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日本の本来の国名は「豊葦原中津國」(とよあしはらの

日本の本来の国名は「豊葦原中津國」(とよあしはらのなかつくに)だった。 ってどういう意味ですか? 卑弥呼の時代でも日本ではなく豊葦原中津國だったの? いつの時代から豊葦原中津國で、いつの時代から豊葦原中津國から日本に日本は変わったの?

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  • SPS700
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回答No.3

1。日本の本来の国名は「豊葦原中津國」(とよあしはらのなかつくに)だった。 ってどういう意味ですか?  豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(下記)と共に日本の「美称」で、日本産の国内用の特殊語彙です。  https://kotobank.jp/word/%E8%B1%8A%E8%91%A6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E7%91%9E%E7%A9%82%E3%81%AE%E5%9B%BD-585150 2。卑弥呼の時代でも日本ではなく豊葦原中津國だったの?  卑弥呼は中国の歴史に出る人物で、まだ『日本書記』以前ですから、「豊葦原ナンチャラ」は、たぶん日本国内でも成立していたかどうかはわかりません。 3。いつの時代から豊葦原中津國で、いつの時代から豊葦原中津國から日本に日本は変わったの?  「にほん」は国際用、「豊葦原うんぬん」は国内用の特殊語彙で、儀式や伝承にだけ使うものですから時代的には重なる可能性があると思います。

gasshop2017
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  • SPS700
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回答No.4

 #3です。補足です。 1。 豊葦原千五百秋瑞穂国とよあしはらのちいほあきのみずほのくに(下記)というのもあります。  https://kotobank.jp/word/%E8%B1%8A%E8%91%A6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E5%8D%83%E4%BA%94%E7%99%BE%E7%A7%8B%E3%81%AE%E7%91%9E%E7%A9%82%E3%81%AE%E5%9B%BD-585148 2。中津国の津は漢字の意味はなく、中つ国すなわち中央「の」国という助詞の当て字です。豊葦原と修飾したのは、大きな中国への忖度によるものでしょう。 3。これらは「美称」で、アメリカ合衆国と言わないで「Land of the Free, Hoe of the Brave」自由な民の国、勇者の故郷、というようなものです。

  • 4017B
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回答No.2

その「豊葦原中国」というのは日本神話(日本書紀)の中に出て来る場所で意味は天界と下界の中間の国、つまり地上の人間界という意味です。つまり具体的な地名を指し示した呼称では無く、概念的な空間の広がりを指して言った言葉ですので、これを以て古代日本の国名とは言えません。キリスト教の旧約聖書などに出て来る「約束の地カナン」などと同じです(カナンは実在する土地ですが)。 また卑弥呼の時代、つまり大和朝廷以前の弥生時代の日本には全国的な統一国家的な権力機構自体が存在しなかったので、そもそも "国" という概念すら無かったと思われます(「邪馬台国」という呼び名も中国人から見た呼び名)。当時はあくまでも自分らの勢力が及ぶ支配地域を指し示す和語が「クニ」であって、それが現在の土地や国民、政府などを一体化して表した国家という意味での「国」という概念になったのは、中国から政治文化を取り入れて模倣し始めた飛鳥奈良時代以降の事です。 また奈良時代の事を知る手掛かりとなっている歴史書『日本書紀』は正確な成立年月や編纂者も不明で謎の部分が多く、それよりも100年ほど時代が下ってから編纂された『続日本紀』の中に「一品舎人親王が天皇の命を受け日本紀を編纂した」という記述があるため、これを根拠に『日本書紀』こそが日本最古の歴史書であると仮定して飛鳥奈良時代の事を研究する大元となっています。ですので奈良時代以前の日本の成り立ちについては未だに謎の部分が多く、それ故に名を挙げたい自称歴史痛の方々が色んな珍説を布教しているのが現状です。 この『続日本紀』の記述に従えば、少なくとも平安時代の紀元790年頃までには公家貴族などの知識人の間では「日本」という言葉が認知され、それが自分達が暮らすこの土地の総称であるという概念は存在していたと思われますが、対外的にも一般的にも「日本(ニホン/ニッポン)」と言う呼称を使う事はありませんでした。当時は「ヒノモト」と発音する方が一般的だった様ですが、室町時代になると狂言のセリフで「日本(ニホン/ニッポン)」と言う場面があります。

  • notnot
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回答No.1

卑弥呼は人間ですが、「豊葦原中津國」というのは、卑弥呼の時代よりずっとずっと前の、神々が普通にそのへんにいた時代の話です。 「豊葦原」は、文字通り、葦が豊かに茂っている平野。 「中つ国」は、高天原(神々がいるところ)と、黄泉の国(死後に行く場所)の中間にある土地という意味です。 神々がいなくなった後の、卑弥呼の時代は倭国ですね。 日本という名前は、中国の唐についての歴史書に登場したのが最初のようです。日本は倭の一地方だったのが、倭を滅ぼして、成り代わったようです。大和朝廷の関東~九州までの統一のことでしょうね。