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罪悪感について

僕は、過去に大勢の人に多大な迷惑を故意に行ってしまいました。その後、僕は罪悪感にさいなまれてとても反省して同じ過ちは起こさないと心に決めております。しかし、罪悪感から開放されず身の回りの事も集中できず困っておりました。その後、友人にこの事を相談したらこのような答えが返ってきました。 「過去に起こしてしまった事は、しょうがない。重要なのは、過去の行いに対して反省し同じ過ちを起こさないことだ。身の回りのことも手に入らないくらい罪悪感を感じる必要は無い。反省したなら自分自身の過ちを自分自身で赦すべきだ。」 と答えが返ってきました。 この人の答えは、正しいと思いますか? 皆さんの意見をお聞かせください。お願いします。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

これは十人十色だね。 だから自分で納得する回答を選ぶべきだと思う。 私は友人さんのいっていることは「正しい」と思います。 「赦す」ということは、自分に対しても、他人に対しても「完全に完結することが無い」ものです。 定量と言うものが存在せず、人によってその大きさは違います。 ですから、罪を償いきるとか、そんなことは不可能です。 さだまさしさんの「償い」と言う歌を、裁判で用いた裁判官の方がいらっしゃいましたよね?。 歌詞のリンクをのせておきます。 http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=F02668 歌詞中で「ゆうちゃん」と言われる加害者の男性は、被害者の奥さんである女性が出した「彼への恩赦」への手紙を受け取った後も、郵便局で彼女に送金を続けるのです。 被害者の奥さんにしてみれば「赦すことで見切りたい気持ち」があり、彼は彼女に報いることで、結果的に「恩赦」を引き出した、と言えるでしょう。 しかし、彼の中では「赦されたと言う気持ち」とは別の「何か」があって、同じように送金を続けるわけです。 歌詞中での「僕」は、その二人の様子を見ていて「人間は悲しい」といい、涙を流します。 「僕」は私であり、あなたでもあり、友人さんかも知れません。 人間は「やるせない」のです。 それゆえに「赦す」ということの「果て」にたどり着くことが出来ない。 あなたも、わたしも、他の誰かだって、みんなそうなんですよ。 みんなが「ゆうちゃん」であり「僕」であり、「被害者の奥さん」なのです。 だから…「あなたを赦す」という人が現れるなら、あなたは「赦された」ことを感謝し、その一方で「赦されることは無い」という苦い思いをかみ締めなおすことになるでしょう。 それゆえの「べき」なのです…終わることが無い物語を、終わりにするために。 人は、前に歩くしかないんです…涙を見せなくても、心で号泣しながらね。

noname#164833
noname#164833
回答No.5

  僕の辞書には、こう書いてあります。  「自責の念」…人間の記憶は、感情と結び付いたときに強く残るという性質から、反省する時に自然と発生する自己処罰的感情。自分を責めることに意味はなく、記憶にとどめる効果に意味がある。「どうすればよかったか」が判っていない時は、無意味な存在。  「処罰感情」…被害者や被害者の遺族が加害者に抱く感情。加害者を処罰しても被害者側に合理的な利益はないが、そうしてほしいという人間的で非合理的な感情として、世間一般にも共感されているもの。    http://coaching.livedoor.biz/archives/50471019.html

  • hiro822
  • ベストアンサー率20% (131/637)
回答No.4

罪の重さによると思いますが、 自分自身で赦すというのは、違うと思います。 言葉の使い方、表現方法の違いであって、意図してることは大きくは変わらないかもしれませんが。 まず、大勢の人に多大な迷惑をかけたのであれば、 謝罪と、罪を償うことが必要だと思います。 それが完了しているのであれば、 罪に至った原因、あなた自身の問題点を徹底的に解明する必要があります。 そして、あなた自身の問題点の解決と、原因の排除が必要になります。 それは、反省と同じ過ちを起こさないという、精神面だけで具体性に欠けたものでは不十分でしょう。 実態は具体的なものがあって、ここので表現に出てきていないだけかもしれませんが。 身の回りのことに、手に入らないくらい罪悪感を感じるとは、どういった状況なのでしょうか。 具体的な謝罪とかの手続きで、他のことに時間が割けないということでしょうか。 ここでの文面では、上に述べた問題の根本的な解決が完了していなくて、 内容のない、自己満足的な、あなたの内部だけでの、堂々廻りのように思えます。 根本的な問題の解決、謝罪と合意がなされているのであれば、 罪に関して完了しているとも思うので、普段は心と片隅に置いておく位の心持ちで良いのではないでしょうか。 罪によって失ったものを、今後の努力で取り返さなくてはならないので、 (人の信用、自分の時間、・・・) そうぼやっとしている間もないと思います。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.3

べき、は無いんだと思う。 貴方がどう咀嚼して、どう納得していけるのかが大切だから。 言われたようにしましたよ、というスタンスを取っても。 貴方自身が心「から」そう思えてこそ。 目の前の一日一日に対する向き合い方に活かされていくんだよね? 友達が一番言いたい事は。 既に起きてしまっ「た」事に対して、 幾ら罪悪感があるといっても執着し過ぎてしまう事は。 一番大切な「今」という時間が蔑ろになってしまうよ、という事。 仮に同じ過ちを繰り返さない、という強い決意を持ったにしても。 「今」という大切な時間に対しての向き合い方が半端な状態では。 その決意さえ大事に出来ないんだよね? 罪悪感は直ぐには消えない。 そして消すものじゃない。 その罪悪感こそ。 貴方は「今」に対する丁寧な向き合い方への「碇」にしないと。 早くスッキリしたいと思う気持ちは。 喉元過ぎれば熱さ忘れる、という対応と背中合わせ。 過去に対して何も感じなくなったら。 貴方はまた今に対する姿勢が半端になるんじゃない? 反省するだけでは人は変われないから。 その気持ちを。 これからの貴方の目の前の日々に、目の前の人間関係に、 目の前の一日一日に対していかに丁寧に実践していけるか? その積み重ねにこそ意味があるんだよね? 積み重ねていく事は簡単ではないから。時間が掛かる事だから。 その簡単ではないんだ、という「感覚」こそ。 今まで貴方がある意味簡単に自分勝手をし続けてしまった 現実に対する理解にも繋がるんじゃない? 相手あっての自分なんだと。 今度は自分あっての相手になるように。 私なりに出来る事からやっていこうと。 過去に対する忸怩たる気持ちがあるからこそ。 貴方は「今」に対して丁寧に向き合い「続ける」事が出来るんだと思う。 「続ける」事が大切なんだからね? 直ぐに何かをやるから、するから。 貴方の気持ちが晴れる訳じゃない。 そして直ぐに自分を許す必要は無い。 まだ許しても良いと思えるだけの積み重ねは始まっていないでしょ? 少しずつなんだよ。 積み重ねていく中で、貴方の息苦しさは落ち着いていく。 かと言って責め続ける理由も無いんだよ。 既に積み重ねていこうとする「新しい」プロセスを始めているんだから。 そういう前向きな一歩を押しつぶすような罪悪感は 必要ないという事。 大切なのは「今」。そして「これから」。 その「今」に対しては。 「過去」からしっかり学び取った自分自身の経験を活かせば良い。 どんな経験であれ、 これからの貴方にとって納得出来る自分自身に繋げていけるなら。 それは意味のある「経験」なんだからね☆

  • BODYCHANGE
  • ベストアンサー率21% (229/1053)
回答No.2

友人の回答は、正しいです。 と言うかそれしか言えないと思います。 過去を訂正する方法が無い以上、前向きに生きていくしかないと思います。 あなたが「そんなの綺麗事だ!」というのなら、周りは「じゃあどうしたいんだ!」となりませんか? 迷惑な事がわからないので何とも言えませんが、友達の言葉に身を委ねてみませんか? 罪悪感は自分で起こしてる訳では無くて、自然と心に沸き上がってくるもの。消す方法は自分は知りません。私だってそうなのですから。あなたなり、自分なりでいいですから、気持ちの持ちようを見つけて下さいね。いいお友達も居ることだし。

  • ayafuku
  • ベストアンサー率27% (45/164)
回答No.1

あくまでも個人的な意見になりますが、 お友達の答えはとてもすばらしい回答だと思います。 特に『自分自身の過ちを自分自身で赦すべきだ』の部分。 それを言ってもらえるお友達はそうそうないないと思います。 過去の教訓を糧に、これからすばらしい人間になってください。 期待しております♪

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