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種子島時尭が火縄銃の製法を秘密にしなかったのはなぜ
種子島時尭は、いわゆる“鉄炮伝来”で入手した鉄砲2梃の内1梃を紀州・根来寺の杉坊という僧に譲っています。 また、堺の橘屋又三郎という者が種子島に一年ほど滞在し、鉄砲の操作と製造技術を学んでいます。 そして習得した技術を堺に持ち帰ると、それは短期間で近畿、東海、そして関東地方にも広まっていったそうです。 種子島時尭は、最新兵器である銃をなぜ秘密にしなかったのですか。 また、島津家も外部に流出することをなぜ容認したのですか。 根来衆や堺衆から大きな見返りを期待できたからですか。 よろしくお願いします。
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>どこへ飛んでいくのか分からなくても、武器としては使えると思います。 >屁理屈みたいですが、敵の一団に向かって撃って、誰かに当たればよいという考えです。 はい。その点に気づいた織田信長は本当に偉大だったと思います。100%理系男で超絶合理主義者だった彼は、ひとつひとつはアテにならない鉄砲も、集中運用すれば「面で制圧できる」と気づいたのです。アメリカ軍の発想ですね・笑。 ただ、彼がどの時点でこれに気づいたのかは分かりません。雑賀衆なんかにひどい目に遭って気づいたのかもしれませんし。自分も火縄銃に殺されかけたので、余計に印象が強くなったのかもしれませんね。「マジか。銃で撃たれたら、屈強な護衛に囲まれても死ぬだぎゃー」「俺今川義元を討ったとき、えらい大変だったんだよ?こっちも負傷兵が出てさ。銃だったら、俺足軽風情に遠くから討ち取られちゃうってこともあるってことだぎゃー」ってね。 面での制圧は弓でもできますが、それだけ多くの弓兵を育成するのも大変です。でも銃兵ならカネさえあれば短期間でも大量に用意できます。しかも信長はなによりゼニを大量に持っていたというアドバンテージがありました。カネ(金)ではなくゼニ(銭)です。当時は銭は中国からの輸入品で、火縄銃の代金の支払いは銭です。圧倒的な金融力の勝利ですね。武田家なんかは内陸国で銭が手に入らないので金でフォローしていました。上杉謙信は青苧の専売事業で大量の銭を手に入れられたのであんなにアホな軍事行動をしても大量の財産を残しました。戦争はゼニなんですよ。「ゼニがあれば天下を取れる」ことを証明したのが豊臣秀吉です。ナニワ金融道ですな。 >もう一つの疑問は、種子島ではタタラ製鉄をしていたそうです。 疑問点はどこなのかが存じませんが、タタラ製鉄は当時の日本では主流の製鉄法ですし、国友村でも同じ製法で火縄銃を作っていたと思います。そのへんはあまり詳しくないですけれど。 ただWikipediaの記事でも種子島時尭が鉄砲を初めて作ったという説も異論があるとありますし、どう考えても複数のルートから伝わったと考えるのが自然です。パテント料もない時代ですから、どのみち生産を独占することは不可能です。種子島で作れるものなら、関東でも東北でも作れるはずです。 国友村の火縄銃が広く普及したのは、大量生産されていて腕の良い職人も多かったので値段と品質のバランスが非常に良かったからではないでしょうか。もしかしたらある時期からブランド信仰もあったかもしれませんね。ちなみに私、電動エアガンは東京マルイ製と決めております・笑。今は台湾製とかも多くなっていますが、品質と値段のバランスでマルイ教信徒です。電動ガンの心臓部であるメカボックスに関しては絶対です。 あの時代において生産の独占ができるのは宋代の白磁のように「そこでしか作れないもの」じゃないと難しいですよ。 火縄銃について私が不思議に思うのは、有名な話ですが「ネジの謎」ですね。当時の日本にはネジがなくて、苦労の末にネジを作れるようになったので火縄銃の国内生産が可能になった、といわれています。 だから戦国時代から江戸時代にかけて、日本の鍛冶(鉄砲)職人はネジの作り方を知っていました。しかし、ネジは火縄銃以外に応用されることはありませんでした。なぜ他の技術にネジを応用しなかったのか、その理由は全く分かっていません。
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- eroero4649
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#4です。 >武器として、驚異的な威力を持つ鉄砲の将来性に気づかなかった これは難しいです。そもそも火縄銃というのはそこまで決定的な武器ではありません。私はミリタリーマニアなのでエアガンも持っていますが、火縄銃はエアガンと似ています。弾丸が丸くて、銃身にライフリングがないのは同じです。 で、たまにテレビとかで火縄銃の命中精度や威力なんかを検証していますが、現代で使う弾丸はほぼ真円だし、火薬の質も高い。でも当時は消耗品である弾丸なんて歪な形のものは沢山あっただろうし、火薬も質が悪かったと思います。エアガンもBB弾の質が悪いとあっちこっちに飛んで当たらない。当時の火縄銃の弾丸なんてどこに飛ぶかは弾に聞いてみないと分からなかったと思います。また火薬の質が悪ければ、不発も日常茶飯事だったはずです。今の銃と違って安全装置はないから下手にいじると暴発して危険です。また何発も撃って銃が熱を持つとその熱で火薬が暴発する可能性もあるのでそれも危険。 現代の弓道の的への距離は、60メートルだそうです。火縄銃の射程は100メートルといわれますが、100メートルは狙っても当たりません(現代の精密弾丸なら当てられるかもしれませんが)。おそらく現実には50メートル以下でしょう。だから弓に対して射程距離のアドバンテージはほとんどなく、しかも弓道は達人ならズバズバ的に当てられますが、鉄砲は達人でも弾丸の質が悪けりゃ当たらない。現代でいえばスポーツ選手に該当する武士から見れば「使えない(アテにならない)武器」に見えたはずです。「俺が弓で射たほうが、よっぽど当たる」と思ったでしょう。 そんな火縄銃の長所は「誰でも扱える」ことです。弓矢の場合は、なんといっても基礎体力がモノをいいます。体が大きく、力がある人はより遠くへ、正確に射ることができます。また技術の習熟にも大変な時間と練習量が必要です。 それに比べれば、火縄銃は使い方を習って少し練習すれば誰でも使えます。体が小さかったと伝わる豊臣秀吉が戦国無双の本多忠勝に勝つには火縄銃を使うのが一番です。これなら勝つる。 なぜ根来や雑賀で鉄砲が普及したのかの理由はよく分かっていないようです。当時の根来や雑賀は傭兵業をやっていたので、技術の習熟が不要な火縄銃が性に合ったのかもしれません。また当時は火薬が国産できなかったので、海外から火薬の原料が輸入しやすい堺周辺が盛り上がったのでしょう。 火縄銃の供給元であるヨーロッパでも、火縄銃時代は銃で武装は統一されていませんでした。銃兵と槍兵を組み合わせていて、数としては槍兵のほうが多かったのです。なぜかというと、銃兵だと騎兵突撃に無力ですからね。ハルバートという槍に鎌みたいなのをつけて、その鎌の部分で騎兵を引っかけて落馬させるのです。槍兵がいなくなるのはスウェーデンのグスタフ・アドルフが軽砲を運用して・・・と書くと更に長くなるので割愛。 また薩摩で鉄砲の生産、供給地にならなかった理由はシンプルで「種子島には鉄の供給地が近くにない」「優れた技術者がいない」からだと思います。家内制手工業のこの時代には大量生産には優れたエンジニア(鍛冶職人)が多数必要です。僻地の僻地である種子島や薩摩じゃ大量生産は不可能。しかも船で運び出せば輸送費用と時間がかかります。それなら近畿地方で生産しちゃったほうが早くて安いに決まっています。仮に時尭が生産に力を入れたとしても、価格競争と品質で負けて淘汰されたことでしょう。 あとこのことは専門の研究者でもあまり指摘しないことなのですけれど、私は火縄銃というのは消耗品だったと思うんですよね。発射の熱と衝撃で銃身が割れることもあったでしょうし、戦場でラフな扱いをされるからそれで壊れることもよくあったはずです。足軽の持ち物だから、負け戦だと放り出して逃げるやつも多かったでしょう。だから常に大量に仕入れる必要があったのだと思います。 分からないのは、実際に何発撃てたのかです。連続で何発か撃つと、発射熱で銃身はすごい熱を持ったと思うんですよね。その状態で火薬を入れると、暴発の危険がある。だからそう何十発も撃てなかったはずだと思うんですよね。真夏の直射日光下だったら太陽熱だけで触れないほど熱くなるでしょう?
お礼
再度の詳しいご回答真にありがとうございます。 よく分かりました。 小さな疑問が二つありますが、無視してください。 「どこに飛ぶかは弾に聞いてみないと分からなかった」は同感です。 博物館で弾を作る道具を見たことがあります。 戦場でも、鉛を溶かして、はさみのような物で作ったのだそうです。 まん丸い玉を作ることは難しかったでしょう。 どこへ飛んでいくのか分からなくても、武器としては使えると思います。 屁理屈みたいですが、敵の一団に向かって撃って、誰かに当たればよいという考えです。 もう一つの疑問は、種子島ではタタラ製鉄をしていたそうです。 http://www.tad.u-toyama.ac.jp/outline/research/pdf/bulletin01/p160.pdf#search='%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E3%81%AE%E7%A0%82%E9%89%84'
- eroero4649
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質問者さんは、アップルが初めてスマホを売り出したときを覚えていますか。あのとき、こんな世の中が来ると想像していましたか。そして、これは画期的な発明品だと思いましたか。 スティーブ・ジョブズがドヤ顔でスマホを掲げていて、アップル教の信者たちが大興奮しているのを、醒めた目で見ていたのではないでしょうか。「んで、結局そのiPhoneとやらで何ができるの?」と聞いて、信者の皆さんが「なんでもできるんだよ!」というのを「訳が分からねえよ」と思って聞いていたと思います。 「歴史の後知恵」っていうのは、そういうことなのです。今にしてみれば、iPhoneは人々の生活の習慣を変えるほどの革命的な商品だったと分かります。でもそのときは、ごく一部のマニアな人以外はそんなことを想像できなかったんですね。あるいはマニアが想像していた未来はまだ実現していない部分もあります。 もしあのとき、ジョブスがスマホの仕組みを権利でがんじがらめにしていたらどうでしょうか。スマホというものはAppleじゃないとできないものであったならば。おそらくそうなっていたら、普及はしなかったでしょう。「画期的だったけど、権利関係でがんじがらめになっていて普及しなかった特許技術」なんてのはしばしばありますね。 日本に鉄砲が伝来してそれを作ってみた人たちも、火縄銃がそこまで革命的な兵器になるとは想像できなかったと思います。もし火縄銃を秘密兵器として抱え込んでいたら「南の島で作っている、ちょっと変わった値段の高い兵器」であったと思います。 火縄銃を武器として使うには、火薬と弾丸が必要です。火薬は国産ができなかったので原料を輸入したほどです。火縄銃がスマホなら、火薬と弾丸はアプリです。どんなにスマホ本体の性能が高くても、アプリがなければ意味がありません。そしてアプリが十分に作られるためには、スマホを所有している人が多く存在しなければなりません。 これは私の想像ですが、教科書に出ている鉄砲伝来以前に、鉄砲を買っていた戦国武将か大名はいたと思います。だけどおそらく火薬と弾丸の安定供給を確保できなくてその場限りで終わっていたのだと思います。 もちろん、他の人が指摘するように「秘密にしたところでいずれ他から世に広まる」ということになったと思います。よく火縄銃の作り方を知るために娘を抱かせてまで知ろうとしたと話になることがありますが、あの当時の日本はイエズス会の神父が「日本人に処女を大切にしようと説いてもみんな笑って取り合ってくれない」と嘆くような貞操観念だったので、そういう覚悟じゃなくて「おい、あの銃の作り方をお前聞いてきてくれよ。いや色仕掛けすりゃ簡単に教えるだろ」程度のノリだったかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 時尭は、「火縄銃がそこまで革命的な兵器になるとは想像できなかった」から、秘密にしなかったということですか。 武器として、驚異的な威力を持つ鉄砲の将来性に気づかなかったということですね。 なるほど!そうでしょうね。 やはり京から遠く離れた薩摩・種子島という地理的な事情によるのかもしれません。 すると、鉄砲の噂を聞いて直ちに鉄砲の優位性に着眼して、実用化した根来衆・堺衆・国友衆などには先見の明があったと言うことですね。 しょっちゅう戦いに明け暮れている室町将軍家やその周りの武将だからこそ、という感じでしょうか。 鉄砲の伝来と普及には諸説あってよく分からないというのが現状のようです。 “鉄砲2梃”の行方もネット上では諸説あります。 私は20年前にケータイを解約したので、スマホやアップルなど全く興味ありません。
- cse_ri3
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秘密にしたところで、ポルトガル人は勝手にやってくる。 日本人が、ポルトガル人の鉄砲を見たら、自分と同じように国産化を考える人物は出て来るだろう。 そう考えると、隠しても隠しきれないので、早々にお金を稼ぐ手段に切り替えるのは、ごく自然なことだと思います。 根来衆や堺からは、見返りがあったんですかね。 その辺の事情は、わかりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「隠しても隠しきれないので、早々にお金を稼ぐ手段に切り替える」 そうかもしれませんね。 時尭は、今使える現金が必要で、鉄砲生産に興味がなかったのかもしれません。 根来衆や堺衆との取引で、大きな見返りがあったのであれば、つじつまが合って納得できますが‥。
- SPROCKETER
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日本だけの話ではありませんし、大昔の話でもありません。今でも軍事技術を手に入れたら、出来る限り多くの者に売り捌くのが常識です。軍事技術に国境は無いと言われるほどです。むしろ、秘密にしたがるのが治安の悪化を恐れる幕府や政府の方でしょうね。 たとえば、あなたが対戦車ロケット砲(RPG7)の製造技術を何らかの方法で手に入れたとしましょう。部品製造から組み立てまで、自力で出来るほど高度な知識を持っているとしましょう。それを売り捌けば、あなたは億万長者になれますよ。 RPG7ロケット砲を欲しがる人は山ほどいます。高値で売る事が出来るでしょう。テロリストや反政府勢力だけではありません。政情不安の国々に売れば、クーデターや革命を起こす事も出来ます。装甲車や戦車でも破壊出来る武器ですからね。原発攻撃にも使えます。国が無政府状態になるのを望むのであれば、お金はいくらでも手に入るでしょう。 火縄銃を手に入れた種子島時尭も同じだったはずです。武器を売れば、お金が手に入りますし、困るのは幕府であって自分ではありません。武器商人とは、そういう考え方を持つものです。 最近、国際的に問題化している核技術売買やミサイル商法も同じで、お金になれば軍事技術を売る国は多いのです。秘密にしてもお金になりません。日本のように軍事技術の売り惜しみをする国は馬鹿にされて買ってくれません。それが現実です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実際に製造・販売して大儲けしたのは、堺衆と国友衆です。 根来衆に与えた1梃の鉄砲が将軍・足利義晴の手に渡り、義晴が国友衆に作れと命じ、そこで大量生産されることになります。 時尭も島津も、極秘の内に製作ノウハウを蓄積して、製造・販売しておけばよかったのに、という疑問です。
- ithi
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kouki-koureisyaさん、こんばんは。 おそらく、雨になったら、火縄が濡れて使用できないという欠点を考え、あまり人気のある兵器になるとは考えなかったのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど!一理あります。 弓矢に敵うものかと‥。
お礼
しつこい私に根気よく付き合ってくださって真にありがとうございます。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という俗諺を、今ふと思い出しました。 そんな俗諺より「ネジは火縄銃以外に応用されることはありませんでした。なぜ他の技術にネジを応用しなかったのか、その理由は全く分かっていません。」という疑問の方がはるかに興味深いです。 別途、質問を立ててみたいです。 明日、締め切りたいと思います。 数々のご教示に感謝申し上げます。