• 締切済み

罪悪感について

まず最初に、これはあくまで自分の頭の中の話であり、決して自分が行動に移すような人間ではないはず、と申し上げておきます。 実は最近、人を殺した時に自分に罪悪感は湧くのか、試してみたいと思うんです。 親しい友人にそれとなく相談したら、「刑事ドラマの見過ぎ」と言われてしまいました。ということは、こういう事を考えるのは普通、という事ですよね? 確かに以前から死に対しての興味や殺人事件について知るのがとても、何というか楽しいとはちょっと違う気持ちなのですが、かなり興味があり、もちろん他人にそのように事を言えば白い目で見られるのは当然なので密かな趣味程度にしているのですがが、小学生だった頃から世界の連続殺人についての本を借りてきたり、調べてたりしていたので、親にはよく注意されていたのも、「密かな趣味」にする要因の一つです。 少々話がズレてしまい申し訳ありません。「人を殺して罪悪感が湧くのか気になる」と言っても、嫌な人を殺したい、とかではなく、(そもそも嫌い、とか以前にその人の事はどうでもよく思うので)誰でもいいので誰かを殺害してしまった時、罪悪感が湧くのか、というのが気になります。そもそもなぜこの考えが浮かんできたかというと、1年ほど前に、見知らぬ人を殺害する夢を見て、その夢の中では殺人の行為がとても楽しく、ジェットコースターに乗ってる気分、とでも言うのでしょうか。そんな気分になり、1年も前の夢を未だに忘れられないからです。 もちろん夢の中の事なので、現実とは違うかもしれませんが、どうしても気になって頭から離れません…。 スッキリしたいので、どなたか同じ体験がある方、アドバイスをくださる方、回答をお待ちしております。 長文、そして大変読みにくい文、最後までお付き合い頂き誠にありがとうございます。 (今は中2です)

みんなの回答

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.4

例えばですが、道に捨てられた空き缶を踏んでよろけて、ケガをする人がいたとします しかし、その空き缶を捨てた本人は、そこまで想定していませんから、罪悪感は皆無なバカでしょう 燃えるゴミの中に割れた食器を入れて捨てるバカがいたとします それを仕分けしている作業員がそれに気づかず、指をけがして仕事を休むかもしれません このようなバカにならないように大半の人間は常識を守るので、あなたの歩く道に空き缶は転がっていません そのようなことを意識して、あたりまえのことを毎日できるようになれば、何を妄想しても大丈夫だと思います 私はそんなバカではない、自分の不注意で人の命を奪わない・・・と思っている人間が、事故を起こして毎日、どこかで大切な命が消えていることに気づけると良いと思います

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.3

まず,あなたの大事な人。大好きな人,親兄弟, その人たちが知らない人に殺されたことを想像してください。 ただ,想像するのは殺人現場ではなくて,あなたはまったくいつもと同じ生活をしていたら警察から電話がかかり,自分の大事な人が死んだことを知らせられます。そこからは悪夢の日々でしょう。 葬式を行い。火葬をして納骨する。みんな思い出話をしてあなたもその人との良い想い出ばかりを思い出します。 親であれば怒られたことや,喧嘩したことではなく,優しくしてくれたこと,遊んでくれたことなどステキなことばかりを思い出すでしょう。そして実感します,いままで当たり前にいる人がいない。会いたくても会えない。 あなたの生活は一変してしまい,毎日毎日みんなが暗い顔をして,大事な人を殺した人を憎み,恨み,美味しいものは美味しくなく,楽しいテレビもゲームも面白くなくただただ悲しい。そっと悲しみを受け止めるだけでも苦しいのに,連日被害者の家にはマスコミが訪れ,家からもでられなくなる。 あなたが悲しみを乗り越えても,他の人が乗り越えられずあなたにも悲しい思いをつづけてもらおうとする。マスコミがずっと待っているから笑顔を見せることすらできない。それでも騒ぎが収まっても,ずっと,大事な人を思って勉強もできないテストの点もむちゃくちゃ。そこからは描いていた未来はすべて無くなるかも知れない。 そんな時間を細かく想像してみるのはどうでしょうか。 もしあなたが殺人をすれば,その人に対する罪悪感だけではなく,そのまわりの多くの人の人生を壊すのです。 人殺しを想像して楽しむのであれば,必ずその日のうちに,その後のことをしっかり続けて想像してください。 終わりではありません。人生は続きます。罪悪感を万が一持てなくても,必ず持つまであなたが殺した人のまわりの人があなたに一生掛けて恨みをもちつづけます。 ジェットコースター。5分で終わるのが一生の地獄とどっちを選ぶのでしょうか。 あなたが言うように実際ではありません。あなたが想像でそれを緻密にシミュレーションするのです。 人殺しの妄想を楽しむひとは,その覚悟もないと人生を踏み外しますよ。 そして,もし遺族に対しても殺意をもち,その人たち,周りの人達も殺すことしか考えられないなら。 大事な人を失っても,自分は楽しいなら,早めにカウンセリングが精神科医に,ここまでのことを含めて相談しましょう。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7982)
回答No.2

 妄想障害かもしれませんから、本気で殺人を考えるようであれば、精神科の診断を受けた方が良いでしょうね。  人と抱き合った事があると思いますが、相手が叫び声を上げたり、苦しんでいるのを肌で直接感じ取っている自分自身を想像してみればわかると思いますが、怖い気持ちになったり、震えが止まらなくなったりするのではないですかね。  池田小学校事件を起こした宅間守、秋葉原連続殺傷事件を起こした加藤智大などの殺人犯は、肌で人が死ぬのを感じ取っているわけですが、テレビでは触感が伝わらないので、そういう場面を想像出来ない人が多いのだろうと思います。  殺人事件なんか起こしたら、悪夢にうなされたり、精神病にかかって幻聴が聞こえるようになるだけです。馬鹿な考えは捨てた方が良いでしょうね。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.1

怖いもの見たさという言い方があります。あるいは好奇心、さらに猟奇的というぴったりの言葉があります。我々のご先祖が木から木へと飛び移れた時の心地よさが起源かもしれません。あるいは危険な大物の動物を仕留めたときの満足感と関係があるかもしれません。本来なら避けるべきでもある状況を逆に楽しむような神経の図太さがなければとてもこの過酷な世界を生き延びることは難しかったのではとも思います。それでも仲間殺しはもっとも実行することが難しかったことなのだったのではないでしょうか。