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韓信

韓信が劉邦に対し、 自分から謀反を起こしていなかったら、 その後、どうなっていたんでしょうか? 平穏に後半生を送り、 偉人として祀られていたんでしょうか?

みんなの回答

  • human21
  • ベストアンサー率37% (938/2476)
回答No.4

韓信が謀反を起こさなくても、その後に粛清されていたと考えられます。 劉邦は疑い深く、冷酷な性格です。 実際に功臣である彭越、鯨布などの王侯たちが次々と粛清されています。 余談ですが、同じ功臣の張良は王になることを拒み、地方の一役人になり、 さらに隠遁のような生活を送る事によって生き延びています。 劉邦の性格を知っていたゆえの判断だと思われます。 強い功臣は死に、賢い功臣は生き残ったという事でしょう。

kirakiraaruku
質問者

お礼

張良の引き際は、欲がないというか、見事ですね。 土地とか、地位とか、大きな褒美を貰わなかったのが、良かったんでしょうね。 ありがとうございます。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 1番回答者です。 > 楚王から淮陰候に格下げされ、それが不満で謀反したんじゃないんですか?  いえ、質問者さんの知識を疑っているわけではありません。  歴史書というのは、勝者によって書かれます。  「なんにもしていないのに、危ないからと宣って殺しちゃった。皇帝様とは疑い深いものなのであーる」とは書けないわけです。(中国の王朝正史は、当時の史官が残した記録をもとに「次の王朝の時」に書かれるのだそうですが、現王朝の臣下として、『皇帝とは疑い深いもの』とは書けない構造は変わらない)  なにかの罪をでっち上げ、「情け深い皇帝陛下は、格下げでお許し下さったのに本人は恨んで謀反したので、やむを得ず」と正当化するんじゃないでしょうか。  えーっと何さんでしたっけ、来年日本に国賓としてやってくるあの方だって、現代版の「焚書坑儒」(気に入らない事が書いてある書物の焼却)をやっているようです。残るのは、権力者にとって都合が悪くない内容の書物だけ。  というわけで私は、林彪だってホントにクーデーをおこそうとしたのかどうかも、疑っています。だからどうだ、というほどの影響力はないですけど f(^_^;;

kirakiraaruku
質問者

お礼

確かに、韓信と劉邦が合戦しても、劉邦が勝てなかった可能性が高いですね。 そういう意味では、韓信は危険な存在ですね。 ありがとうございます。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

後に最古参でもっとも信頼してたはずの盧綰が逃亡亡命となってますからね。 軍事の天才韓信が生き延びるすべはなかったと思いますよ。 その後高祖劉邦は北に南に親征を行っては苦戦をし矢傷で死亡してますが、その後劉家独占による繁栄を招いてますので、正しかったか間違ってたか難しいところですね。

kirakiraaruku
質問者

お礼

他の功臣もそうだったみたいですが、幼馴染でさえ、 讒言で粛清されるというのは、少し、異常な事態ですね。 もう少し、何とか、ならなかったのかなと思います。 ありがとうございます。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 「狡兎死して走狗烹らる」の例え通り、自分から謀反しなくても、謀反したことにして同じ結果になったでしょう。そもそも、韓信は本当に自分から謀反したのでしょうか?  「黒田官兵衛」は警戒されて九州に追いやられ、No.2だった「林彪」はクーデターを起こしたとして飛行機事故で死亡しました。    強い大将軍や大参謀などは、大王や皇帝にとっての「大の危険人物」ですから。皇帝たるもの、放ってはおけませんでしょう。 

kirakiraaruku
質問者

補足

楚王から淮陰候に格下げされ、それが不満で謀反したんじゃないんですか?

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