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右書きから左書きへの変化
横一文字に文字を書くときは、昔の日本では右から左に書きました。 しかし、現在は左から右へ書きます。 この変化の、時期と原因が知りたいです。 欧米言語の影響かなと予想しますが、それなら敗戦の1945年ごろが 転機になりますが、それで合っているでしょうか?
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No.7です。少し補足します。 >敗戦と占領の影響が主であったのではないでしょうか。 「左→右」に最終的に統一された背景に、新しいかな使いや漢字の簡略化など戦後の一連の国語の表記に関する改革の機運が存在したことは間違いないでしょうね。ただし「左書(「左→右」)に統一する」という方針は、戦後ではなく戦時中の昭和17年の文部省の要綱(「横書統一案要綱」)にすでにあります。 https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000079010&ID=M0000000000000415922&TYPE=&NO= その詳しい理由は、この要綱にある通りですが、最後の部分は特に印象的です。(漢字のみ現行の字体に変更・カッコ内は引用者) 要之(ようするに)国語ノ横書ニ際シ右ヨリスルハ単ニ縦書ノ伝統、慣習ニ従ヒタルニ過ギズシテ理論的並実際的ニ見レバ左横書ノ方勝レリト認メラル コレ左横書ニ統一セントスル所以(ゆえん)ナリ (昭和十七年三月九日) 現代の私たちは戦前、特に戦時中の日本では伝統を重視する復古的な保守主義しか存在しなかったかのように誤解しがちです。もちろんその傾向は強かったのですが、戦争の時代には伝統にこだわらずに合理的・効率的なものを必要とするという別の面もあります。 実は現代日本の基盤となっている社会制度でも戦時体制の必要によって実質的に誕生し、戦後改革でさらに充実して今日に至っているものが結構あります。国民健康保険や厚生年金などです。日本語の横書きの表記方向の統一を、こうした広い視野でとらえることも可能ではないかと考えます。
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- staratras
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日本語は昔から基本的には縦書きにするもので、横書きにはしませんでした。ただし例外的なものはあり、例えば寺社にある「扁額」のうち「横長」のものは結果として横書きにせざるを得ず、「宮滿天」というように右→左方向に書かれています。ただしこれは一行あたり1字の縦書きと考えることも可能なので、日本語の横書き固有の原則というより、右から左に書くという縦書きの原則に従っただけだとも言えます。 一方で、江戸時代の後半以降に西洋の文化が入ってくるようになると、数字を含む「横文字」をどう日本語の文章に取り入れるかという問題が生じました。明治時代初期に作られた算術書(洋算)では、本文が日本語の縦書きで、数式だけ90度倒して縦方向に書かれています。 しかしそれではやはり見にくいので、文部省は算術の国定教科書を横書きにしました。もちろん数式の方向と一致する左→右方向です。また明治時代後期の国定教科書の表紙を見ると、「鉛筆畫帖」や「毛筆畫帖」の表紙も横書きで「左→右」方向です。戦前は横書きはすべて右から左に書いたというわけでもありません。 http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/meiji/contents4_09/04.html http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/meiji/contents4_06/ もちろん新聞の見出しや商店の看板など「右→左」に書かれているものが多かったのは事実です。ただしこれは多くの場合一行なので、扁額同様の「一行あたり1字の縦書き」と考えることもできます。いずれにせよ戦前の日本語の横書きの書く方向は、「右→左」と「左→右」が混在していたとみる方が事実に即していると思います。 これが「左→右」に最終的に統一されたのは戦後のことですが、回答者は少なくとも全文が「右→左」方向の横書きで書かれた昔の書籍は見たことがありませんので、「右→左」から「左→右」に変更されたというより、昔から慣習的に一部残存していた「右→左」が、数字を含む横文字と親和性が高くて便利な「左→右」に吸収されたと考えるべきかもしれないと思います。
お礼
数字を含む横文字との親和性に注目されるのですね。 では、それが戦後に始まったということをどう見ますか? やはり敗戦と占領の影響が主であったのではないでしょうか。
- eroero4649
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まず大前提として、日本語に横書きはありません。まあ言いたいことは分かる。まず座り給え。そうだ、この回答も他ならぬ横書きだ。 日本語の横書きが一般的になったのは、パソコンが普及してからです。そもそも昭和のワープロって縦書きが基本的にできませんでした。また私が知る限り、昭和の頃に横書きの本というのはまず見たことがありません。今でも小説などは縦書きですよね。 日本語は縦書きが基本ですから、縦書きは右から左へ文章を書いてゆきます。そうすると文章の読み方としては「右から左」になるじゃないですか。 なので、横書きにするのであればそこは統一して右から左へ表記していくのが「日本語として正しい」になります。縦書きと文章の方向が変わるのはおかしいです。 ですから、戦前までの横書き表現は右から左になっているものが原則です。 http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/event/special/2013/exhibition2013_3.html こんな感じですよね。 だけど横書きってどこから来ているのかというと、これは外国語です。英語を始めとする欧米の言語ですね。 で、外国語はどう書くかというと左から右になります。例えばポスターに英文を入れたらそれは右から左になります。 ここで重大な問題が発生します。日本語と英語を入り混じって表現するとき、文章はどうあるべきか? 戦後まではそこは折衷案というか曖昧というか、まあユルく運用されていたのですが、戦後になって英文にならい日本語も横書きは左から右と統一されたのです。 昭和の頃、若き日の松平健さんがスーツのCMで、スーツをバシッと決めて英字雑誌を読みふけていましたが、ページを逆にめくってしまい英語が全く読めないのがバレてしまいました。ついでにいうと、少なくとも現場でそれに気づいた人もいないってことですよね。後で編集するときに「アチャー!」って気づいたかもしれないけど。 ちなみに私、最近の本でたまに見かける横書きの単行本が苦手でしょうがないです。なんか読みなれないというか、読みづらいんですよね。
お礼
ありがとうございます。
- t_ohta
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昔の横書きは、正確には横書きでは無く縦書きで一行に一文字だけ記載する表現手法だったため、縦書きと同じ右から左に書かれていると学生時代に国語の先生に教わりました。 戦後欧米言語の影響を受け横書きという概念が日本に定着してきたため、左から右に書く横書きが増えたと言う事のようです。
お礼
前者の説は私も聞きました。 敗戦のショックと占領の影響は大きいと感じます。 起源は幕末にさかのぼるかもです。
- kaitara1
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蘭学者は蟹行文字と呼んでいて左から書いていたはずです。資料を確認できませんが、洋書への書き込みを考えると、自然の成り行きで日本語でも左から書きこみをしていたのではないかと想像します。
お礼
欧文は蟹行文字と呼ばれていたのですね。勉強になりました。 書込みも横になりますから、案外この辺がルーツかも知れません。 とすると幕末にはもう左から右へという文化が芽生えていてもおかしくありません。 本格的使用が敗戦かもですね。 それでも看板などは10年でも使えますから、特段の禁令でもない限り、社会では両方通用したでしょうね。 ありがとうございました。
- tzd78886
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トラックの社名表示は特別です。向かってきたときに読みやすいように進行方向から見た時、先頭の文字が前になるように書かれているからです。つまり、左右どちら側も初めの文字が前側に来るようになっているので、右側に書かれた社名は右からになります。もちろんそう決められているわけではないので逆の場合もありますし、最近はそうなっていることが多いようです。 これは私の世代では常識に近かったのですが、今では知らない方もいるのですね。
お礼
そうですよね。 動く文字は特例です。
- SPS700
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それなら敗戦の1945年ごろが転機になりますが、それで合っているでしょうか? 合っています。しかしかなり時間がかかっています。敗戦は昭和20年ですから、それから10年経った昭和30年でもまだ右書きが残っています。 下記の昭和30年の動画を見ると最初の2分間の間に、「横濱」と左から右に旧字体で書いたのと「輸運原田小」と右から左に書いたトラックがあります。 https://ima.goo.ne.jp/column/article/1500.html
お礼
ありがとうございます。 自動車の場合は進行方向に対して前から書くという特殊なルールがあるかもですが、 10年くらいなら古い習慣が残っているでしょうね。看板などは10年持ちますからね。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
切手などの印刷を見ると、昭和初期に右書きと左書きが両方用いられていた時期があるようです。戦後になって進駐軍がやってくるとローマ字書きと併用するときにわかりやすいように左書きに統一されたみたいですが。
お礼
昭和初期に既に左書きも生まれていたというのは面白いですね。 しかも、右書きも混在したというのも、さらに面白いです。 どうもありがとうございました。
お礼
これは驚きです! 自発的な改革を決めた文書があたのですね。 敗戦と占領によって外発的に変更されたと思うのは管見に過ぎました。('◇')ゞ 現代史のリアルに触れることが出来ました。 ありがとうございました。