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劉邦の家臣の英布
劉邦の家臣の英布が謀反を起こした時に張良が「南に進軍してくれて良かった北に進軍したら手がつけられないことになった」と言ったのはなぜですか?北に進軍するのと南に進軍するので何が違ってくるのですか?
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- fujic-1990
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そのセリフは記憶にないのですが、思いますに、北へ行って騎馬民族のどこか(おそらくは匈奴)を中原に引き込む(連合して漢に刃向かう)ことを恐れたのではないでしょうか。 武帝(前漢)が何度か討伐に向かっていますが、基本的には和親政策(財物を与えて攻めてこないように頼む政策)を取らざるを得ないほど、前漢は匈奴を恐れていました。 他方、南方には恐ろしい民族がいません。 いかに有能とは言え、「一家臣」に過ぎなかった黥布が漢の版図内で集められる数には限りがあり、また前漢にはまだ有能な家臣はほかにもいて、一般兵士の数は比較にならないわけなので、謀反されてもたかがしれています。 どうしたって「手がつけられないことになった」なんて言うほど恐ろしい状況になるはずはないので、黥布の南進は大歓迎、北進は大恐慌となったのだろうと思います。
- jkpawapuro
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すいません、その話の内容は知らないので憶測です。 淮南から北上って鄭州→洛陽→長安と、劉邦の本拠地に直行方向ですよね? 一方南となると江南の湖沼穀倉地帯、悪く言えば泥田沼のド田舎ですよね。(ただし九江王時代の旧領ですので土地勘地縁はあります。) 史実では劉邦は南部諸侯(諸侯といっても劉邦の子供ですけど)の敗残兵を糾合し自身も手傷を負いながらのやっとの辛勝ですよね。しかも戦いにくい地勢だから自然相手の侵攻の勢いも遅くなります。 準備が整わないうちにまっすぐ中原を突破し本拠地に殺到されたら、よくて漢の主要エリアの中心地が大損害、下手すれば長安の都さえ危ないという意味ではないでしょうか? 中原で戦う方が劉邦にとってリスクがでかいのは間違いありません。 もっとも早く諸国の兵が集まり英布軍袋叩きというシナリオもあったかもしれません。