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天正8年、信長と石山本願寺の和睦の条件。

石山本願寺は、朝廷を仲介役として織田信長と和睦していますが、どんな条件で和睦したのですか。 あの信長が本願寺を許したと言うことは、信長にかなり有利な条件だったのですか。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • oska2
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回答No.1

>石山本願寺は、朝廷を仲介役として織田信長と和睦しています 本願寺とは名ばかりで、実質的な軍事城下町(堀や土塁、柵、塀)を形成していましたよね。 信長も、色々と攻めあぐねていました。 >どんな条件で和睦したのですか。 『本願寺文書』より抜粋。 ・寺内内の全門徒を許し、処罰しない。 ・蓮如をはじめ全ての者は、大坂から退去する。 ・恭順の意を示せば、加賀の二郡は本願寺に返還する。 ・退去の期限は、4か月後の7月の盆前までとする。 ・本願寺に味方していた花隈城・尼崎白は、大坂退去時に明け渡す。 信長も、「宗教の力」に恐れたのですかね? この戦いは、本願寺側にとっては「死んでも極楽浄土に行ける」戦いでしたから・・・。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 『本願寺文書』にあるのですね。 すっきりしました。

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