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ヨハネによる福音書 第一章
太初(太初―はじめ)にことばありき ことばは神と共にありき ことばは神なりき 萬(よろず)の物このことばに由りて成り,成りたる物一つとして之に由らざるはなし 質問: 1. 太初(太初―はじめ)とは何の太初(太初―はじめ)でしょうか? 2.太初(太初―はじめ)の”ことば”はどのようにして生じたのか、或は発せられたのでしょうか? 3.太初(太初―はじめ)の”ことば”が生じ、或は発せられる前には何もなかったのでしょうか? 4.何もないという事はどういう事なのか?どういう状態なのか? 思われること、創造すること、思索されることを随筆的で結構ですのでご回答ください。
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質問者が選んだベストアンサー
1.人が住むこの世の初めです。 2.全知全能の神ですから無から有を生むことができます。 3.何もありませんでした。 ただし、現代人のように空間があるではないかなどということは問題にしていません。 4,創世記に書かれている神が創られたものが全てない状態です。 旧約聖書にせよ仏典にせよ宗教の聖典を取り扱う際に科学だの哲学だのを持ち出せば混乱するだけです。 宗教は信じるか否かということが肝要です。 理屈は百害あって一利なしです。 全知全能で唯一絶対である神を信じておられないから1~4のような疑問が生じます。 宗教を受け入れるのに当たって無とは何か有とはなにかなどと哲学を装って理解しようとすること自体がナンセンスです。 理解したから信じるのではなく信じるから理解するのが宗教です。 創世記を生み出した古代ヘブライの人達は初めに言葉ありきとしたのは言葉に全幅の信頼を置いていたことに由来します。 仏教の禅宗で不立文字、教化別伝としているように古代インドの人達は言葉というものを信頼していませんでした。 古代ヘブライの人達が唯一絶対である神をたてたのに対して古代インドの人達はそれだけで単独で自立しているものなどはないと考えました。 どちらが正しいということではなくどちらを信じるかという問題ですのでご注意下さい。
お礼
1.人が住むこの世の初めです。 “人が住む前の事をうかがっています。” 2.全知全能の神ですから無から有を生むことができます。 “その無という事をうかがっています” 3.何もありませんでした。 “その何もないという事をうかがっています” 4,創世記に書かれている神が創られたものが全てない状態です。 “当然の疑問をうかがっています” ありがとうございました。
補足
私もこのヨハネの福音を自分の基盤にしております。 神の言葉の性格を考えております。