- 締切済み
心を揺り動かされるポイント
私は人の内なる寂しさを感じると否応なく心を揺り動かされます。 それは主に、優しさから感じる寂しさでもあります。 人によっては言葉上寂しいんだろうなと思う事があっても心は反応しないことがありますし、言葉は普遍的であっても目の表情や口調だけで感応してしまうことも。。 高校生の頃あたりから、気になっています。 まずはそんな反応をしてしまう自分自身の心理状態が知りたいです。 よろしくお願いいたします。
みんなの回答
- applecake718
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自分がそれを強く(寂しい)と感じているからではありませんか?
- g27anato
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「自分自身」ねぇ…、 人の外面だけに対する関心と対応から、 人の言動から受ける違和感に関心が移り、 人の内面との差異や矛盾に興味を抱く時期から、 ならば自分は?…と、人間同士、自分と周囲との、個々の関係性に関心を抱く時期に至った。 ここに至って自身の意識というものにも関心が向くようになった。 …そういう事でしょうかね。 それを「自意識」と呼べば良いのかな。 その意識が必要以上に強くなって自身の内面だけで収まりきらなくなり、外面にも溢れ出るようになれば、 自分でも無意識に押し出してしまうことも有るだろうし、 それに周囲が気付くほど頻繁になれば、「自意識過剰」と言われる時が来るのかもしれない。 質問は「同情」或いは「感応、無感応」の観点ではあるが、 無感応を補うつもりの「同調」からは、誤解を伴う「感情の対立」が生まれることも想定される。 対立状態であれば 「敵を知り己を知れば百戦危うからず。」 なのでしょう。 質問は調和を望むものなのでしょう。 「人の心を知り自らの心を知れば和も謀れる。」 という事かと思います。 「~心は反応しない~」 …自らの心を知りながら「同情」だけで「同調」すれば「自意識」との間に矛盾が生じます。 そこに相手が感応すれば誤解が生じるかもしれない。 いずれ、 「同情」や「同調」ではなく「協調」或いは「共調」を考える時が来るかと思います。 人の心を知れば「共感」することは可能です。 自らの心を知っていれば「協調」も可能です。 「感応」できないまま「同調」すれば「単なる同情」と受け取られることもあります。 人の心を知りつつ、 自らの心には素直に、 人の外面には左右されず、 自らの感情にも左右されず、 自意識過剰にならず、 互いの協調を謀る。 自らを偽らず、 在るがままを素直に受け止める。 …回答というより、 アドバイスというか参考になればと、 支離滅裂ながら思い浮かぶままに羅列してみました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 普段性格合わないまたは挨拶程度の人に対してでも、ちょっとした会話でやさしさの中に見える寂しさにとても感応するのはどうしてかなと思った次第です。 おそらくそれは、その人が与える印象によるところよりも自分の中に原因があるのではと考え、ご質問させていただきました。 丁寧なご回答感謝します。
- kaitara1
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おそらく自分という存在がいかに根拠がもろいものかに対する受け取り方なのではないかと思います。普通は家庭とか社会的地位、財産などで自分の存在が保証されていると考えますが、こういうものはそれほどしっかりした保証を与えてくれていないと気が付くことがあります。
お礼
早速のご回答ありがとうございます! 自分という存在の根拠、深いですね。。 もろい時ほど感じやすいということでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の中の寂しさが、相手の同じような部分に共鳴しているということでしょうか?