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ヨハネによる福音書3章18節の意味は?

ヨハネ福 3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 「既に裁かれている。」の意味を解説して下さいませ。できれば信徒の解説を希望します。非信徒であっても信徒の見解を代弁できる自信があれば拒否はしません。 よろしくお願いします。

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回答No.1

既に裁かれているという裁きの内容は、この後に続く節にある通りです。 信じないものは、光(救い)が来ても闇を愛している(=行いが悪い)ので、光に近寄れない(=救われない)のです。 信じるものは真理を行うものであり、光に来れます。 つまり、ひとり子が言っている事を盲目的に信じれないのであれば、それは信仰ではないということです。 パリサイ人のニコデモとイエスのやり取りがこの前に記してあります。 ニコデモはユダヤの指導者であり、教師である立場ですが、多くの知識を持っているためにイエスに色々反駁します。 しかし、イエスの言っていることを素直に受け容れられないため、イエスとは平行線です。 それでは救われないと言っています。

sono-higurashi
質問者

お礼

この質問には、ひょっとするとご返事がつかないことによって、「裁かれている」の意味を知るのだろうと薄々予想していました。反応のないことも立派な情報です。 聖書の字面の上から額面通りの読み取り方は出来ていたのですが、どうも腑に落ちないことがあって質問しました。といいますのは街宣車が様々な事をいっていくのです。 曰く、裁かれている。救われない。滅びの国に入る。陰府に降る・・・ 意味は判らないにしても本能的に貶されている気分になるのですが、不特定多数の人間に拡声器で悪たれをつきながら走る車がある訳もないし、何か意味があるのだろうと思っていました。やはり、いい意味ではないのですね。慣れてしまったので、無関心でいられますが。 あの評判のよくない政治団体ですら、黙って軍歌を流して行くだけで悪たれはつきません。聖歌を流す程度にできないものですか、と此処で言っても意味ありませんが。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

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