めるのは個人であり社会であり、会社かも知れない、ですがそれぞれ求めるものが違います、そのリスクを個人で取ることに自由を見出すなら 職業・職種ごとに求められる才能が違ったとしても どんなに優秀な遺伝子を持つ人でも生涯の伴侶とするなら、ともに歩めるものを選ぶのは当然ではないでしょうか? 人間は競走馬と違い成人するまで教育時間として時間がかかりますコミュニティーごとに求めることが違えば教育も専門化するでしょう、 コミュニティーにおいて遺伝子にこだわるのであれば、優秀な遺伝子を持つ個体に依存するようになります、種馬にしてもそうですが、種付けは一度に複数の行うことができますが、その出産を優秀な女性に頼るとするなら、人が産める子供の数には限度があるでしょうし、母体となる女性を複数用意したとしても、種馬は一人ですよ、その育成を女性にのみ押し付けて良いでしょうか?ともに家族として子供を育てるにしても、社会で育てるにしても、ともに目的に向かって歩める気の合う伴侶はもしくは教育機関必要ですよね(・・? 遺伝子に頼っても成人してからも環境の変化に対応するには研究しなければいけない事学ばなければいけない事が多いいでしょう、そういった教育は一人ではできませんし、世代ごとに格差が生まれるし軋轢も生まれる、そうでなくともコミュニティーの中でも優劣が生まれ、優劣が生まれればコミュニティーの中にも身分制度が生まれます、そして偏りが慣習に頼り、慣習に頼るようになれば自由な発想も生まれにくいかも知れない、それでも遺伝にこだわりますか? >そうは思わないです。「既に」社会価値基準は狭窄していると思います。 今現在の社会は民主主義の社会が優位であり 職業選択の自由は認められていますよね? おっしゃられる程狭窄してますか? 職業や収入によって社会的格差は生まれているかもしれませんが まだ親や家の資産の範囲ですよね? ですから民主主義社会における数々の自由が侵害されているとは思いません >不細工な人は誰が見ても不細工ですし、綺麗な人は誰が見ても綺麗です。あるのは「醤油顔が好きかソース顔が好きか」というベクトルの向きが微妙に違うかどうか程度かと思います。同じことは頭の良さや運動神経の良さでも言えるかと思います。 そこはかなり認識に違いがあると思うのですが 価値基準は国によって基準が違います、民族によっても全然違います そう言った基準は自己を基準にすることが多いいので 世界基準が標準ではなく、日本の基準にそった人が日本に紹介されるからそう思えるだけです 頭のよさや運動神経の良さが、美的感覚と同列かどうかは疑問ですが 頭の良さも運動神経の良さもされを測る基準があっての話ですよね? >よって遺伝子の選別をしようがしまいが、生まれてきた子供たちに優 劣が生まれるのはこの現世では避けられないことなのかなと。 避けられないなら危険性をお冒してまでレミングスが如く突き進むことに何の意味があるでしょうか? むしろ未来が確定していないなら無理をする必要はありますか? >また技術や道具にその役割を持たせればいいということですが、むしろ効果が出ているのだから遺伝子にも適用すればいいのではと思うのです。 道具を使うなら、その必要もありませんし、特化してリスクを背負う必要もない、どんな時でもやり直しがきくのにコミュニティに強いられて好まない相手の子を産み育てますか?、そんな子を愛せますか? 女性は子供を産むための機械ですか?そんな環境で生まれた子供の個性を伸ばしてあげようと思えますか? なら、そのぶん愛する者と子を作り、文明や文化の発展に期待をして教育において道具を使う能力に特化した方がいいのではないですか? どんなに優れた人も栄枯盛衰いつかは老い衰えます 社会体制も時勢によって違うなら、それに沿った新しい価値観に期待した方がよくはないですか? 効果があるから注目されていますが、それが遺伝によるものか教育環境によるものかは断言できませんし、 社会環境が変わるのであれば時勢に合わせた教育に重きを置いた方がいいでしょう >例えば見た目を苦にして虐められて命を絶つ方や、才能に恵まれず貧しい暮らしを強いられる方に、「あなたみたいな人達は人類の多様性のために必要なんですよ」と言って、果たして救いになるでしょうか。 いや美的センスについては、どんなに極めようとしても人を見ていては理想がうまれ、必ずそれに対しての劣等感が生まれるでしょう、生まれなかったとしても下手をしたら同じ顔だけになるだけです、 そして一つの目的に進むなら誰かが責任を取らなくてはいけないし 極端になればコミュニテイーからはじかれ、文明と言う名のもとに進化と言うはしごを下ろされるかもしれない そしてそのリスク誰がとるんですか? 法における平等や、民主主義を放棄しますか? と言う事です、それって依存ですよね、思考放棄してませんか?
お礼
大変遅くなりました。ご回答ありがとうございます。 >ともに家族として子供を育てるにしても、社会で育てるにしても、ともに目的に向かって歩める気の合う伴侶はもしくは教育機関必要ですよね(・・? 確かに言われるまで気づかなかったのですが、精子提供卵子提供を選んだ時点で必然的に片親になってしまいますね。他人の遺伝子でもいいと思う少数のカップルを除けば。 そのデメリットを呑んでまで優秀な人間になると言い切ることは難しいかもしれません。 >今現在の社会は民主主義の社会が優位であり 職業選択の自由は認められていますよね? 学校教育上はそうなっていますが、であればなぜこうも貧困の連鎖や自殺があとをたたないのでしょうか。 参政権があるから民主主義、本当にそうでしょうか。今までに民意が反映されたという実感は、私には無いです。 >頭の良さも運動神経の良さもされを測る基準があっての話ですよね? はい。問題はそれが「ベクトルの向きが微妙に違う程度」なのか「正反対の向きになることが普通にある」なのかで、頭の良さや運動神経は前者だと思います。「所得」や「納税額」や「経済効果」などと物差しであればよりその傾向は強いと思います。 >どんな時でもやり直しがきくのにコミュニティに強いられて好まない相手の子を産み育てますか?、そんな子を愛せますか? 女性は子供を産むための機械ですか?そんな環境で生まれた子供の個性を伸ばしてあげようと思えますか? そんな事一言も言った覚えはないのですが…質問本文の通り、あくまで当事者の自由意志です。何ら強制ではありません。 >なら、そのぶん愛する者と子を作り、文明や文化の発展に期待をして教育において道具を使う能力に特化した方がいいのではないですか? その結果が今の世の中です。理想の世の中と言えるでしょうか? このままではいけないと思う人は果たして少数でしょうか? >社会体制も時勢によって違うなら、それに沿った新しい価値観に期待した方がよくはないですか? 例えば貧しい方が幸せだと皆が本気で思えたら確かにそうでしょうが、でも私は貧困を何とかする方向で考える方が現実的かなと思います。 >社会環境が変わるのであれば時勢に合わせた教育に重きを置いた方がいいでしょう それが今の世の中です。 教育には途方もない投資が要ります。それが賄えるヨーロッパ諸国ではその方法が取れますが、借金大国で非資源国の日本は未だに世界最高学の大学費用を庶民から分捕っています。この方法は既に限界が来ています。 >そしてそのリスク誰がとるんですか? 当事者が取ります。呑めないならその選択をしないだけです。繰り返しですがあくまで当事者の自由意志です。
- KaneHen
- ベストアンサー率23% (16/67)
価値基準の問題 優れた子の誕生に優れた遺伝子同士の配合必要とするなら 優劣を競うには基準が必要で、道具のように専門に特化した方が効率的、因みに(美的センスは人のコミュニテーの標準とされているから極端になっていない限り無意味)というより極端に走るのは逆効果 人を道具として交配させて生まれてきた子供たちにも優劣が生まれる 競争になれば、すべての人が同じ目標を目指すなら必要とされない能力がなくなる可能性もある 道具としては専門に特化型になりやすく、職業で特化すると専門のコミュニテイーが生まれ、職業階級のコミュニティーのみで交配を続けると近親交配になりやすく 独自の社会基準が正当化される傾向にあり、社会が閉鎖的になりやすくなる、社会が閉鎖されると社会規模が縮小傾向に傾く、特化した才能は他コミュニティから稀有な目で見られやすく、ガラパゴス化しやすい(首長族とか) 人が競い合って同じ目標を目指すという事はトレンドが生まれ トレンドを追い求めれば人が一律になりやすい、トレンドが時代に左右されたとしても一律になるという事は つまり得意点は強調されるという事で弱点も強調される 同じ抗体しか持たない人間多くなるということ、つまり外的因子に弱くなる傾向にある、他から遺伝子を取り込まないと伝染病や遺伝病で種の絶滅と言う事になりやすい 他から遺伝子を取り込むという事は・・・基準に適合しているとは限らない 仮に天才が生まれても天才が必ずしもすべてをもって生まれてくるわけではないから そして才能を補うために人間には教育や道具がある 教育については省くが 種としての進化を求めるなら、才能に特化する必要はなく、技術や道具を使えばいい、 道具を使う様になれば依存しなくなり、既得権益とか 無意味な争いを生む原因にもなりかねない 昔馬が移動手段に用いられていた時代は道具として早い馬の需要はありましたが、文明が発展するにつれ汽車、自動車、飛行機、バイクにとって代わり今では、道具としての需要は限定的となり、求められる才能にも変化がありました 必ずしも人の管理下に置いて進化しても時代の変化に対応が求められるのであるのだから 対等な立場で管理する者が居無くなれば生まれを重視するようになり管理社会になる、管理社会が進んでも、生まれてしまった人間の遺伝子が書き換えられるわけではなく、書き換えられるなら、その必要はなく、それ以前に人の可能性の否定ですよね、特化のリスクを考えると現実的ではない とかでどうですか?
補足
遺伝子選別によって社会基準の狭窄を招くということでしょうか?逆に、今の社会基準はそんなにバラエティーに富んでいるでしょうか?また仰られるような「対等な立場で管理する者」っているのでしょうか。 そうは思わないです。「既に」社会価値基準は狭窄していると思います。 不細工な人は誰が見ても不細工ですし、綺麗な人は誰が見ても綺麗です。あるのは「醤油顔が好きかソース顔が好きか」というベクトルの向きが微妙に違うかどうか程度かと思います。同じことは頭の良さや運動神経の良さでも言えるかと思います。 よって遺伝子の選別をしようがしまいが、生まれてきた子供たちに優劣が生まれるのはこの現世では避けられないことなのかなと。 また技術や道具にその役割を持たせればいいということですが、むしろ効果が出ているのだから遺伝子にも適用すればいいのではと思うのです。 人の可能性の否定ですよね、ということですがそんなことはありません!…と言うと嘘になります。 例えば見た目を苦にして虐められて命を絶つ方や、才能に恵まれず貧しい暮らしを強いられる方に、「あなたみたいな人達は人類の多様性のために必要なんですよ」と言って、果たして救いになるでしょうか。 ですがひとつ「確かに」と思ったのは疫病への耐性ですね。偶然にも「頭のいい人にしかかからない疫病」が流行った時に人類滅亡のリスクが跳ね上がるでしょうが、多様性を維持しておけば何とか人類が途絶えることはないでしょうから。 「どの程度」多様性が必要かはまた別の議論ですが、無視はできないでしょうね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
#4です。 前回の回答で、サラブレッドを才能の遺伝という視点から触れました。 サラブレッドというのは、「走る」という能力だけに特化しています。そのため、稀ながら「ただ走っただけで骨折して死ぬ」ということが起きます。これでは野生の世界をとても生きていけません。走って逃げてるときに骨折したら明らかにとっ捕まるからです。 それにどんなに走るのが速くても、奇襲されたらひとたまりもありません。アフリカの草食動物スプリングボックは、時速100キロくらいで走れますが、肉食動物のエサになることしばしばです。スプリングボックは走る速さに特化して生き残る戦略を選びましたが、それが完璧ではないことは明らかです。 つまりこの地球で生き残るためには、なにか一つの能力だけ優れていればいいというほど甘くはないということがいえます。 他の方とのやり取りを拝見すると、質問者さんは「外見の良し悪し」に判断基準が特化しているようです。そればかりにこだわります。「この顔に生まれなくて良かったな」と思うことはあっても、「こんな頭が悪くなくて良かったな」とか「こんなにスポーツ音痴でなくて良かった」とはあまり思わないご様子です。 しかし考えてもみてください。顔が悪くてもスポーツの才能が飛び抜けていればちょっと顔がいい人よりずっと社会的に成功することができることは、松井秀喜さんを見れば明らかです。 しゅんしゅんクリニックPさんというお医者さんでありながら芸人さんでもある方は、お世辞にもイケメンには見えませんが、お医者さんをしているくらいですから頭はいいです。なのであっさりアイドルグループにいた女性と結婚してしまいましたね。彼のようなルックスの男性は割とよく見かけるタイプですが、彼がフリーターだったら元アイドルと結婚することはまず不可能だったでしょう。 優性思想を「まともに」語るには、質問者さんの価値観は外見に偏っているように思います。外見はこの高度に文明化された社会では重要かもしれませんが、それは女性ならまだしも男性ではせいぜいここ数十年の話です。現生人類の歴史は最短でも20万年、最長だと180万年です。猿人なんて時代を含めるなら650万年です。その何十万年か何百万年かの歴史の中で、外見がモノをいうようになったのはここ数十年なのですから、それを優生思想で語ることなんてできないですよ。 また、外見の良し悪しが人間の優秀さの全てではありません。
補足
外見は1例として特化して取り上げました。なので「見た目が良ければ頭が悪かろうが運動神経が悪かろうが構わない」とは思いません。 なので汎化して言うのであれば、「より見た目も良くてより頭が良くてより運動神経の良い…人に生まれたら幸せだろう」と思います。 実際にそういう人は実在しますし、例えば頭の良い人と顔のいい人が結婚したら、頭の良くて顔のいい人が産まれる可能性が高まるだろうと思います。 ただ確かに、不幸の「量」は別として、例えば「頭がいい事」特有の不幸や「顔がいい事」特有の不幸がないとは言えないとは思います。そうでなければ「美人薄幸」などという諺も生まれないと思うので。 そういう時のための「保険」としてある程度多様性を維持することは、確かに意味があると思います。 しかし仰っている通り、我々が原始人の暮らしに戻っても良いと思っているなら違いますが、急激に進化した今の人間の暮らしが続いて欲しい、或いは発展して欲しいと思っているはずです。 そうであれば、今までのペースで遺伝子の選別を行っていてはその変化に適応できません。 それどころか、今の時代、昔であれば生き残ることすら出来なかったようなヒトが(私含めですが)、ある程度生き残って結婚も「できてしまい」ます。これでは自然な遺伝子淘汰さえ機能しなくなっていると言えます。 そこで「誰も不幸にならずに効率的に遺伝子が進化する」方法を考えると、どうしても冒頭の施策が思いついてしまうのです。 また、「顔が全てではない」という事も良く耳にする言葉ですが、一方でアニメやCGで描かれる人物は殆ど美しい顔で描かれています。ゲームのアバターなんかはもろにその「理想」が出ていると思います。 ※全く余談ですがここまで書いておいて心のどこかで完全論破される事を望んでいる自分もいて、この気持ちの正体は何なのかと思ってもいます。
- KaneHen
- ベストアンサー率23% (16/67)
なにか誤解があるようなので・・・ 同意があっても色々な意味で問題があります それに近親交配の危険性はそれだけではないです・・・ 多岐にわたるのでご自身で調べられるのがいいと思いますが 同じようなことを考えた人は昔から居ます、 ようは人間も蜂とか蟻とかと一緒の生態系社会体系になればいいという事ですよね? 社会主義国でも人間社会でそれが根付くとも思えませんが 実践した結果 近親交配に陥りやすく 近親交配は危険でそれに見合う利益が少なく 才能を生かして成人させるには教育が必要で、おなじく教育が必要なら、愛情をもって熱心に育てられた子供ほどよく育ち社会に適応しやすくなるという結果から 才能にばかり注目するのではなく 愛せる子供を産み育てなければ意味がないと言う事に落ち着きました。 遺伝で受け継ぐのは良い遺伝だけではないという事です そして特化すれば恐れられ忌避されます うまくいっても競争社会が激化するだけです その先に待つのは新種誕生か?種としての絶滅なら・・・
補足
近親交配とその遺伝子破壊についてさくっと調べました。確かにまるで「遺伝子の偏りは許さん」という神の意志すら感じられる仕組みだなと思いました。 が、一方でそのような露骨な症状が出る例は「何代かにわたり近親婚を繰り返した家庭」であるようにも感じました。 冒頭にあげた政策でそのリスクがどれだけ上がるかと言うと、誤差程度なのではないか?とも思います。 またそのリスクを避けるのであれば、例え優秀な遺伝子であっても相手の遺伝子と血縁関係が近い遺伝子には補助金を与えない、などすれば回避可能かと思います。 また、遺伝子よりも愛情や環境が大事、という意見も分かります。それも大事という事には何ら反論はありません。 ですが、長い事そう言われ続けているのに、なぜ未だに状況が変わらないのでしょう。むしろ悪くなっている気すらします。 それにコストもかかります。フィンランドやノルウェーのGNPが高いのは教育が充実しているからですが、それは莫大な財源をかけているから、かけられるからです。借金国の日本では取れない方法です。 ということはやはり従来の方法では限界があるのです。やり方を変えなければ、不幸や貧困は撲滅できないのではとも思うのです。
- Sakura2568
- ベストアンサー率42% (2135/5050)
>「なんでこんな顔に産まれたんだ」と悩む事等。珍しいことでは無いと思います。 こういった不幸が無くなる なぜこれを言い切れるのでしょう? 生まれた顔を子供が喜ぶ保証がありますか? こんなとんがった鼻ではなく愛らしい顔に生まれたかった この顔のせいで好きな女性に信じてもらえない。いつも誤解される。 常に異性から迷惑な行為をされ続けてる。 そんな人も世の中多いことでしょう。 他人がすぐれているという部分が本人にはコンプレックスということもあるのです。 足が速くても、美しくても、優れた頭脳があっても 人は不幸です。 それはないものを求めるのが人だから。 すでにあるものには感謝もありがたみもありません。 人は努力して手に入れるからうれしいんです。 子供が自分は親が遺伝子を選んで産んだと知ったとたんこう言うでしょう 「私が望んだわけじゃない!!」 そして、こんな顔よりも優れた頭脳が欲しかった こんな頭脳よりも運動能力が欲しかった こんな才能モテるために何の役にも立たない! 結果、親が悪い!親のせいでこんな目に! ってなることでしょうね。 そもそも容姿の良い人を選んだって その子供が美しいとは限りませんよ。 親だけでなくその祖父母~に続く先祖の合計ですから。 兄弟なのに片方だけイケメンなんていうのは珍しくもないわね。 つまり遺伝子を選んでも望むようになるかは賭け しかも愛して望んだ子でない場合思い通りの結果でなかったら。 その子を愛しきれるのかしら。 独身女性が将来のため、寂しさを埋めるため、社会に貢献するため いろいろ理由を付けて産むのはかまいませんが 生まれてきた子が悩まない保証はないですよ。 どっちにしたって子供はどこかに不満を持ち、不幸を感じ、親を怨む日が来る。でもそれが愛しあう夫婦の結果なら目の前の親のせいで済みますけど、原因が見ず知らずの優秀とされた人で、先方は自分の存在すら知らないっていうのは相互理解の機会も得られないために不満の方向性が向きやすいのでは? 有名人、優秀とされた人の子供に生まれたのはあいつが悪い!システムが悪い!恨みの矛先は遺伝子を提供した人、システム、それにかかわる人に向くかもね。 俺がやりたくもない野球をさせられて、頑張っても失敗すると他の人よりもがっかりされてしまう。それもこれも有名だったとかいう昔の選手のせいだ。(生殖適齢期に採取されたなら十分子供も生きているでしょう)あいつを殺せばこの呪縛から逃れられると考えても不思議はないですね。 誰であれ、自分の管理外で自分の遺伝子を持った子が生まれ、いつか自分が対峙しなければいけないとなると怖くて細胞の提供なんてできないと思います。 情報を隠してでは選ぶ意味がないし、情報がある以上は子供にも絶対バレるし、不満、不幸を感じずに済むなんて言うのはありえないと思います。 賛成する人は他人事と考えているからか、親の期待や親の価値観に悩まされた、または疑問や反発を感じたことがないのでしょうかね。 親さえ立派なら子供が幸せになるなんてどう考えてもおめでたすぎる。 毒親の俺よりはまし、育児放棄された私よりは良い人生!という意見もあるでしょうけど。感じ方は人それぞれ。無理やり下駄をはかされた人が良い人生を得るかは甚だ疑問です。
補足
例えば、美しい顔で生まれてきた人がそうでない人に対して「あんな顔に生まれなくてよかった」と言うのを目の当たりした事が何回かあります。 このように、やはりミクロの視点で例をあげてもキリがないのかなと思います。なので大事なのはマクロで見た時の程度の差だと思います。 美しい顔で産まれてきたのに無い物ねだりする人もいると思いますが、満足する人もいると思います。そしてその割合は、美しくない顔で生まれてきた人よりも多いのではと感じます。 また選別された遺伝子で産まれたことで生じる不幸というのは、外国では民間のビジネスとして「既に存在」しています。先に挙げた国の施策を取らなかったら無くなる訳ではありません。 しかし、このビジネスが拡大したら、仰っている様な子供が不幸を負うリスクは「増幅」するだろうとは思います。 なので、実際にそのようなビジネスで産まれた子供たちに聞き取りをして、そのリスクを正しく見積もることは必要だろうなとは思いました。あまりにもそのリスクが高いことが分かったら、先の施策は有効でないことが分かりますから。
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2015/6674)
私も疑問を感じます。 つまり、おっぱいが大きい女の子とか、美人とか、いいケツしてる、気立てがよい、よく働く、頭がいい、エッチが上手、とかそういうのに男が引かれるっていうのは総じて「優秀な遺伝子を残したい」というDNAが命じている生き物の常識ですね。 生き物は「進化するために生きている」のです。 これ、羊水検査で赤ちゃんがダウンだと分かって堕胎する、遊びでエッチして妊娠しちゃったから堕胎する、とか、そういうのは人間としてよくないみたいな美談をする人が出てきて、堕胎しずらくなってしまった、というのと同じです。 なんでも美談にしたがる日本らしい。 中国なんて耳かきで耳クソをほじる程度にあたりまえのように堕胎していますよ。だから生まれながらの身体障害者なんていないんです。 LGBTを認めないのは時代遅れ、と言われて男同士でお尻の穴にチンチンを入れるような変態を気持ち悪いと言えなくなってしまった現代。 嫌ですね、美人やイケメンがモテる。ブサメンはそれなりの女で我慢しろ。ホモやおかまは日陰で生きてゆけ。 それでいいじゃないですか。と思います。
補足
すみません、まず赤ちゃんをおろすことは「産まれた命を他者の意思のみで殺す」ことに該当すると思うのでその部分は私は明確に反対です。 あと同性愛者は日陰で生きろとは思いません。そのように産まれたのなら自由に恋愛すればいいと思います。 私の線引きは飽くまで「産まれる前」です。 その上で言うと、部分的には同じ意見です。 「綺麗な女の人」が増えれば単純に男は嬉しいですし、女の人自身も綺麗な女の人になりたいはずです。逆も然り。 単純に人生の満足度が底上げされるわけです。 上記のような同性愛者も、もしも産まれる前にあるべき性に産まれることが出来たとするなら素晴らしいことだと思うのです。 それを「産まれる前」の対処により実現できるとするなら、誰も不幸にならないのでは、と思ってしまうのです。
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お礼
大変遅くなりました。ご回答ありがとうございます。なるほどと思いました。 (1)取れない、が答えだと思います。しかし、国が優秀とお墨付きをした遺伝子を選んで報奨金を得ることは契約の自由ですので、国にその責任を追求することは出来ないと思います。尤も、事前にリスクの説明を行うことは必要とは思いますが。 (2)確かに「種を保存したいと思う劣った遺伝子(とされている人)」にとってはメリットのない、待遇の格差を生むだけの政策だと思います。 しかし「種を保存したいと思わない劣った遺伝子(とされている人)」もいると思います。 両者どれだけの割合かはわからないですが。 またいずれにしても、若い世代がどんどん優秀になれば税収も年金も上がります。それはどの立場の人にとってもメリットとなります。そもそもの目的はそこなので。 これらを総合的に踏まえると「大多数が反対する」とは考えにくいのではないか?と思うのです。